ヨエル書

2020年4月 9日 (木)

ヨエル4:16-21{(ヘブライ語聖書、新共同訳、聖書協会共同訳、岩波訳)/新改訳、口語訳、リビングバイブルは、ヨエル3:16―21} 主の裁きとキリストの千年王国

 ヨエル416-21を新共同訳は、
16 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はシオンからほえたけり、エルサレムから声をとどろかされる。天も地も震える。しかし、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその民の避け所、イスラエルの人々の砦である。17 あなたたちは知るようになる。わたしがあなたたちの神なる主であり、わが聖なる山シオンに住む者であることを。エルサレムは聖なる地となり、もはや、異国の民がそこを通ることはない。18 その日が来ると山々にはぶどう酒が滴り、もろもろの丘には乳が流れ、ユダのすべての谷には水が流れる。泉が主の神殿から湧き出てシティムの川を潤す〔エゼキエル471-12参照(筆者挿入)〕。19 エジプトは荒廃し、エドムは滅びの荒れ野となる。ユダの人々を虐げ、その国で、罪なき者の血を流したからだ。20 しかし、ユダはとこしえに、エルサレムは代々にわたって、民の住むところとなる。21 わたしは彼らが流した血の復讐をする。必ず復讐せずにはおかない。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はシオンにすまわれる。”と記しています。
新改訳はヨエル316-21になります。

 16節には、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はシオンからほえたけり、エルサレムから声をとどろかされる。天も地も震える。しかし、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその民の避け所、イスラエルの人々の砦である。」とあります。

 主のみ声の力強さがよく分かります。
主が吠えると、天も地も震えるのです。この主のエネルギーを人に向ければ、ひとは即死するでしょう。黙示録1915には、「この方〔裁き主キリスト(筆者挿入)〕の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。」(新改訳2017)と記されています。
この強いお方が、私たちの避け所となってくださるのですからなんと心強いことでしょう。

 現在新コロナウィルス感染症に恐怖を持っている人が多くいます。
私の肉体も罹患すれば医学常識からすれば助からない体です。
しかし、わたしのところに来たコロナウィルスに主が一声かければ、コロナウィルスはばらばらになってしまうことでしょう。
私が助かる道は、医療ではなく、主の働きです。
ですから、詩篇91篇を信頼します。
1いと高き方の隠れ場に住む者その人は全能者の陰に宿る。3主こそ狩人の罠から破滅をもたらす疫病からあなたを救い出される。10わざわいはあなたに降りかからず疫病もあなたの天幕に近づかない。」(新改訳2017)とありますから。
これを信じているのに、肉体の命がなくなったとしたら、それは、わたしが、もう地上にいなくても良いということです。パウロでさえ、ローマの獄屋にいたときに、「21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。23 ・・・。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。」(ピリピ1章・新改訳2017)と述べています。
地に置かれてもハレルヤ!
天に移されたら、もっとハレルヤ!ですね。

 余談になりますが、この世の最後の主の日(主の裁きの日)に主が用いられる疫病は、新コロナウィルスよりもずっと強力です。
ゼカリヤ1412には、「これは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がエルサレムを攻めるどの民にも加えられる疫病である。彼らの肉は、まだ足で立っているうちに腐る。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。」(新改訳2017)と記されています。

 17節には、「あなたたちは知るようになる。わたしがあなたたちの神なる主であり、わが聖なる山シオンに住む者であることを。エルサレムは聖なる地となり、もはや、異国の民がそこを通ることはない。」とあります。
多くのユダの民たちは、キリストの地上再臨の時に主イエス(イェシュア)様がキリスト(メシア)だと知ります(ゼカリヤ129-132)。
そして、エルサレムは主のものとして聖別されます。

 「もはや、異国の民がそこ〔エルサレム(筆者挿入)〕を通ることはない。」とあります。
エルサレムを通り道とすることは許されなくなりますが、諸国の民も、礼拝にはエルサレムに上ってきます。
 イザヤ22.3には、“2 終わりの日に、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。3 多くの民族が来て言う。「さあ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが出るからだ。”(新改訳2017)と記されています。
 また、ゼカリヤ14章には、「16 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である王〔主キリスト・イエス様のこと(筆者挿入)〕を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。17 地上の諸氏族のうち、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である王〔主キリスト・イエス様(筆者挿入)〕を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族の上には、雨が降らない。18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、疫病が彼らに下る。これは、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が打つ疫病である。19 これが、エジプトの罪への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々の罪への刑罰となる。」(新改訳2017)と記されています。

 18節には、「その日が来ると山々にはぶどう酒が滴り、もろもろの丘には乳が流れ、ユダのすべての谷には水が流れる。泉が主の神殿から湧き出てシティムの川〔渓流(新改訳2017)〕を潤す。」(新共同訳)と記されています。

 キリストの千年王国時代のイスラエルです。
「山々にはぶどう酒が滴り」とあるのは、ぶどうの実が豊かに取れるからです。
当然、穀物も良く実るのです。
「もろもろの丘には乳が流れ」というのは、やぎや羊、牛などの牧草が豊かであって、それらの乳を飲めるからです。
 主イエス様は、「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」(マタイ518・新改訳2017)と語られました。
 申命記28章には、
1 もし、あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。2 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。3 あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。4 あなたの胎の実も大地の実りも、家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。6 あなたは入るときにも祝福され、出て行くときにも祝福される。7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたに向かい立つ敵どもをあなたの前で敗走させる。彼らは一つの道からあなたを攻めて来るが、あなたの前で七つの道に逃げ去る。8 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざが祝福されるように命じられる。あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。9 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令を守り主の道を歩むなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたに誓われたとおり、あなたをご自分の聖なる民として立ててくださる。10 地上のあらゆる民はあなたに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名がつけられているのを見て、あなたを恐れるであろう。11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えるとあなたの父祖たちに誓われたその地で、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたの胎の実、家畜が産むもの、大地の実りを豊かに恵んでくださる。12 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それで、あなたは多くの国々に貸すが、借りることはない。13 私が今日あなたに命じる、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令に聞き従い、守り行うなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたをかしらとし、尾とはされない。あなたはただ上になり、下になることはない。14 私が今日あなたがたに命じるこのすべてのことばから右や左に外れ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。”(新改訳2017)と記されています。

 主は、主イエス様を信じる人を喜んでくださり、永遠のいのちを与えてくださいます。
そこで良しとしてしまうのではなく、主がお語りになったことを守る人、即ち主に従う人を更に大切にしてくださいます。
主イエス様は、「ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます〔イエス様を信じていれば行いとは関係なく天の王国に入れます(筆者挿入)〕。しかし、それ〔主の教え(筆者挿入)〕を行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。」(マタイ519・新改訳2017)とも語られました。→参照(2コリント510)。

 19.21a.b節には、「19 エジプトは荒廃し、エドムは滅びの荒れ野となる。ユダの人々を虐げ、その国で、罪なき者の血を流したからだ。21 わたしは彼らが流した血の復讐をする。必ず復讐せずにはおかない。」とあります。
主の主権を認めず、悪い種を蒔いたものは、悪い実を刈り取るのです(ガラテヤ67)。

20.21c
節には、「20 しかし、ユダはとこしえに、エルサレムは代々にわたって、民の住むところとなる。21・・。・・。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はシオンにすまわれる。」とあります。
 「ユダはとこしえに、エルサレムは代々にわたって、民の住むところとなる。」とあります。
キリストの千年王国時代のイスラエルの民が住む場所は、エゼキエル4713-4835に記されています。

 現在のエルサレムとキリストの千年王国時代のエルサレムとでは標高やその他様々な違いがあります。
更に、キリストの千年王国が終わり、今の天地が滅びて、新天新地の時代になると、エルサレムは更に変わります。
新天新地の新エルサレムは、私たちキリスト者の住居でもあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様は、天において、私たちの住まいを用意してくださっておられますからありがとうございます。
地においては、私たちの内に住んでくださっておられますことを感謝します。
また、日々の力、助け、慰め、真理の解き明かし、・・・等々を聖霊様が私たちの内におられて担ってくださっておられますことを感謝します。
三一の主なる神様がとこしえにほめたたえられますように。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年4月 8日 (水)

ヨエル4:9-15{(ヘブライ語聖書、新共同訳、聖書協会共同訳、岩波訳)/新改訳、口語訳、リビングバイブルは、ヨエル3:9ー15} 主に敵対する諸国民への裁き3/ハルマゲドン

 9-15節を新改訳2017は、
9 「国々の間で、こう叫べ。聖戦を布告せよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。10 あなたがたの鋤を剣に、あなたがたの鎌を槍に打ち直せ。弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ。11 周りのすべての国々よ。急いで来て、そこに集まれ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、あなたの勇士たちを下らせてください──12 諸国の民は立ち上がり、ヨシャファテの谷に上って来い。わたしがそこで、周辺のすべての国々をさばくために、座に着くからだ。」13 鎌を入れよ。刈り入れの機は熟した。来て、踏め。踏み場は満ちた。石がめはあふれている。彼らの悪がひどいから。14 判決の谷には、群衆また群衆。主の日が判決の谷に近づくからだ。15 太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。”と記しています。

 この箇所は、2節の前半部分の「わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷〔裁きの谷=イズレエルの谷=イズレエルの平野(筆者挿入)〕に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。」(新改訳2017)と関係しています。これはいわゆる(俗に言う)ハルマゲドンです。
2
節の前半に関しては二日前のブログに詳しく書いておきました。
今日の箇所に関連する黙示録の預言聖句を下記します。

 黙示録1613-16には、
13 また、私は竜〔サタン=悪魔(筆者挿入)〕の口と獣〔大患難時代の政治的軍事的世界指導者であり反キリスト(筆者挿入)〕の口、また偽預言者〔世界統一宗教のリーダー(筆者挿入)〕の口から、蛙のような三つの汚れた霊が出て来るのを見た。14 これらは、しるしを行う悪霊どもの霊であり、全世界の王たちのところに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを召集するためである。15 ──見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである──16 こうして汚れた霊どもは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所に王たちを集めた。”(新改訳2017)と記されています。

 黙示録1714には、
“彼らは子羊に戦いを挑みますが、子羊は彼らに打ち勝ちます。子羊は主の主、王の王だからです。子羊とともにいる者たちは、召されて選ばれた忠実な者たちです。”(新改訳2017)と記されています。

 黙示録1911-21には、
11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方〔主キリスト(筆者挿入)〕は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。12 その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。13 その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。17 また私は、一人の御使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛んでいるすべての鳥たちに言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。18 王たちの肉、千人隊長の肉、力ある者たちの肉、馬とそれに乗っている者たちの肉、すべての自由人と奴隷たち、また小さい者や大きい者たちの肉を食べよ。」19 また私は、獣と地の王たちとその軍勢が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。20 しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。”(新改訳2017)と記されています。

 黙示録以外で、今日の箇所と関連する聖書箇所として、
 使徒1042には、
“そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。”(新改訳2017)と記されています。

 ヨエル39-11の前半部分の、「9 国々の間で、こう叫べ。聖戦を布告せよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。10 あなたがたの鋤を剣に、あなたがたの鎌を槍に打ち直せ。弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ。11 周りのすべての国々よ。急いで来て、そこに集まれ。」{(新改訳2017)新共同訳は49-11前半部分}という箇所は、様々な封印の裁き、即ち、大きな戦争、ひどい疫病、ひどい飢饉、水の汚染、多量の隕石の落下、その他様々な災いの中にあっても死なずに来たイスラエル以外の諸国の人たちのことです。主に敵対する(故にイスラエルにも敵対する)国々の民を集めることを、主が、サタンに許可したのです。
それが、黙示録1613.14.16に記され、また、集められた主に敵対する諸国の人々に対して、「あなたがたの鋤を剣に、あなたがたの鎌を槍に打ち直せ。弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ」(ヨエル3章・新改訳2017)と10節に記されているのです。
 余談になりますが、この箇所を、キリスト者たちに対して使って鼓舞することがありますが、この箇所の文脈からは、主に従わない者たち(反キリストに従う者たち)で、かつ、心弱い者たちに対して語られている言葉です。キリスト者を鼓舞するときには、士師記のギデオンの箇所の方が良いのではないかと思います。

 預言者ヨエルは、この預言を頂いて、つい、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、あなたの勇士たちを下らせてください」(11節後半)と語ったのではないかと思います。
 ここの「勇士たち」とは誰でしょうか?
勇士たちは下って来るので「天」にいます。
黙示録によると、その勇士たちは、「天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。」(黙示録1914)とあり、黙示録とヨエル書を合わせ読むと、この勇士たちとは天使たちではないように思われます。とすると、「白くきよい亜麻布を着」た人たちは、キリストの花嫁です。キリストの花嫁とは天に上げられたキリスト者たち全部です。それこそまことの霊的エクレシア(教会)です。
 黙示録196-8には、
6 また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。8 花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」”(新改訳2017)と記されています。

 キリストの花嫁は、花嫁だからと言って、おしとやかだけではありません。結構勇敢です。
それもそのはずで、天に上げられたキリスト者の体は霊の体であり、原爆でも水爆でも怖くないのです。キリスト者の霊の体は永遠に滅びることがありません。

 ヨエル312-14の箇所は、二日前のブログと抱き合わせで読んでください。
ここでは省略します。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
黙示録の預言の内容の多くは新しいものではなく、旧約聖書のあちらこちらに分散されて預言されている内容を、主が使徒ヨハネに、旧約時代には奥義であった教会時代のことをも含め、その後の大患難時代のこと、キリストの千年王国時代のこと、永遠に続く新天新地時代のことの全体を見せられ、記させたものであることを覚えます。
私たちは、今、それらをすべて読むことが出来、また、真理の御霊が教え導いてくださいますから感謝します。
私は、主に従って戦に臨むのは、今は嫌ですけれども、義の衣を着せられると、義の執行のお手伝いをするようになるのだろうと想像します。
或いは、ギデオンのように、弱い心なので、「大勇士よ」と言われて強められて出て行くのでしょうか。
よく分かりませんが、主のなさることは最善なので、主にお従いします。
御名の栄光が輝きわたることを喜びつつ主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年4月 7日 (火)

ヨエル4:4-8{(ヘブライ語聖書、新共同訳、聖書協会共同訳、岩波訳)/新改訳、口語訳、リビングバイブルは、ヨエル3:4ー8} 主に敵対する諸国民への裁き2/蒔いたものは刈り取る 

 ヘブライ語聖書のヨエル44-8を新改訳2017はヨエル34-8に、
4 ツロとシドン、またペリシテの全地域よ。おまえたちは、わたしにとって何なのか。わたしに報復しようとするのか。もしわたしに報復しようとしているなら、わたしはただちに、速やかに、おまえたちへの報いをおまえたちの頭上に返す。5 わたしの銀と金をおまえたちが奪い、わたしのすばらしい財宝をおまえたちの神殿〔宮殿(岩波訳)〕へ運び、6 ユダの人々とエルサレムの人々をギリシア人に売って、彼らの領土から遠く離れさせたからだ。7 見よ。わたしは、おまえたちが彼らを売ったその場所から彼らを呼び戻して、おまえたちへの報いをおまえたちの頭上に返し、8 おまえたちの息子、娘たちをユダの人々に売り渡す。彼らはこれを、遠くの異邦の民シェバ人に売る。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。」”と記しています。

 この預言が何時を対象とするものなのか?
既に終わった歴史上のこととも思えません。それは5節の聖句によります。
エルサレム神殿の物を他国が奪ったということはありましたが、それを行ったのは、バビロンとローマです。
それ故、これは未来に起こることなのだろうと思います。
エルサレムに第三神殿が立つのは、これからのことです。
その第三神殿に獣(反キリスト)の像が立つのが、キリストの地上再臨の3年半前です(ダニエル927)。イエス様が、「15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」(マタイ24章・新改訳2017)と語られた時のことです。

 ダニエル927の聖句の中に、「・・・。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。・・・。」(新改訳2017)と記されています。
「忌まわしいものの翼」とある「忌まわしいもの」とは、恐らく獣の像(反キリストの像)であろうと思います。それは黙示録1314.15に述べられていますが、未来のこの時代、即ち大患難時代の真ん中から後半にどのようなことが起こるのかを、黙示録13章は述べています。その中から、11-18節を下記します。
11 また私は、別の獣〔大患難時代の世界的宗教指導者(筆者挿入)〕が地から上って来る〔登場する(筆者挿入)〕のを見た。それは、子羊の角に似た二本の角を持ち〔いわゆるキリスト教系の教職者なのでしょう(筆者挿入)〕、竜〔サタン(筆者挿入)〕が語るように語っていた。12 この獣は、最初の獣〔反キリスト即ちこの時代の世界のリーダー(筆者挿入)〕が持っていたすべての権威を、その獣の前で働かせた。また、地と地に住む者たちに、致命的な傷が治った〔キリストが死からよみがえったことの真似(筆者挿入)〕最初の獣を拝ませた。13 また、大きなしるしを行い、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。14 また、この獣は、あの獣の前で行うことが許されたしるしによって、地に住む者たちを惑わし、剣の傷を受けながらも生き返ったあの獣の像を造るように、地に住む者たちに命じた。15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし〔今すでにロボットがしゃべるようになっています(筆者挿入)〕、また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。16 また獣は、すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた〔いわゆるバーコードのようなものでしょう(筆者挿入)〕。17 また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。18 ここに、知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である〔獣の名前はゲマトリアで666になるのでしょう(筆者挿入)〕。”(新改訳2017)と記しています。
 黙示録はギリシア語で書かれていますが、ギリシア語とヘブライ語は、ゲマトリアといって、例えば、ヘブライ語であれば、アレフは1、ベートは2、・・・、タヴは400というようにアレフベートに数字が割り当てられています。ギリシア語の場合は、アルファは1、ベータ―は2、・・・・、シグマは200、・・・、オメガは800、・・。というように。

 4節には「ツロとシドン」とありますが、これらの都市は、現在のイスラエルの北側のレバノン国の中にあり、かつ南側の地域です。現在はヒズボラの支配地域であり、ヒズボラはイランの支配下に置かれているようなイスラム武闘派組織です。ヒズボラは、今までにもイスラエルに攻撃を仕掛けたことが幾度もあり、現在もイスラエルを攻撃するためのロケット(ミサイル)を相当数保有しています。

 イスラエルは、近い将来、ロシア、イラン、トルコ、リビア、スーダン、その他の軍隊によって攻撃されるとエゼキエル38章に預言されています。恐らくヒズボラはその他の軍隊(テロ組織)に含まれているのでしょう。この出来事は反キリストによる主を信じる者に対する攻撃とは別ものです。

 携挙されたキリスト者は、反キリストが世界的権威を持つところを見ることはないでしょう。
それは、2テサロニケ2章に、
3 どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教〔原語は「アポスタシア」で、①背教、(その場から)離れること、即ち②携挙ともとれます。私は一つの単語で二つの意味を表しているのではないかと思います。背教が起こり携挙も起こる、というように{筆者挿入}〕が起こり、不法の者、すなわち滅びの子〔反キリスト=獣(筆者挿入)〕が現れなければ、主の日〔主の裁きの日(筆者挿入)〕は来ないのです。4 不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮〔これから建てられるユダヤ教の第三神殿(筆者挿入)〕に座ることになります(ダニエル927、マタイ2415、黙示録13章)。5 私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話していたのを覚えていませんか。6 不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているもの〔地上に存在してるキリスト者の総体の中に働く聖霊(筆者挿入)〕があることを、あなたがたは知っています。7 不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者〔聖霊を内住しているキリスト者の総体、即ち生ける教会(筆者挿入)〕が取り除かれる時〔キリストの空中再臨に伴う携挙(筆者挿入)〕までのことです。8 その時になると、不法の者〔獣=反キリスト(筆者挿入)〕が現れます〔ダニエル724.25927、黙示録131-7(筆者挿入)〕が、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます〔ダニエル726、黙示録1911-21(筆者挿入)〕。”(新改訳2017)と記されているからです。

 ユダヤ人が売られる、ということが6節にありますが、それは、ゼカリヤ141.2の、
1見よ、主の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。2「わたしはすべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。都〔エルサレム(筆者挿入)〕は取られ、家々は略奪され、女たちは犯される。都の半分は捕囚となって出て行く〔売られるということでしょう(筆者挿入)〕。しかし、残りの民〔主の救いにあずかる者(筆者挿入)〕は都から絶ち滅ぼされない。」”(新改訳2017)と記されている預言とも一致します。

 主の救いにあずかる者たち即ち残りの者(残された者、レムナント)のために、主は戦いの大天使ミカエルを遣わすのです。
「ミカエル」という語を分解すると、ミ・カ・エルとなり、神のような者はだれか(誰が神のようなものなのか)、となります。ミカエルは強いのです。
ダニエル121には、「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民〔ダニエルの民、即ちユダヤ人(筆者挿入)〕で、あの書に記されている者はみな救われる。」(新改訳2017)と預言されています。

 7節には、「・・わたしは、・・・、おまえたちへの報いをおまえたちの頭上に返し」と記されています。
これは、ガラテヤ67の「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。」(新共同訳)と記されている事柄です。

 人でも国でも蒔いたものは刈り取るのです。もし、この世で刈り取ることをしなかったように見える人でもやはり刈り取るのです。
ローマ623には、「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(新改訳2017)と記されています。
言い換えると、罪を蒔いたら、死を刈り取る、ということです。しかし、イエス・キリスト様を信じると(心にお迎えすると)、その刈り取りは、永遠の命なのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様を信じさせて頂き、永遠のいのちを得させて頂いておりますことを感謝します。
感謝しつつ、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年4月 6日 (月)

ヨエル4:1-3{(ヘブライ語聖書、新共同訳、聖書協会共同訳、岩波訳)/新改訳、口語訳、リビングバイブルは、ヨエル3:1ー3} 主に敵対する諸国民への裁き1 

 ヨエル41.2を新共同訳は、
1 見よ、ユダとエルサレムの繁栄を回復するその日、その時。2 わたしは諸国の民を皆集め、ヨシャファト(主の裁き)の谷に連れて行き、そこで、わたしは彼らを裁く。わたしの民、わたしの所有であるイスラエルを、彼らは諸国の民の中に散らし、わたしの土地を自分たちの間に分配したからだ。”と記しています。

 1節の「ユダとエルサレムの繁栄を回復するその日」というのは、
①ユダとエルサレムにとってはキリストの千年王国に移行する回復の時ですが、
②イスラエルを攻撃する諸国にとっては、この世の終わりの時です。

 2節の前半には、「わたしは諸国の民を皆集め、ヨシャファト(主の裁き)の谷に連れて行き、そこで、わたしは彼らを裁く。」とあります。
「ヨシャファト」とは、ユダ王国の王であり、在位期間はB.C.870-848年でした。
「ヨシャファト」をヘブライ語で読むと、「イェホシャファト」になります。
ヤハウェのヘブライ語を英字アルファベットに置き換えると、Y H W(or V) Hとなり、これに母音記号を付けると、母音記号の違いによって、「ヤハウェ」or「ヤーウェ」or「ヤハヴェ」or「ヤーヴェ」or「エホバ」(イェホヴァー)となります。
「ヨシャファト」即ち「イェホシャファト」の「イエホ」は、英字に置き換えると、Y H V(W)で、「ヤハウェの意です。「シャファト」は、裁くことor裁きをすること、の意です。
「イェホシャファト」即ち「ヨシャファト」は、ヤハウェ(主)の裁き、ヤハウェ(主)は裁かれる、の意です。

「ヨシャファトの谷」とは、エルサレムとオリーブ山の間の谷のこと、即ちキドロンの谷のことを言いますが、「ヨシャファトの谷」を「主の裁きの谷」と訳すと、キドロンの谷と決定する必要がなくなります。

 主の地上における最終裁きの始まりについて、黙示録には、まず主とイスラエルに敵対する諸国の軍隊が、ハルメギド{(メギドの丘(山))ハルマゲドン}に集められると預言されています。それは、
12 第六の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水がかれて、日の出る方角から来る王たちの道ができた。13 わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。14 これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。15 ――見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。――16 汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。”(黙示録16章・新共同訳2017)と記されています。

「ハルマゲドン」をエスドラエロン(イズレエル)平原を見下ろすメギドの丘(山)、と捉えると、そこにあるエスドラエロン(イズレエル)平原は広く、聖書辞典によると、「エスドラエロンはヨルダン峡谷に次ぐ大平原で,カルメル山脈を底辺とし,タボル山を頂点とする一辺およそ33キロの正三角形の平野である.面積はおよそ250平方キロメートル」と記され、また、「聖書ではイズレエルの谷(ヨシ1716)ともメギドの平地(23522)とも呼ばれている」と記されています。
(新改訳第三版は「イズレエルの谷」と訳し、新改訳2017は「イズレエルの平野」と訳しています)

 さて、ヨシャパテの谷、即ち裁きの谷とは、イズレエルの谷(平野)なのか、キドロンの谷なのか、ということになりますが、ヨエル42によると、「わたしは諸国の民を皆集め」{(新共同訳)新改訳は32}とありますから、キドロンの谷では狭すぎるように思います。
この時代、携挙されたキリスト者は天にいるので、携挙された者たちにとってはどうでもよいことであるかも知れませんが、まだ地上にいる人たちのために、しっかりと書いておきたいと思います。それは、聖書の語っていることは本当なのだということを分かってもらうために。
 これらの戦争が終わった後には、マタイ2531-46に記されている羊グループと山羊グループに分けられる裁きがあります。大患難時代に、主に従った聖徒やユダヤ人たちに無意識のうちに良くしてあげた人はキリストの千年王国に入れるのです。それ故、携挙後の預言についても書いていこうと思うのです。

 ヨエル42節後半から3節には、「2 ・・・。わたしの民、わたしの所有であるイスラエルを、彼らは諸国の民の中に散らし、わたしの土地を自分たちの間に分配したからだ。3 彼らはわたしの民の運命をくじで定め、遊女を買うために少年を売り渡し、酒を買うために少女を売った。」(新共同訳)とあります。
 大患難時代の後半にはこのようなことが起こるのであろうと思います。
黙示録1813には、売買商品の項目の中に、奴隷、人のいのち、というものがあります。
また、ゼカリヤ141-3には、
1 見よ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。2 「わたしはすべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。都は取られ、家々は略奪され、女たちは犯される。都の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は都から絶ち滅ぼされない。」3 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。”(新改訳2017)と記されています。
 この箇所を読むと、ヨエル33{(新改訳)新共同訳は43}の出来事も頷けます。
また、イズレエルの谷に集められた諸国の軍隊の内、そこで滅ぼされなかった、兵隊たちはエルサレムめがけて攻めて来ることも分かります。その人たちは、主の裁きによってキドロンの谷に死すことになるのであろうと思います。
黙示録1419.20の裁きは、イズレエルの谷でのことかもしれないと想像します。

 黙示録1911-21には、
11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方〔主キリスト(筆者挿入)〕は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。12 その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。13 その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。17 また私は、一人の御使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛んでいるすべての鳥たちに言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。18 王たちの肉、千人隊長の肉、力ある者たちの肉、馬とそれに乗っている者たちの肉、すべての自由人と奴隷たち、また小さい者や大きい者たちの肉を食べよ。」19 また私は、獣と地の王たちとその軍勢が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。20 しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。”(新改訳2017)と記されています。

 黙示録1911-21の出来事の前に、天において、天にいるキリスト者は、キリストとの婚宴を済ませているのです。恵みの時代に主イエス様を信じ(or信じさせて頂き)、主の現れを待ち望んでいる人たちはなんと幸いなことであろうかと思います。誰でも、イエス様を信じ、イエス様の現れを待ち望んでいる人は、この恵みに漏れることはありません。今からでも遅くないのです。しかし、やがて恵みの時代は閉じられます。まだイエス様を信じていない人は1日も早くイエス様を信じてください。お願いします。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたの裁きが執行される前に、私たちが救われてほしいと願っている人たちが救われますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年4月 5日 (日)

ヨエル3:1-5{(ヘブライ語聖書、新共同訳、聖書協会共同訳、岩波訳)/新改訳、口語訳、リビングバイブルは、ヨエル2:28-32} 終わりの日 携挙

 ヨエル31-5を新共同訳聖書は、
1 その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。2 その日、わたしは、奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。3 天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。4 主の日、大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。5 しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように、シオンの山、エルサレムには逃れ場があり、主が呼ばれる残りの者はそこにいる。”と記しています。 

 ヨエル228-32を新改訳2017は、
28 その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。29 その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。30 わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。31 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。32 しかし、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御名を呼び求める者はみな救われる。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が言ったように、シオンの山、エルサレムには逃れの者がいるからだ。生き残った者たちのうちに、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が呼び出す者がいる。」”と記しています。

 ヨエル223には、「シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。」(新改訳2017)とありました。
 ここでの「雨」は、霊的には「聖霊」を暗示しています。
シオンの子ら、即ちエルサレムの子ら、ユダヤ人の上に、主は、二度にわたって聖霊を豊かに注いでくださるというのです。

 ヨエル31-5(ヘブライ語聖書)は、ペンテコステの日に、使徒ペテロが引用したことで有名な箇所ですが、その時、ペテロは、
17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』」(使徒2章・新改訳2017)と語ったと記されています。

 「終わりの日」について、啓示の漸進性という観点から捉えると、パウロやペテロやヨハネは、キリストの初臨をもって始まっていると述べています(2テモテ312ペテロ331ヨハネ218)。
人間の感覚では、キリストの初臨から既に約二千年以上経っているので、キリストの初臨の頃を「終わりの日」ということについて、受け入れがたいと思う人もいるかもしれませんが、神にとっては、千年は1日のようであり、1日は千年のようなのだそうです(2ペテロ38)。
 また、「終わりの日」とは、この世の終わり(人が人を支配する世界の終わり)の日の意味でも用いられます(イザヤ22、ホセア35)。またそれ以外にも、歴史の中に見られる主の裁きの介入の時に使われることがあります(ダニエル819)。

 使徒の働きの2章には、ペンテコステの日に、主の弟子たちが、「聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた」(使徒24・新改訳2017)と記されています。
トマスを除く10人の使徒たちは、主イエス様の復活の夕方、すでに主イエス様から聖霊を受けました(ヨハネ2022)が、ペンテコステの日には、聖霊が下って、弟子たちが勉強したことのない色々な外国の言葉を、弟子たちは御霊が語らせるままに語ったのです。

 その時の人々の反応は、色々でしたが、中には、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいたのです。そこで、ペテロは、ヨエル書から引用して、「17 神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。」(使徒2章)と弁明したのです。
彼らは、働きから言うと、主のしもべでした。その主のしもべが聖霊によって外国語で預言したのです。

 この聖霊降臨は、終わりの日の初めの雨でした。
豊かな聖霊の働きの下、主を信じるユダヤ人たちが、ペンテコステの日には、1日で3000人の人が悔い改めてイエス様を信じたのです。
その後も、ユダヤ人たちの中から救われる人たちが起こされ、また祭司やレビ人の中からも救われる人たちが起こされました(使徒43667)。

 しかし、初代教会時代の内に、ユダヤ人に対する初めの雨はやんでしまいました(使徒2828)。

 さてユダヤ人たちに対する後の雨はいつ降るのでしょう。
今すでに、人が人を支配するという意味での終わりの日の期間に入りつつあるのではないかと思います。まもなくイエス様が人間を支配する時代が始まるのではないか、今はその産みの苦しみの期間なのではないかと私は思います(マタイ241-8)。
現代イスラエルには、ユダヤ教から改宗して、イエス様を信じて歩んでいる人たちが起こされています。
後の雨が大量に降り注ぐのは、恐らく主の地上再臨の時でしょう。
その時の聖霊の働きは目を見張るものがあります(ゼカリヤ129-14)。
新共同訳のヨエル35には、「・・主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように
シオンの山、エルサレムには逃れ場があり、主が呼ばれる残りの者はそこにいる。」と預言されています。

 しかしその前には、ヨエル33.4に、「3 天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。4 主の日、大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。」(新共同訳)と預言されているように、大いなるおそるべき日が来るのです。

 黙示録6章に、
12 また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。14 天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。15 地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。16 そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。17 神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」”(新改訳2017)と記されていますが、これはヨエル33.4の預言と関係する平行個所であろうと思います。

 これらの後、反キリスト(荒らす忌むべきもの)が、これから立てられるユダヤ教の第三神殿に立つのです。
その時のことをイエス様は、「15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。」(マタイ24章・新改訳2017)と述べました(→ダニエル927)。
このことが起きてから3年半後に、主キリスト・イエス様は、地上に再臨されるのです。
黙示録の2.3章で教会時代は終わります。
黙示録6章から19章までは、大患難時代で、主が地を裁かれるときですが、もう一方、このことを通してイスラエル人たちが悔い改めてイエス様を信じ、救われるためのものでもあるのです。

 この時のことを預言者エレミヤは、
1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕からエレミヤにあったことばは、次のとおりである。2 イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「わたしがあなたに語ったことばをみな、書物に書き記せ。3 見よ、その時代が来る──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。そのとき、わたしはわたしの民イスラエルとユダを回復させる──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──。わたしは彼らを、その父祖に与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」4 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がイスラエルとユダについて語られたことばは次のとおりである。5 まことに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「恐れてわななく声を、われわれは聞いた。『恐怖だ。平安がない』と。6 さあ、男に子が産めるか、尋ねてみよ。なぜ、わたしは勇士がみな産婦のように腰に手を当てているのを見るのか。また、どの顔も青ざめているのを。7 わざわいだ。実にその日〔時代or期間(筆者挿入)〕は大いなる日、比べようもない日。それはヤコブには苦難の時。だが、彼〔ユダとイスラエル(筆者挿入)〕はそこから救われる。”(新改訳2017)と預言しています。

 パウロは、ローマ11章に、
25 兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、26 こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。27 これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。”(新改訳2017)と記しています。

 主を待ち望んでいるキリスト者は、今日のヨエル33.4(新共同訳)以前に、即ち教会時代の終わりに携挙されています。それはキリストの空中再臨の時です。(1テサロニケ416.17、ヘブル928

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
携挙に漏れてしまわないように、日々主と共に歩み続ける私たちであらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年4月 4日 (土)

ヨエル2:15-27 悔い改めと主の祝福

 ヨエル215-17には、
15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食を布告し、きよめの集会を召集せよ。16 民を集め、会衆を聖別せよ。老人たちを呼び集め、幼子と乳飲み子たちを集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。17 神殿の玄関と祭壇の間で、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕える祭司たちは泣いてこう言え。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、あなたの民にあわれみをかけてください。あなたのゆずりの地を、国々のそしりの的、物笑いの種としないでください。諸国の民の間で、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。」”(新改訳2017)と記されています。

 主の日、即ち、主の裁きの日の預言は、すでになされてきました。
その預言に触れた時、どうすればよいのでしょう。
ただ、「アーッ、一巻の終わりだ」、と言って嘆いているのではなく、
悔い改めと嘆願の集会に全員が出席し、悔い改めと嘆願の祈りをしなさい、と教えてくれています(15.16)。

 17節は、御心に適う祭司の祈りとは、どのようなものなのかということを教えてくれています。
17
節に記されている内容は、
①主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、あなたの民にあわれみをかけてください。
②あなたのゆずりの地を、国々のそしりの的、物笑いの種としないでください。
③諸国の民の間で、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。
というものです。
主の民に憐れみをかけてください、ということと、主の御名が汚されないように、ということです。

 少し脱線しますが、
出エジプトした民が、荒野で、偶像を造り、それを礼拝した罪の故に、主(ヤハウェ)は、イスラエルの民を滅ぼす、とモーセに告げられたときががありました。その時のモーセのとりなしの祈りが出エジプト3211-13に記されていますが、714節を下記します。
7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はモーセに言われた。「さあ、下りて行け。あなたがエジプトの地から連れ上ったあなたの民は、堕落してしまった。8 彼らは早くも、わたしが彼らに命じた道から外れてしまった。彼らは自分たちのために鋳物の子牛を造り、それを伏し拝み、それにいけにえを献げ、『イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から導き上った、あなたの神々だ』と言っている。」9 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はまた、モーセに言われた。「わたしはこの民を見た。これは実に、うなじを固くする民だ。10 今は、わたしに任せよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がり、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とする。」11 しかしモーセは、自分の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に嘆願して言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から導き出されたご自分の民に向かって、どうして御怒りを燃やされるのですか。12 どうしてエジプト人に、『神は、彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ』と言わせてよいでしょうか。どうか、あなたの燃える怒りを収め、ご自身の民へのわざわいを思い直してください。13 あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたはご自分にかけて彼らに誓い、そして彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のように増し加え、わたしが約束したこの地すべてをあなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれをゆずりとして受け継ぐ』と言われました。」14 すると主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、その民に下すと言ったわざわいを思い直された。”(新改訳2017)と記されています。

 モーセは、主(ヤハウェ)を知り、主を愛し、民を愛していましたから、主から祈り方を教えてもらわなくても上記のように、主の御名が汚されないように、ということと、罪を犯したイスラエルの民の救いのために、祈りをささげました。

  話を元に戻します。
ヨエルはユダ王国(南イスラエル)に遣わされた預言者でした。
ユダ王国の民は、主の預言者の勧めに従って、皆悔い改めたのであろうと思います。
 その結果は、主からの祝福でした。それが1827節に、
18 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民を深くあわれまれた。19 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は民に答えられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油をあなたがたに送る。あなたがたはそれで満ち足りる。わたしは二度とあなたがたを、国々の間でそしりの的としない。20 わたしは、北から来るものをあなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやる。その前衛を東の海〔死海(筆者挿入)〕に、その後衛を西の海〔地中海(筆者挿入)〕に。その悪臭は立ち上り、その腐った臭いは立ちこめる。主〔原語は「彼」(筆者挿入)〕が大いなることを行ったからだ。」21 地よ、恐れるな。楽しみ、喜べ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が大いなることを行われたからだ。22 野の獣たちよ、恐れるな。荒野の牧草が萌え出で、木が実を実らせ、いちじくとぶどうの木が豊かに実る。23 シオンの子らよ。あなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕にあって、楽しみ喜べ。主は、義のわざとして、初めの雨〔秋の雨(筆者挿入)〕を与え、かつてのように、あなたがたに大雨〔冬の雨(筆者挿入)〕を降らせ、初めの雨〔秋の雨(筆者挿入)〕と後の雨〔春の雨(筆者挿入)〕を降らせてくださる。24 打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油であふれる。25 「いなご、あるいは、バッタ、その若虫、噛みいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が食い尽くした年々に対して、わたしはあなたがたに償う。26 あなたがたは食べて満ち足り、あなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名をほめたたえる。主があなたがたに不思議なことをするのだ。わたしの民は永遠に恥を見ることがない。27 あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であり、ほかにはいないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。”(新改訳2017)と記されています。

 このような祝福は、主に対してへりくだり、常に主を崇め、主の御教えに従った歩みをするときに継続されますが、ユダ王国は、その後、それとは反対の歩みをし、バビロンへ捕囚となりました。

 27節には、「あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であり、ほかにはいないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。」とあります。
主を愛し、主に信頼して歩む人は、永遠に恥を見ることがなく、永遠に祝福されるのです。
 詩篇3718.19には、「18 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は全き人の日々を知っておられ彼らのゆずりは永久に続く。19 彼らはわざわいのときにも恥を見ず飢饉のときにも満ち足りる。」(新改訳2017)と記され、
 イザヤ4923には、「・・。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」(新改訳2017)と記されています。
「恥をみる」と訳されている語の原語は、「ブーシュ」で、青白い、(顔が)青ざめる、恥をかかせられる、等の意があります。ヨエル227の文中の「ブーシュ」は未完了形で、その前に「ロー」というnotの意の語があります。
「主を待ち望む者」(イザヤ4923)は、主を信頼しているので、「主を待ち望む」ことが出来るのです。
 「全き人」(詩篇3718)の「全き」と訳された語の原語は、「ターミーム」で、全体の、無傷の、完全な、・・・等の意がありますが、キリスト者は、キリストのゆえに御父のみ前で、法的には「無傷」です(エペソ14.7参照)。また、「全き」or「完全」という語と関連している聖書の聖句は、「信仰」と「愛」です(創世記117、マタイ548)。
それ故、キリストの尊い御血によって罪赦され、主を愛し、主に信頼し続ける者は、恥を見ることが無いのです。

<お祈り>
天のお父様。
ヨエル213に記されているように、あなたは、「情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる」お方ですから、あなたの御名を崇めます。
あなたのみ旨から外れた言動をした時には、1ヨハネ19の「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」という御言葉を思い浮かべ、犯した罪を告白して、いつもあなたとの間に隔てのない生き方をし続けることができますよう祝福してください。
 また、27節には、「あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、・・・」とありますが、私たちイエス様を信じる者の内に、主が住んでくださっておられますから大感謝です。
大いに感謝しつつ、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年4月 3日 (金)

ヨエル2:12-14 悔い改めへの招き/救われるための第一歩は、主に対してへりくだり、悔い改めて主イエス様を信じること

 ヨエル212-14には、
12 「しかし、今でも──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──心のすべてをもって、断食と涙と嘆きをもって、わたしのもとに帰れ。」13 衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。14 もしかすると、主が思い直してあわれみ、祝福を後に残しておいてくださるかもしれない。あなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)への穀物と注ぎのささげ物を。”(新改訳2017)と記されています。

 ヨエル211dには、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。〕(新改訳2017)と記されていました。
この聖句を読むと震えあがる人がいると思います。
その人は健全であると思います。
イエス様は、世の終わりについて、弟子たちに、「そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」(マタイ2421・新改訳2017)と語られました。

 大きな苦難(大患難)に遭いたくなかったら、その時が来る前に、というか直ちに主に立ち返ること、即ち主イエス・キリスト様を信じることが必要なのです。
 イエス(ヘブライ語では、イェシュア、イェホシュア)というお名前自体が、ヤハウェは救い、ヤハウェは救う者、の意なのです。
 キリスト(メシヤ)は、油注がれた者、の意です。
「油」は霊的には、御霊を指します。
使徒ヨハネは、「神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。」(ヨハネ334・新改訳2017)と述べています。
 御子イエス様は、神でありながら、神の在り方を封印し(ピリピ26.7)、人として、御霊に満ち溢れて地上生涯を送られ、私たち人間の手本となられたのです。
 ペテロがコルネリオとその家の者たちに語った宣教のことばの中に、「つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。」(使徒1038・新共同訳)という箇所があります。

 イエス様が、神のひとり子である御子として、元来もっている神の力によって宣教し、業を行ったのでは、キリスト者が見習うべき模範とはなりません。
 キリスト者も主の霊によって主イエス様と似た働き(信仰の度合いによって幅があります)をすることが出来ることを主イエス様は示したのです。
 また、イエス様は、イエス様以上の働きをするキリスト者も現れることを述べました。
ヨハネ1412には、「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」(新改訳2017)と記されています。
このような信仰が与えられた人は、そのような働きをすることでしょう。但し、それは主に在って、のことです。
信仰は主からの賜物ですから、無理やりその様でなくてはならない、と考える必要もありません。
ローマ123には、「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量り(はかり)〔「度合」(新共同訳)。直訳は「ものさし」(筆者挿入)〕に応じて、慎み深く考えなさい。」(新改訳2017)と記されています。

 初めから脱線してしまいましが、本文に戻ります。
ヨエル書は旧約聖書ですが、新約的に置き換えて話を進めます。
この箇所のポイントは、イエス様のもとに立ち返れ、ということです。
イエスは「主」なのです。
ローマ109には、「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」(新改訳2017)と記されています。
 
 イエス様は、御父と共に万物の創造者です。万物の中には当然ですが「人」も入ります。
イエス様が、「人」をつくらなければ、人は存在しないのです。
イエス様は、人をつくる前に、人が住める環境をお造りになられました。創世記1章を読めば分かります。
 イエス様は、この宇宙を保持しています(ヘブル13)。
主は、この宇宙を一瞬にして崩壊させることもできるのです(2ペテロ310)。
主は、現在の宇宙を無き物とした後、新天新地を創造なさいます(イザヤ6517、黙示録211)。
 
 このような偉大な御力を持った方を「主」と呼ばないで、イエスなどいらない、ということは恐ろしいことです。
 すべての人の裁き主は、主イエス様です。
ヨハネ522には、「父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました。」(新改訳2017)と主イエス様は語られました。

 しかし、主イエス様は、人を救いたいので、イエス様自ら、すべての人の罪を負って十字架にかかられ、血を流して死んでくださったのです(1ペテロ222-24、ヘブル922)。そのことによって、イエス様を信じる者は罪が赦されたのです(エペソ28)。イエス様を信じた人はよみ(ルカ1623)へ、更には火の池へ行くか行かないかの裁き(黙示録2013-15)によっては、裁かれることはなくなったのです(ヨハネ318)。

 イエス様は、死んで終わりではありませんでした。
十字架上の死によって罪の赦しを与えることを可能とした後、三日目に復活されたのです。
イエス様が復活されたので、イエス様を信じる者も新しく(or再び)生まれることが出来ました(新生)。神からの霊の誕生です。故に神の子どもなのです。(1ペテロ13、ヨハネ33.61ヨハネ31.244、ヨハネ112

 話を少し前に戻しますが、イエス様が万物をつくられたことについて、パウロは、
15 キリストは、目には見えない神のかたちであり、神がすべてのものをお造りになる前からおられました。16事実、キリストはすべてのものの創造者なのです。天にあるものも地にあるものも、目に見えるものも見えないもの〔天使等も含まれる(筆者挿入)〕も、霊の世界の王座も主権も支配も権威もすべて、この方〔御子イエス・キリスト様(筆者挿入)〕がご自身の目的と栄光のために造られたのです。17 キリストは他のすべてのものに先立って存在し、すべてのものは、キリストによって成り立っています。」(コロサイ1章・リビングバイブル)と述べています。

 このイエス様が、「主」でなくて何でしょう。
しかし、「聖霊様の助けがなければ、だれも、ほんとうの意味で、『イエスは主です』と告白できない」(1コリント123・リビングバイブル)のです。

 主は、主なる神様に対して、へりくだった人に恵みを与えられるのです。
その最初の恵みの一つが、悔い改めです。
使徒1118に、“人々はこれを聞いて沈黙した。そして「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。”(新改訳2017)という主に在る兄弟姉妹たちの言葉が記されています。
これは、異邦人で最初に救われたコルネリオとその家族たちに関する宣教報告の席でのことでした。

<お祈り>
天のお父様。
あなたは、あなたに対してへりくだる者に恵みを与えられるお方ですから、御名を崇めて賛美します。
願わくは、この箇所を読んだ、救いを求めている人が、御霊によって光を照らされ、イエス様をご自分の「主」、「救い主」として受け入れることができますように。
命に至る悔い改めは、イエス様を「主」としてお迎えすること、それこそが、主に立ち返ることなのであるということを、御霊によって分からせて頂ける人がおこされますように。
救われた人には、ローマ816の聖句の如く、御霊による、また自分の霊による救いの確信を与えてあげてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・

<救いの祈りの一例>
「イエス・キリストの父なる神様
わたしは、今まで、無知で、イエス様を、そしてまことの神様であるあなたを、認めてきませんでした。
そのことこそ、最も大きな罪であることを知りました。
赦してください。
イエス様を、わたしの救い主として信じます。
イエス様の血潮のゆえに赦されたことを信じます。
イエス様を、わたしの主として心にお迎えいたします。
わたしを新しく生まれさせてくださり、わたしをも神の子どもとし、神の家族の一員としてくださいましたことを感謝します。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

救いの確信が与えられた方は、次からは、「天のお父様」と祈り始めることができます。

2020年4月 2日 (木)

ヨエル2:1-11 イナゴを用いる主の裁きの預言/主の現れを待ち望んでいるキリスト者の幸い

 ヨエル21-11には、
1 「シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。」地〔原語は「エレツ」(地)に冠詞がついていますからイスラエルの地のことであろうと思います(筆者挿入)〕に住むすべての者は、恐れおののけ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日が来るからだ。その日は近い〔イナゴやバッタによる主の刑罰の日が近い(筆者挿入)〕。2 それは闇と暗闇の日。雲と暗黒の日〔イナゴやバッタの数が多いので地は暗くなる(筆者挿入)〕。数が多く、力の強い民〔即ちイナゴやバッタ(筆者挿入)〕が、暁とともに山々の上に進んで来る。このようなことは、昔から起こったことがなく、これから後、代々の時代までも再び起こることはない。3 彼らの前は火が焼き尽くし、うしろは炎がなめ尽くす〔イナゴとバッタの食害により国中の食料が食べつくされるということを、火で焼き尽くされると譬えているのではないかと思います(筆者挿入)〕。彼らが来る前は、この地はエデンの園のよう。しかし、〔イナゴとバッタが(筆者挿入)〕去った後は、荒れ果てた荒野となる。これから逃れるものは何もない。4 その姿は馬さながら〔イナゴの顔は馬のよう(筆者挿入)〕、軍馬のように駆け巡る。5 その音は戦車のきしり、山々の頂を飛び跳ねる。その音は刈り株を焼き尽くす火の炎、戦いの備えをした強い民のよう。6 諸国の民〔諸国の民と訳されている語の原語は「アミーム コル」で「アミーム」は「アム」の複数形。「アム」は、人、部族、国、群れ、部隊、‥等の意。「コル」は、すべての、の意(筆者挿入)、「諸々の民」(岩波訳)〕はその前でもだえ苦しみ、顔はみな青ざめる。7 それ〔イナゴやバッタ(筆者挿入)〕は勇士のように走り、戦士のように城壁をよじ登る。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。8 互いに押し合わず、それぞれ自分の大路を進む。投げ槍が降りかかっても、止まらない。9 町に襲いかかり、城壁の上を走り、家々によじ登り、盗人のように窓から入り込む。10 地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う〔出エジプト1012-15参照。イナゴの大軍により地が暗くなる(筆者挿入)〕。11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はご自分の軍隊〔イナゴやバッタの大軍(筆者挿入)〕の先頭に立って声をあげられる。その陣営は非常に大きく、主のことばを行う者は強い。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日〔主の裁きの日(筆者挿入)〕は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。”(新改訳2017)と記されています。

 出エジプト101-20は、エジプトに対する主の裁きの8番目の災いとして、イナゴによる裁きが記されています。この箇所を読むと、主は、裁きの一つの方法としてイナゴを用いることがわかります。出エジプト10章の中から、抜粋して下記します。
1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はモーセに言われた。「ファラオのところに行け。わたしは彼とその家臣たちの心を硬くした。それは、わたしが、これらのしるしを彼らの中で行うためである。2 また、わたしがエジプトに対して力を働かせたあのこと、わたしが彼らの中で行ったしるしを、あなたが息子や孫に語って聞かせるためである。こうしてあなたがたは、わたしが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であることを知る。」3 モーセとアロンはファラオのところに行き、彼に向かって言った。「ヘブル人の神、主はこう言われます。『いつまで、わたしの前に身を低くするのを拒むのか。わたしの民を去らせ、彼らがわたしに仕えるようにせよ。4 もしあなたが、わたしの民を去らせることを拒むなら、見よ、わたしは明日、いなごをあなたの領土に送る。5 いなごが地の面をおおい、地は見えなくなる。また、雹の害を免れてあなたがたに残されているものを食い尽くし、野に生えているあなたがたの木をみな食い尽くし、6 あなたの家とすべての家臣の家、および全エジプトの家に満ちる。これは、あなたの先祖も、またその先祖も、彼らがこの土地にあった日から今日に至るまで、見たことがないものである。』」こうして彼は身を翻してファラオのもとから出て行った。/
12
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はモーセに言われた。「あなたの手をエジプトの地の上に伸ばし、いなごの大群がエジプトの地を襲い、その国のあらゆる草木、雹の害を免れたすべてのものを食い尽くすようにせよ。」13 モーセはエジプトの地の上に杖を伸ばした。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は終日終夜、その地の上に東風を吹かせた。朝になると東風がいなごの大群を運んで来た。14 いなごの大群はエジプト全土を襲い、エジプト全域にとどまった。これは、かつてなく、この後もないほどおびただしいいなごの大群だった。15 それらが全地の表面をおおったので、地は暗くなり、いなごは地の草と、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くした。エジプト全土で、木や野の草に少しの緑も残らなかった。”(新改訳2017)と記されています。

 余談になりますが、黙示録の災害についても出エジプト記に見られる主の裁きの災いが参考になります。
黙示録9章にもイナゴの害が出てきます。但しこのイナゴは昆虫ではなく、恐らくイナゴのような悪霊たちです。但し、このイナゴに似た悪霊たちは、キリストの空中再臨に伴う携挙後に主なる神に立ち返った者たちに害を加えることが出来ません。
 黙示録91-11には、
1 第五の御使いがラッパを吹いた。すると私は、一つの星が天から地に落ちるのを見た。その星には、底知れぬ所に通じる穴の鍵が与えられた。2 それが底知れぬ所に通じる穴を開くと、穴から大きなかまどの煙のような煙が立ち上り、太陽と空はこの穴の煙のために暗くなった。3 その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには、地のサソリが持っているような力が与えられた。4 そして彼らは、地の草やどんな青草、どんな木にも害を加えてはならないが、額に神の印を持たない人たちには加えてよい、と言い渡された。5 その人たちを殺すことは許されなかったが、五か月間苦しめることは許された。彼らの苦痛は、サソリが人を刺したときの苦痛のようだった。6 その期間、人々は死を探し求めるが、決して見出すことはない。死ぬことを切に願うが、死は彼らから逃げて行く。7 いなごたちの姿は、出陣の用意が整った馬に似ていた。頭には金の冠のようなものをかぶり、顔は人間の顔のようであった。8 また、女の髪のような毛があり、歯は獅子の歯のようであった。9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その羽の音は、馬に引かれた多くの戦車が戦いに急ぐときの音のようであった。10 彼らはサソリのような尾と針を持っていて、その尾には、五か月間、人々に害を加える力があった。11 いなごたちは、底知れぬ所の使いを王としている。その名はヘブル語でアバドン、ギリシア語でアポリュオンという。”(新改訳2017)と記されています。

 黙示録に記されているイナゴのような悪霊たちの害を、主の現れ(キリストの空中再臨)を待ち望んでいる人たちは受けません。その人たちは、その時には天にいます。

 主イエス・キリスト様の現れを持ち望んでいるキリスト者は幸いです。
 ヘブル928には、「キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ〔十字架による贖い(筆者挿入)〕、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。」(新改訳2017)と記され、
 テトス213には、「祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。」(新改訳2017)と記され、
コロサイ34には、「あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます〔キリストの空中再臨の時に霊の体が与えられます。即ち栄化されます(筆者挿入)〕。」(新改訳2017)と記され、
 2テモテ46-8には、「6 私〔パウロ(筆者挿入)〕はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。7 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。8 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも〔義の栄冠を(筆者挿入)〕授けてくださるのです。」(新改訳2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
教会時代にイエス様が迎えに来てくださることを待ち望んでいるキリスト者は、イナゴのような悪霊の害にあうことがないばかりか、その時代には、既に霊の体をいただいて、地上ではなく天にいることを感謝します。
あなたの御言葉と聖霊の働きによって、あなたに立ち返る人々が起こされていきますように。
あなたの御名を賛美し、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年4月 1日 (水)

ヨエル1:5-20 主の刑罰としての飢饉/御父は全能なる神

 ヨエル15には、「酔っぱらいよ。目をさまして、泣け。すべてぶどう酒を飲む者よ。泣きわめけ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。」(新改訳2017)と記されています。

イナゴによってぶどうの木が害を受けるので、当然のことですがぶどう酒を造ることは出来なくなります。
愛の主は、酔っ払いに目を覚まさせて、主に立ち返らせるためにも、敢えて災害をもたらすことをされます。
わたしは、ぶどう酒を飲むこと自体は罪ではないと考えています(マタイ1119、詩篇235、ヨハネ22-111テモテ523)。
しかし、酔っ払い、と呼ばれるような状態は罪です(エペソ518、ローマ13131コリント511)。
 パウロは、「ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。」(エペソ518・新改訳2017)と述べました。
アルコールに満たされないで御霊に満たされなさい、ということです。

 ヨエル16-12には、
6 ある国民がわたしの国に攻め上って来た。それは力強く、数えきれない。その歯は雄獅子の歯、それには雌獅子の牙がある〔いなごの大群が地を覆う。数えきれないほどの大群で、ライオンのような鋭い歯を持った恐ろしい軍隊だ(リビングバイブル)〕。7 それはわたしのぶどうの木を荒れすたらせ、わたしのいちじくの木を木っ端〔(こっぱ)原語は「シャマ―」で、破壊or台無しにすること(筆者挿入)〕にした。これを丸裸に引きむき、投げ倒し、その枝々を真っ白にした。8 悼み悲しめ。粗布をまとったおとめが、その若いときの夫のためにするように〔婚約者の死を悲しむおとめのように、泣き悲しめ(リビングバイブル)〕。9 穀物と注ぎのささげ物は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮から断たれ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕える祭司たちは喪に服す〔主の神殿にささげる穀物とぶどう酒はなくなり、祭司たちは喪に服す。神に仕える者この者たちの叫ぶ声を聞け(リビングバイブル)〕。10 畑は荒らされ、地も喪に服す。穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上がり、油〔原語は「イツハール」で、油、塗油(筆者挿入)〕も涸れるからだ。11 恥を見よ、農夫たち。泣き叫べ、ぶどう作りたち。小麦と大麦のために。畑の刈り入れがなくなったからだ。12 ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれた。ざくろも、なつめ椰子も、りんごも、野のすべての木々は枯れた。喜びが人の子らから消え去った。」”(新改訳2017)と記されています。

 一読すれば、イナゴとバッタによって農作物が壊滅的被害を被ったことがわかります。
このようなイナゴやバッタの来襲に対して、私たちは何をしたら良いのでしょうか?
わたしは食べたことはありませんが、イナゴはエビに似た味で美味しいそうですし、バブテスマのヨハネの常食でしたから、イナゴが襲来した時にはたくさん捕獲し、長期保存できるようにしたらよいのかな、と思いますが、主の教えは異なります。

 ヨエル113.14には、「13 粗布をまとって悼み悲しめ、祭司たちよ。泣き叫べ、祭壇に仕える者たちよ。私の神に仕える者たちよ、行って粗布をまとって夜を過ごせ。穀物と注ぎのささげ物があなたがたの神の宮から退けられたからだ。14 断食を布告し、きよめの集会を召集せよ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮に集め、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に向かって叫び求めよ。」(新改訳2017)と記されています。
 
 現代的に言えば、断食し、教会に集まって、悔い改めの祈りをし、主に嘆願の祈りをささげなさい、ということです。それが主の答えでした。

 イナゴやバッタによる災害はすでに起きたということではなく、預言者ヨエルは、これからのことだ、と述べています。

 ヨエル115を、
 新改訳2017は、「ああ、その日よ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の日は近い。全能者〔原語は「シャダイ」(筆者挿入)〕による破壊の日として、その日は来る。」と訳し、
 リビングバイブルは、「ああ、恐ろしい刑罰の日が来ようとしている。全能のお方からの破壊が、すぐそこまできている。」と意訳しています。

 全能者(シャダイ)、全能の神(エル シャダイ)が、みかたでいてくれるのか、敵になるのか、それは天国と地獄ほどの違いです。
主なる神様に対して謙遜である人は幸いです。

 主の刑罰の種類は色々ありますが、この箇所の刑罰は飢饉です。
ヨエル116-18には、
16 私たちの目の前で、食物が断たれ、私たちの神の宮から喜びも楽しみも消え失せたではないか。17 穀物の種は土の下で干からび、倉は荒れ果て、穴蔵は崩れた。穀物がしなびたからだ。18 ああ、なんと家畜がうめいていることか。牛の群れはさまよう。牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。”(新改訳2017)と記されています。

 このような状態に対して、信仰者だけではなく、動物も主に嘆願するようになるのです。
 ヨエル119.20には、
19 あなたに、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、私〔ヨエル(筆者挿入)〕は呼び求めます。火が荒野の牧場を焼き尽くし、野のすべての木を炎がなめ尽くしました〔神様、助けてください。暑さで牧草は枯れ、木々はすべて焼き尽くされました(リビングバイブル)〕。20 野の獣も、あなたをあえぎ求めています。水の流れが涸れ、火が荒野の牧場を焼き尽くしたからです。”(新改訳2017)と記されています。
 動物たちは特にかわいそうです。それは動物たちの罪の結果ではなく、人間の罪への罰を共に受けているからです。しかし、動物たちもそのようなことから解放される時が来ます。
ローマ819-22には、「19 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます〔キリストの千年王国において、霊の体を与えられたキリスト者が地上に現れること(筆者挿入)〕。20 被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。22 私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。」(新改訳2017)と記されているからです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
全能なるお方である神様が、みかたであるというだけではなく、私たちはあなたの子どもですから感謝します。
あなたの子どもとしてふさわしくお整え下さり、私たちの自然な歩みを通してあなたの御名が崇められますように。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年3月31日 (火)

ヨエル1:1-4 イナゴによる裁き/主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。

 ヨエル11には、「ペトエルの子ヨエルにあった主のことば。」とあります。
ペトエルもヨエルも人の名前ですが、
ペトエルは、神は開く、神は広々とさせる、・・・・・・等々の意、
ヨエルは、ヤハウェは神、の意です。
「ヨエルにあった主のことば。」とあることから分かるように、これは預言です。

 ヨエルが何時の時代の人なのか諸説ありますが、注解付新改訳聖書の緒論の記述の中から一つだけ取り上げ、下記します。
 “本書は、(1)フェニキヤ、エドム、ペリシテ、エジプト、及びギリシヤについて記述されている。(2)祭司が、国家の中心的役割を果たしている。(3)城壁、神殿について言及されている。(4)他の預言者たちがしばしば言及する王名、北イスラエル、偶像礼拝、アッシリア、バビロン等について触れていない。以上のことから、ヨエルは南ユダのヨアシュ(B.C.837-800年)治世下において活躍したとする推測する者が多い。”と述べています。

 ヨエル12.3には、「2 長老たちよ、これを聞け。この地に住む者もみな、耳を傾けよ。このようなことが、あなたがたの時代に、また先祖の時代にあっただろうか。3 これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。」(新改訳2017)と記されています。

 2節の「この地」とは、ユダの国のことであろうと思われます。理由は、祭司、神殿、シオン、シオンの子ら、エルサレム、ヨシャパテの谷(恐らくキデロンの谷=エルサレムとオリーブ山との間の谷)、ユダの人々、エルサレムの人々、等の語が出て来るからです。

 ヨエル14には、「噛みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。」(新改訳2017)と記されています。

 イナゴ、バッタ等を敵軍の譬えとして捉えることもできますが、ここでは、そのままイナゴやバッタとして捉えていこうと思います。
ヨエル書では、イナゴやバッタによる飢饉を引き起こす大被害を、主の裁きとして述べているのではないかと思います。

 話は変わりますが、
この年(2020年)、中東から中国にかけてイナゴの害が報告されました。
少し古いのですが、ネットに乗っていたニュース(20202月下旬)を要約すると、
「イナゴの大軍が、オマーンの砂漠で大発生。それは、記録的な大雨によるとのこと。既に、オマーン、バーレーン、カタール、イエメン、イラン、パキスタン、インド、エチオピア、ケニア、ソマリア、エジプト、クウェート、サウジアラビア、エリトリア、エチオピア、スーダン、マリ、モーリタニア、モロッコ、アルジェリア、タンザニア、マダガスカル、ジブチ、ウガンダが被害をうけ、そのイナゴの群れは中国をも襲っている。アフリカの方では、飢饉が心配されている。」とのことです。

 昔からイナゴの害による食糧危機はありましたが、今年2020年は、イナゴの害や新型コロナウィルス(疫病)の害、それに伴う世界規模の経済減速、収束の見えない中東での戦争、キリスト者で殉教した人たちの多さ等々黙示録的な様相を呈しています。

 さて、主の空中再臨、それに伴う携挙が、黙示録41で起こる(私の第一候補。教会時代は3章で終了)のか、黙示録61112の間で起こるのか、或いはその他の時か、主イエス様が来られてみないと分かりませんが、いずれにしても、キリスト者の魂と霊は守られます。肉体を脱ぎ去れば、キリスト者の本体である霊と魂(2ペテロ113.142コリント51-4、ピリピ123.24)は天国です。とはいえ、1テサロニケ110には、「・・・。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。」(新改訳2017)と記されていますから、主の空中再臨を待ち望んでいるキリスト者は御怒り即ち神のさばきから逃れられることは確かなことです(ピリピ320b.211テサロニケ110、ヘブル928etc.)。

 参考に、黙示録の第二の封印から第五の封印が開かれるところまでを解説を加えながら下記します。
3 子羊〔主キリスト・イエス(筆者挿入)〕が第二の封印を解いたとき、私は、第二の生き物が「来なさい」と言うのを聞いた。4 すると別の、火のように赤い馬が出て来た。それに乗っている者は、地から平和を奪い取ることが許された〔人々が殺し合ったり戦争することが許可された(筆者挿入)〕。人々が互いに殺し合うようになるためである。また、彼に大きな剣が与えられた。5 子羊が第三の封印を解いたとき、私は、第三の生き物が「来なさい」と言うのを聞いた。私は見た。すると見よ、黒い馬がいた。これに乗っている者は秤を手に持っていた。6 私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の真ん中でこう言うのを聞いた。「小麦一コイニクス〔1リットル(筆者挿入)〕が一デナリ〔一日分の労働賃金(筆者挿入)〕。大麦三コイニクス〔3リットル(筆者挿入)〕が一デナリ〔一日分の労働賃金(筆者挿入)〕。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない〔この時点ではオリーブ油とぶどう酒は守られる(筆者挿入)〕。」7 子羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が「来なさい」と言うのを聞いた。8 私は見た。すると見よ、青ざめた馬がいた。これに乗っている者の名は「死」で、よみがそれに従っていた〔よみの門は教会に負ける(マタイ1618)(筆者挿入)〕。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣〔戦争(筆者挿入)〕と飢饉〔飢死が起こる(筆者挿入)〕と死病〔疫病等による死(ルカ2111参照)(筆者挿入)〕と地の獣〔肉食の動物が食糧難の為に人を食べるのかも知れません(筆者挿入)〕によって殺す権威が与えられた〔「地上の四分の一を支配して」とありますから想像を絶する大量死が起こるのでしょう(筆者挿入)〕。9 子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましい〔殉教者の魂(筆者挿入)〕が、祭壇の下にいるのを見た。10 彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか〔キリスト者である殉教者は自分を殺す者のために救いを祈りますからここの殉教者は艱難時代の聖徒たちではないかと私は考えます(筆者挿入)〕。」11 すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで〔殉教者の人数は決められているようです。艱難時代の殉教者の人数が決められているのは、この人たちはキリストの千年王国で王として治める人たちだからであろうと私は思います(黙示録204)(筆者挿入)〕、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。”(新改訳2017)とあります。

 注意すべきは、第一の封印がまだ開かれていない〔2テサロニケ23-7(筆者挿入)〕ので、第25の封印が開かれているように見えても、現在の出来事は、第25の封印が開かれた時の出来事そのものではなく、その予表のようなものかもしれません。

 最後に、詩篇91篇を下記して終えます。
1 いと高き方の隠れ場に住む者その人は全能者の陰に宿る。2 私は主に申し上げよう。「私の避け所私の砦私が信頼する私の神」と。3 主こそ狩人の罠から破滅をもたらす疫病からあなたを救い出される。4 主はご自分の羽であなたをおおいあなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は大盾また砦。5 あなたは恐れない。夜襲の恐怖も昼に飛び来る矢も。6 暗闇に忍び寄る疫病も真昼に荒らす滅びをも。7 千人があなたの傍らに万人があなたの右に倒れてもそれはあなたには近づかない。8 あなたはただそれを目にし悪者への報いを見るだけである。9 それはわが避け所主をいと高き方をあなたが自分の住まいとしたからである。10 わざわいはあなたに降りかからず疫病もあなたの天幕に近づかない。11 主があなたのために御使いたちに命じてあなたのすべての道であなたを守られるからだ。12 彼らはその両手にあなたをのせあなたの足が石に打ち当たらないようにする。13 あなたは獅子とコブラを踏みつけ若獅子と蛇を踏みにじる。14 「彼がわたしを愛しているからわたしは彼を助け出す。彼がわたしの名を知っているからわたしは彼を高く上げる。15 彼がわたしを呼び求めればわたしは彼に答える。わたしは苦しみのときに彼とともにいて彼を救い彼に誉れを与える。16 わたしは彼をとこしえのいのちで満ち足らせわたしの救いを彼に見せる。」”(新改訳2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
聖書はすべて神の霊感によって書かれたものですから、詩篇91篇もあなたからの約束です。
私たちは、あなたに身を避けます。
あなたが約束を果たしてくださいますように。
そして、私たちが、このことでもあなたの御名をほめたたえることが出来るようにして下さい。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。」(詩篇3210・新改訳第三版)
「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。」(エレミヤ177・聖書協会共同訳)

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