ハガイ2:10-23 主に聞き従うことの大切さ/御言葉に従う
ハガイ2:10-19には、
“10 ダレイオスの第二年の第九の月の二十四日、預言者ハガイに次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。11 「万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。律法について、祭司たちに尋ねよ。12 人が聖なる肉を自分の衣の裾に入れて運び、その裾がパンや煮物、ぶどう酒や油、またはどんな食物にでも触れた場合、それは聖なるものとなるか。」祭司たちは「否」と答えた。13 そこでハガイは言った。「もし死体によって汚れた人が、これらのどれかに触れたら、それは汚れるか。」祭司たちは「汚れる」と答えた。14 それに応じてハガイは言った。「この民も、この国も、わたしにとってはそれと同じ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──彼らの手が作ったすべての物もそれと同じ。そこで彼らが献げる物も汚れている。15 さあ今、あなたがたは、今日から後のことをよく考えよ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿で石が積み重ねられる前、16 あなたがたはどうであったか。二十の麦束が積んであるところに行っても、あるのは十束。ぶどう酒五十杯を汲もうと石がめに行っても、あるのは二十杯。17 わたしはあなたがたを、あなたがたの手が作ったすべての物を、立ち枯れと黒穂病と雹で打った。しかし、だれ一人わたしに帰って来なかった。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──18 さあ、あなたがたは今日から後のことをよく考えよ。第九の月の二十四日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿の基が据えられた日から後のことをよく考えよ。19 種はまだ穀物倉にあるのか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないのか。今日から後、わたしは祝福する。」”(新改訳2017)と記されています。
10節には、「ダレイオスの第二年の第九の月の二十四日、預言者ハガイに次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。」とあります。
「ダレイオスの第二年の第九の月の二十四日」という日付ついて、新共同訳スタディー版の注は、「B.C.520年12月18日にあたる。」と、太陽暦に換算した場合の年月日を述べています。
ハガイ2:1-9の主の御言葉は、約二ヵ月前でした。
第九の月(キスレウの月)の二十四日頃の状況について、新聖書注解は、「冬小麦の種まきも終わり、新しい年の収穫について期待と不安の入り混じった状況の中に民はあった。」と述べています。
民は不安であったでしょう。神殿建設に取り掛かる前は、不作が続いたのですから。それは16節に記されています。
また、一方で、主に従えば、主が祝福してくださるかもしれないという期待もあったことと思います(ハガイ1:1-6、9-11、→7.8参照)。
12節には、“「人が聖なる肉を自分の衣の裾に入れて運び、その裾がパンや煮物、ぶどう酒や油、またはどんな食物にでも触れた場合、それは聖なるものとなるか。」祭司たちは「否」と答えた。”とあります。
「聖なる肉」とは、神にささげられた肉のことです。
「聖なる肉」の扱い方には規定がありました(レビ記1‐7章、参照)。
13節には、“そこでハガイは言った。「もし死体によって汚れた人が、これらのどれかに触れたら、それは汚れるか。」祭司たちは「汚れる」と答えた。”とあります。
民数記19:11には、「どのような人の死体であれ、それに触れた者は七日の間汚れる。」(新共同訳)とあり、民数記19:22には、「汚れた者が触れるものは、すべて汚れる。」(新改訳2017)とあります。
14節には、“それに応じてハガイは言った。「この民も、この国も、わたしにとってはそれと同じ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──彼らの手が作ったすべての物もそれと同じ。そこで彼らが献げる物も汚れている。”とあります。
12.13節の例をまず挙げて、主は、「この民も、この国も、わたしにとっては」汚れている、と述べ、そして、汚れた者の手が作ったすべての物は汚れているし、当然、汚れた者が献げる物も汚れている、という主の見方を教えました。
新約聖書の テトス1:15には、「きよい人たちには、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた不信仰な人たちには、何一つきよいものはなく、その知性も良心も汚れています。」(新改訳2017)と記されています。
15‐17節には、“15 さあ今、あなたがたは、今日から後のことをよく考えよ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿で石が積み重ねられる前、16 あなたがたはどうであったか。二十の麦束が積んであるところに行っても、あるのは十束。ぶどう酒五十杯を汲もうと石がめに行っても、あるのは二十杯。17 わたしはあなたがたを、あなたがたの手が作ったすべての物を、立ち枯れと黒穂病と雹で打った。しかし、だれ一人わたしに帰って来なかった。”とあります。
主に従う前は、主の祝福ではなく、呪い下に置かれたでしょ、ということが述べられています。
主は、主とイスラエルの間で結ばれた契約を守るお方です。
17節には、「わたしはあなたがたを、あなたがたの手が作ったすべての物を、立ち枯れと黒穂病と雹で打った。」とあります。
申命記28章には、
“15 ・・、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。22 ・・・。また干ばつ、立ち枯れ、黒穂病であなたを打つ。・・・。38 畑に多くの種を持って出ても、あなたは少ししか収穫できない。・・・。”(新改訳2017)と記されています。
18節には、「さあ、あなたがたは今日から後のことをよく考えよ。第九の月の二十四日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の神殿の基が据えられた日から後のことをよく考えよ。」とあります。
主のみ声を聞き、主に従った後のことを考えなさい、と言われています。
主のみ旨に従ったのですから、契約に基づいて祝福されます。主は義なるお方ですから、契約を守るのです。
申命記28章の祝福の項には、
“1 もし、あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。2 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。3 あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。4 あなたの胎の実も大地の実りも、家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。6 あなたは入るときにも祝福され、出て行くときにも祝福される。7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたに向かい立つ敵どもをあなたの前で敗走させる。彼らは一つの道からあなたを攻めて来るが、あなたの前で七つの道に逃げ去る。8 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざが祝福されるように命じられる。あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。9 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令を守り主の道を歩むなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたに誓われたとおり、あなたをご自分の聖なる民として立ててくださる。10 地上のあらゆる民はあなたに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名がつけられているのを見て、あなたを恐れるであろう。11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えるとあなたの父祖たちに誓われたその地で、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたの胎の実、家畜が産むもの、大地の実りを豊かに恵んでくださる。12 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それで、あなたは多くの国々に貸すが、借りることはない。13 私が今日あなたに命じる、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令に聞き従い、守り行うなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたをかしらとし、尾とはされない。あなたはただ上になり、下になることはない。”(新改訳2017)と記されています。
ハガイ2:19には、以前の主に従わなかったときにはみじめな結果でしたが、今や、あなたがたは主に従ったので、主であるわたしは、これからは祝福しますよ、と主がハガイを通して語られた内容が記されています。
19節には、「種はまだ穀物倉にあるのか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないのか。今日から後、わたしは祝福する。」とあります。
新生したキリスト者は呪いを受けることがありません。
何故なら、ガラテヤ3:13に、「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『木にかけられた者はみな、のろわれている』と書いてあるからです。」(新改訳2017)とあるからです。
キリスト者が、自分は呪われているのではないだろうか、と思うときには、
①矯正(ヘブル12:5-11)や
②主の栄光が表されるため(使徒16:16-39、マタイ5:10-12)
というような場合があると思います。
ハガイ2:20-23には、
“20 その月の二十四日、ハガイに再び次のような主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがあった。21 「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。『わたしは天と地を揺り動かし、22 もろもろの王国の王座を倒し、異邦の民の王国の力を滅ぼし尽くし、戦車とその乗り手をくつがえす。馬とその乗り手は味方の剣によって倒れる。23 その日、──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしはあなたを選んで印章とする。わたしがあなたを選んだからだ。──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。』」”(新改訳2017)と記されています。
21節の内容は、終末時(黙示録6:12-14、他)の事柄であり、
22節は、再臨のキリストによって為される事柄です。
この個所の預言のゼルバベルはキリストの予表です。ゼルバベルの時代に22節の預言は成就していません。
マタイ1章にイエス・キリストの系図が記されています。
マタイ1章には、“1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。2 アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、6 エッサイがダビデ王を生んだ。ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、12 バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、16 ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。”(新改訳2017)と記されています。
マタイ1章はマリアの夫ヨセフの系図です。
ルカ3章はマリアの系図です。
ヨセフの実の父はヤコブで、ヨセフの義父(岳父)はマリアの父エリです(ルカ3:23)。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたが約束してくださった御言葉を信じ、あなたに従い続ける者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン