ヨシュア24:14-33 幸いなのは、主を畏れ敬い、主に仕えること
ヨシュア24章の本文(新改訳2017)は斜体です。
14 今、あなたがたは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え〔原語の直訳は「彼に仕え」(筆者挿入)〕、あなたがたの先祖たちが、あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕えなさい。15 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕える。」
主なる神様と良い関係を持つ方法が14節に短い文章で述べられています。
新共同訳の訳文を用いると「主を畏れ、真心を込め真実をもって主に仕える」ことです。
エジプトでの十の災いは、如何にエジプトの神々が主(ヤハウェ)に歯が立たないかを証明したものでもありました(出エジプト7-12章)。エジプトの神々と呼ばれていたものは悪霊でした(1コリント10:19.20)。
15節を読むと、信仰の決断というか、何を神とするかについては、その人の自由意思に任されていることが分かります。
但し、何を自分の神としたかについての責任は選んだ人が負います。
ヨシュアは、「私と私の家は主に仕える。」と公言しました。
ヨシュアは、私の神はヤハウェ(主)であり、私はヤハウェ(主)に仕える、と公言したのです。
確かにヨシュアの生涯は、モーセに仕えていたときからそのようでした。
しかしヨシュアから約500年後、ヨシュアの末裔はアッシリアに連れて行かれたか殺されたか、・・・か、ということであったでしょう。
イスラエルの民は、ヨシュアに、「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。」(14.15・新共同訳)と言われ、16‐18節の答えをします。
16 民は答えた。「私たちが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を捨てて、ほかの神々に仕えるなど、絶対にあり得ないことです。17 私たちの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、私たちと私たちの先祖たちをエジプトの地、奴隷の家から導き上られた方、そして、私たちの目の前であの数々の大きなしるしを行い、私たちが進んだすべての道で、また私たちが通ったあらゆる民の中で、私たちを守ってくださった方だからです。18 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあらゆる民を、この地に住んでいたアモリ人を私たちの前から追い払われました。私たちもまた、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕えます。このお方が私たちの神だからです。」
イスラエルの民は、私たちは主に仕えます、と言いましたが、ヨシュアは、何と「あなたがたは主に仕えることはできない。」(19)と答えたのです。
19 ヨシュアは民に言った。「あなたがたは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕えることはできない。主は聖なる神、ねたみの神であり、あなたがたの背きや罪を赦さないからである。20 あなたがたが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を捨てて異国の神々に仕えるなら、あなたがたを幸せにした後でも、主は翻って、あなたがたにわざわいを下し、あなたがたを滅ぼし尽くす。」
ヨシュアは、イスラエルの民が、「あなたがたは主に仕えることはできない。」(19)と言ったのには理由がありました。ヨシュアは、イスラエルの民が偶像を持っている、或いは心に偶像を秘めているのを知っていたからです(23)。
そして、ヨシュアは、イスラエルの民が、主(ヤハウェ)に仕えず、偶像に仕えるのならば、主はイスラエルに災いを下し、最後には滅ぼし尽くす、と忠告しました。
21 民はヨシュアに言った。「いいえ。私たちは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕えます。」
24:22 ヨシュアは民に言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を選んで主に仕えることの証人はあなたがた自身です。」彼らは「私たちが証人です」と言った。23 「今、あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に心を傾けなさい。」24 民はヨシュアに言った。「私たちの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕え、主の御声に聞き従います。」25 ヨシュアはその日、民と契約を結び、シェケムで彼らのために掟と定めを置いた。26 ヨシュアはこれらのことばを神のみおしえの書に記し、大きな石を取り、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の聖所にある樫の木の下に立てた。27 ヨシュアは民全体に言った。「見よ、この石は私たちに対して証しとなる。この石は、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が私たちに語られたすべてのことばを聞いたからである。あなたがたが自分の神を否むことがないように、これはあなたがたに対して証しとなる。」
イスラエルの民は、ヨシュアに「今、あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい。」(23)と言われたとき、「私たちの中に異国の神々はありません。」とは答えていません。また、「私たちの中にある異国の神々を取り除きます」とも答えないで、「私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います。」(24)と答えています。
罪をしっかり処理しておかないと禍根を残します。
28 ヨシュアは民をそれぞれ自分の相続地に送り出した。29 これらのことの後、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。30 人々は彼をガアシュ山の北、エフライムの山地にある、彼の相続地の領域にあるティムナテ・セラフに葬った。
ヨシュアは110歳で死に、ヨシュアの相続地の中にあるティムナテ・セラフ(ヘレス)に葬られました。
31 ヨシュアがいた間、また、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がイスラエルのために行われたすべてのわざを経験して、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、イスラエルは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に仕えた。
ヨシュア記の次に士師記がありますが、士師記2章には、
“7 ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、民は主に仕えた。8 主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。9 人々は彼をガアシュ山の北、エフライムの山地にある、彼の相続地の領域にあるティムナテ・ヘレスに葬った。10 その世代の者たちもみな、その先祖たちのもとに集められた。そして彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こった。11 すると、イスラエルの子らは主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルに仕えた。12 彼らは、エジプトの地から自分たちを導き出した父祖の神、主を捨てて、ほかの神々、すなわち彼らの周りにいるもろもろの民の神々に従い、それらを拝んで、主の怒りを引き起こした。13 彼らが主を捨てて、バアルとアシュタロテに仕えたので、14 主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを略奪する者の手に渡して略奪されるままにし、周りの敵の手に彼らを売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。15 彼らがどこへ行っても、主の手は彼らにわざわいをもたらした。主が告げ、主が彼らに誓われたとおりであった。彼らは大いに苦しんだ。”(新改訳2017)と記されています。
32 イスラエルの子らがエジプトから携え上ったヨセフの遺骸は、シェケムの地、すなわち、ヤコブが百ケシタでシェケムの父ハモルの子たちから買い取った野の一画に葬った。そこはヨセフ族の相続地となっていた。
ヨセフは、エジプトの宰相でした(創世記41:41以下)。ヨセフの父ヤコブ(イスラエル)は、ヨセフの子マナセとエフライムを自分の子とし、エフライムとマナセに、主がアブラハム、イサク、ヤコブに約束された地の相続を受けることの出来るものとしました(創世記48:1-5)。
ヨセフの遺骸はシェケムの地に葬られました。シェケムは、かつてヤコブが百ケシタでシェケムの父ハモルの子たちから買い取った野の一部であったのです。
創世記33章には、
“18 こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。19 そして、天幕を張った野の一画を、シェケムの父ハモルの息子たちの手から百ケシタで買い取った。20 彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。”(新改訳2017)と記されています。
相続地の分割では、シェケムはエフライムとマナセの隣接している場所にあります。
そこにヨセフの遺骸は葬られたのです。
ヨセフは、死ぬ前に、兄弟たちに「私は間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたがたを顧みて、あなたがたをこの地から、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」(創世記50:24・新改訳2017)と語り、また、イスラエルの子らに、「神は必ずあなたがたを顧みてくださいます。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上ってください」(創世記50:25・新改訳2017)と語り、また、そうするよう誓わせたのです。
33 アロンの子エルアザルは死んだ。彼は、自分の子ピネハスに与えられた、エフライムの山地にあるギブアに葬られた。
アロンの子エルアザルは、レビ人の長の長に任じられ(民数記3:32),さらには父アロンの死去に際して大祭司職を継いだ(民数記20:22-29、申命記10:6)人です。
エルアザルの子ピネハスは、エルアザルの死後大祭司職を継ぎました(民数記25:11-13、士師記20:28)。
エルアザルは、エルアザルの子ピネハスに与えられたエフライムの山地にあるギブアという町に葬られました。
主に真実に仕えたヨセフ、ヨシュア、エルアザルについては葬りのこと迄聖書に記録されています。
主は、家族ごとに救いを与えたいと思っておられることが聖書のあちらことらに記されています。ノアの家族、過越の時の出来事、新約では牢屋版の家族、異邦人で初めて救にあずかったコルネリオの家族等というように。
しかし、同時に、救いは、「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血〔原語は複数形、「肉体の命」の意(筆者挿入)〕によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12.13・新改訳2017)という一面もあります。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
地上に置かれている残りの生涯、主を畏れ敬い、主を愛し、主に信頼し、主にお従いする歩みを継続することを得させてください。
天においても地においても地の下においてもあなたの御名が崇められますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン