すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたし(イエス・キリスト)のもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイの福音書11章28‐30節には、「28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(新改訳2017)と記されています。
徳川家康は、「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」と語った、と言われています。
イエス様は、「重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。」「疲れた人は私のもとに来なさい。」と語られました。
イエス様は無責任ではありません。イエス様は、重荷を負っている人、疲れている人に、「わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と語られました。
このイエス様のお言葉を信じ、イエス様のもとに来て、たくさんの人が救われました。
パウロはローマ人への手紙に、「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。 (新改訳2017)と書きました。
さて、イエス様は、どの様にして安らぎを得させてくださると言ったのでしょうか?
イエス様は、「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」と語られました。
マタイ10:29は、「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」というイエス様のお言葉を記しています。
イエス様のくびきを負うというのは、イエス様に合わせて、イエス様と二人三脚で歩くということです。
イエス様を信じた人が直ちにイエス様と二人三脚で歩くのはまず無理です。
イエス様と歩き続けることによって可能になります。
そのような人は平安に満ちて歩むことが出来るようになるのです。
イエス様は、「あなたがたの思いと心を安らかにしてあげる、それがわたしの贈り物です。わたしが与える平安は、この世が与える、はかない平安とは比べものになりません。」(ヨハネ14:27・リビングバイブル)と語られました。