2サムエル記

2020年11月19日 (木)

2サムエル24章 ダビデの人口調査

 1節には、“さて、再び主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の怒りがイスラエルに対して燃え上がり、ダビデをそそのかして、彼らに向かわせた。「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と。”(2017)とあります。

 この記事の平行個所である1歴代誌21:1は、“さて、サタンがイスラエルに向かって立ち上がり、イスラエルの人口を数えるように、ダビデをそそのかした。”(2017)と記しています。

 サムエル記と歴代誌の両方を合わせるとよく分かります。
主は、人を、悪に誘惑することはありません。
ヤコブ1章には、“13 だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれかを誘惑することもありません。14 人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。15 そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。”(2017)と記されています。

 サタンは、ダビデの欲を見抜いたのでしょう。そして、サタンは、ヤハウェ(主)に、ダビデを誘惑することを願い出たのです。ヤハウェ(主)は、ダビデを矯正するために、サタンの申し出を許可したのだと思います。ダビデの心の中には、高慢が芽生えていたのでしょう。サタンはその悪しき思いを大きくするのが得意です。
主がユダとイスラエルを祝福してくださったので、ユダを含むイスラエル全土は、敵から守られ、地の産物を豊かに収穫し、人口も増えたのです。ダビデの心の中には、主が祝福してくださったからこのようになったのだ、という思いがありましたが、それだけではなく、自分が王として有能であったから、という思いも持っていたのであろうと思います。心の中の思いのせめぎ合いの中で、肉の欲が勝ったのです。そして、人口調査へと突き進んでいったのだろうと思います。

 2-4節には、
“2 王はともにいた軍の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、民を登録し、私に民の数を知らせよ。」
3 ヨアブは王に言った。「あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、この民を百倍にも増やしてくださいますように。わが主、王の目が、親しくこれをご覧になりますように。ところで、わが主、王は、なぜこのようなことを望まれるのですか。」
4 しかし、ヨアブと軍の高官たちへの王のことばは激しかった。ヨアブと軍の高官たちは、イスラエルの民を登録するために王の前から出て行った。”(2017)と記されています。

 この箇所を読むと、ダビデよりも軍の長ヨアブや軍の高官たちの方が、ヤハウェ(主)に対して謙遜です。
軍の長ヨアブや軍の高官たちは、ダビデの行為を止めようとしましたが、ダビデに押し切られ、人口調査をすることになりました。

 5-9節には、軍の長ヨアブや軍の高官たちによる未完成の人口調査が次のように記されています。
“5 彼らはヨルダン川を渡って、ガドの谷の真ん中にある町、ヤゼルに向かって右側にあるアロエルに宿営し、6 ギルアデとタフティム・ホデシの地に行き、さらにダン・ヤアンに行き、シドンに回った。7 そしてツロの要塞に行き、ヒビ人やカナン人のすべての町に行き、ユダのネゲブへ出て行って、ベエル・シェバに至った。8 彼らは全土を行き巡り、九か月と二十日の後にエルサレムに帰って来た。9 ヨアブは兵の登録人数を王に報告した。イスラエルには剣を使う兵士が八十万人おり、ユダの兵士は五十万人であった。”(2017)とあります。

 この人口調査が未完成であったのは、1歴代誌27:24に、“ツェルヤの子ヨアブが数え始めたが、終わらなかった。しかし、このことで御怒りがイスラエルの上に下った。それでその数はダビデ王の年代記の統計には載らなかった。”(2017)と記されていることから分かります。

 以前にも聖書には2回の人口調査が記されていますが、2回とも、ヤハウェ(主)が行うように命じたものでした。
2回目の時の全イスラエルの人口調査の結果は、601,730人でした(民数記27:51)。この人数は兵につける20歳以上の男子の数です。

 10節には、“ダビデは、民を数えた後で、良心のとがめを感じた。ダビデは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、今、このしもべの咎を取り去ってください。私は本当に愚かなことをしました。」”(2017)と記されています。

 ダビデは自分が罪を犯したことを感じました。しかしそれは人口調査の命令を下してから約10ヶ月後のこと、即ち人口調査を終えた後のことでした。

 サタンは、その人の内にある主に喜ばれない欲望や不信仰また憎しみなどに乗じてやって来ます。そしてそれを強くし、ことが実行されたならば、その人から離れます。
脱線しますが、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダの場合ですと、
➀ユダは、常習的に罪を犯していました。
ヨハネ12:6には、“彼〔イスカリオテのユダ(筆者挿入)〕がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。”(2017)と記されています。
②サタンがユダの心に悪しき思いを入れます。
ヨハネ13:2には、“夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。”(2017)と記されています。
③サタンがユダの中に入ります。
ヨハネ13:27には、“ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。”(2017)と記されています。
④サタンは事が実行されれば、サタンが用いた人から離れます。我に返ったその人は、罪責感のかたまりになってしまいます。
マタイ27章には、“3 そのころ、イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちと長老たちに返して、言った。4 「私は無実の人の血を売って罪を犯しました。」しかし、彼らは言った。「われわれの知ったことか。自分で始末することだ。」5 そこで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして出て行って首をつった。”(2017)と記されています。
恐らくその後に、“このユダは、不義の報酬で地所を手に入れたが、真っ逆さまに落ちて、からだが真っ二つに裂け、はらわたがすべて飛び出してしまった。”(使徒1:18・2017)ということが起きたのだろうと思います。

 ダビデの場合は罪責感に責められて自殺したのではなく、主に悔い改めの祈りをささげたのです。主はその祈りを聞いてくださいました。
しかし、主は蒔いた種の刈り取りをさせました。
ガラテヤ6:7には、「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」(2017)と記されています。

 11-25節には、罪の刈り取りの内容が次のように記されています。
“11 朝ダビデが起きると、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばがダビデの先見者である預言者ガドにあった。
12 「行ってダビデに告げよ。『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。わたしはあなたに三つのことを負わせる。そのうちの一つを選べ。わたしはあなたに対してそれを行う。』」
13 ガドはダビデのもとに行き、彼に告げた。「七年間の飢饉が、あなたの国に来るのがよいか。三か月間、あなたが敵の前を逃げ、敵があなたを追うのがよいか。三日間、あなたの国に疫病があるのがよいか。今、よく考えて、私を遣わされた方に何と答えたらよいかを決めなさい。」14 ダビデはガドに言った。「それは私には非常に辛いことです。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の手に陥らせてください。主のあわれみは深いからです。私が人の手には陥らないようにしてください。」
15 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、その朝から定められた時まで、イスラエルに疫病を下された。ダンからベエル・シェバに至るまで、民のうち七万人が死んだ。
16 御使いは、エルサレムを滅ぼそうと手を伸ばした。
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼす御使いに言われた。「もう十分だ。手を引け。」主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いは、エブス人アラウナの打ち場の傍らにいた。
17 ダビデは、民を打っている御使いを見たとき、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に言った。「ご覧ください。この私に罪があるのです。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたでしょうか。どうか、あなたの御手が、私と私の父の家に下りますように。」
18 その日、ガドはダビデのところに来て、彼に言った。「上って行って、エブス人アラウナの打ち場に、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のために祭壇を築きなさい。」
19 ダビデは、ガドのことばにしたがって、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が命じられたとおりに上って行った。
20 アラウナが見下ろすと、王とその家来たちが自分の方に進んで来るのが見えた。アラウナは出て行き、地にひれ伏して、王に礼をした。21 アラウナは言った。「なぜ、わが主、王は、しもべのところにおいでになったのですか。」
ダビデは言った。「あなたの打ち場を買って、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のために祭壇を築きたい。そうすれば民への主の罰は終わるだろう。」
22 アラウナはダビデに言った。「わが主、王よ。お気に召す物を取って、お献げください。ご覧ください。ここに全焼のささげ物のための牛がいます。薪にできる打穀機や牛の用具もあります。23 王よ、このアラウナはすべてを王に差し上げます。」アラウナはさらに王に言った。「あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、あなたを受け入れてくださいますように。」
24 しかし王はアラウナに言った。「いや、私は代金を払って、あなたから買いたい。費用もかけずに、私の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に全焼のささげ物を献げたくはない。」そしてダビデは、打ち場と牛を銀五十シェケルで買った。25 ダビデは、そこに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、この国のための祈りに心を動かされたので、イスラエルへの主の罰は終わった。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ダビデは、罪の行為を実行する前にヨアブに忠告されましたが、それを無視して事を行ってしまいました。
もし、ダビデが、忠告を受けた時に、少し冷静になって主のみ前に出、祈っていたなら、と悔やまれます。
自分より若い人や信仰年の浅い人からの忠告であっても素直に耳を傾け、先ずは主に祈るということを実行することが出来ますように。
絶えずあなたのみ前に謙遜であり続ける歩みをさせて頂けますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年11月18日 (水)

2サムエル23:8-39 ダビデ軍の37人の勇士たち/天に名が記されている人達

 ダビデ軍の三勇士の名前(ヨシェブ・バシェベテ、エルアザル、シャンマ)と三勇士の主たる功績が8-12節に次のように記されています。
“8 ダビデの勇士たちの名は次のとおりである。補佐官のかしら、タハクモニ人ヨシェブ・バシェベテ。彼は槍を振るって一度に八百人を刺し殺した。
9 彼の次は、アホアハ人ドドの子エルアザル。ダビデにつく三勇士の一人であった。彼らがペリシテ人をそしったとき、ペリシテ人は戦うためにそこに集まった。イスラエル人は退いたが、10 彼は立ち上がり、自分の手が疲れて、手が剣にくっつくまでにペリシテ人を討った。主はその日、大勝利をもたらされた。兵たちが彼のところに引き返して来たのは、ただ、はぎ取るためであった。
11 彼の次はアラル人アゲの子シャンマ。ペリシテ人が隊をなして集まったとき、そこにはレンズ豆が豊かに実った一つの畑があった。兵はペリシテ人の前から逃げたが、12 彼はその畑の真ん中に踏みとどまってこれを守り、ペリシテ人を討った。主は大勝利をもたらされた。”(2017)とあります。

 30人の勇士たちの中の、上記の三勇士(ヨシェブ・バシェベテ、エルアザル、シャンマ)とは異なる三人の勇士の勇敢さのエピソードが13-17節に次のように記されています。
“13 三十人のかしらのうちのこの三人は、刈り入れのころ、アドラムの洞穴にいるダビデのところに下って来た。ペリシテ人の一隊は、レファイムの谷間に陣を敷いていた。
14 そのときダビデは要害にいて、ペリシテ人の先陣はそのときベツレヘムにいた。
15 ダビデは切に望んで、「だれかが私に、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらよいのだが」と言った。
16 三人の勇士はペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。
しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に注いで、17 こう言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。」彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士は、そのようなことまでしたのである。”(2017)とあります。

 アビシャイとエホヤダの子ベナヤのエピソードが18-23節に次のように記されています。
“18 さて、ツェルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイは三十人のかしらであった。彼は槍を振るって三百人を刺し殺し、あの三人〔ヨシェブ・バシェベテ、エルアザル、シャンマ(筆者挿入)〕とともに名をあげた。19 彼は三十人の中で最も誉れが高かったので、彼らの長になったが、あの三人〔ヨシェブ・バシェベテ、エルアザル、シャンマ(筆者挿入)〕には及ばなかった。
20 エホヤダの子ベナヤは、カブツェエル出身で、多くの手柄を立てた力ある人であった。彼はモアブの英雄二人を打ち殺した。また、ある雪の日に、洞穴の中に降りて行って雄獅子を打ち殺した。21 彼はまた、例の堂々としたエジプト人を打ち殺した。このエジプト人は、手に槍を持っていた。ベナヤは杖を持ってその男のところに下って行き、エジプト人の手から槍をもぎ取って、その槍で彼を殺した。22 エホヤダの子ベナヤはこれらのことをして、三勇士とともに名をあげた。23 彼はあの三十人の中でも最も誉れが高かったが、あの三人には及ばなかった。ダビデは彼〔エホヤダの子ベナヤ(筆者挿入)〕を自分の護衛長にした。”(2017)とあります。

 24-39節には、32人の勇士の名が次のように記されています。
“24 ヨアブの兄弟アサエルは、例の三十人とともにいた。ベツレヘム出身のドドの子エルハナン。25 ハロデ人シャンマ。ハロデ人エリカ。26 ペレテ人ヘレツ。テコア人イケシュの子イラ。27 アナトテ人アビエゼル。フシャ人メブナイ。28 アホアハ人ツァルモン。ネトファ人マフライ。29 ネトファ人バアナの子ヘレブ。ベニヤミンのギブア出身のリバイの子イタイ。30 ピルアトン人ベナヤ。ガアシュの谷の出であるヒダイ。31 アルバト人アビ・アルボン。バルフム人アズマウェテ。32 シャアルビム人エルヤフバとヨナタン、ヤシェンの子たち〔ベネヤシェン(聖書協会共同訳、新共同訳)私はベネヤシェンで1人として数えています(筆者挿入)〕。33 ハラル人シャンマ。アラル人シャラルの子アヒアム。34 マアカ人アハスバイの子エリフェレテ。ギロ人アヒトフェルの子エリアム。35 カルメル人ヘツライ。アラブ人パアライ。36 ツォバ出身のナタンの子イグアル。ガド人バニ。37 アンモン人ツェレク。ツェルヤの子ヨアブの道具持ち、ベエロテ人ナフライ。38 エテル人イラ。エテル人ガレブ。39 ヒッタイト人ウリヤ。
合計三十七人。”(2017)とあります。

 39節に、「合計三十七人」とありますが、
8-12節に記されている三勇士(ヨシェブ・バシェベテ、エルアザル、シャンマ)と18-23節に記されている二人(アビシャイとエホヤダの子ベナヤ)と24-39節に記されている32人の勇士を合わせると37人になります。
ヨアブは37人の中に名前がありませんが、軍団長でした。

 上記の勇士たち一人一人についての詳細を記すことをスルーして、キリスト者の名前が記されている「書」等について列挙してみたいと思います。
 ➀新約聖書に名が記されている人達
キリストの弟子、という観点でいえば、福音書には、12人の弟子の名前が記され、12人以外にもキリストの弟子の名前が記されています。
また、使徒1:15には、約120人、という人数が記されています。
更に1コリント15:6には、500人以上の兄弟たち、という人数が記されています。
この500人以上の兄弟たちは、キリストの弟子であったと思います。
1コリント15:3-6に、
“3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。”(2017)と記されていますから。
また、新約聖書の様々な箇所に、主の弟子たちの名前が記されています。

 ②新生したキリスト者は天に名前が記されています。
ルカ10:20には、「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(抜粋・2017)と記されています。

 ③永遠のいのちを頂いた人はいのちの書に名前が記されています。
黙示録3:5には、「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。」(2017)とあります。
黙示録20章には、「12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。/15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(2017)とあります。

 ④白い石に新しい名前が記される人がいます。
黙示録2:17には、「勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。また、白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。」(抜粋・2017)とあります。

 ⑤子羊のいのちの書
この書物には、大患難時代の聖徒である人達(イエス・キリストを信じる信仰の故に殉教する人達)も記されています。
黙示録13:8には、「地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書にその名が書き記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。」(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちキリスト者は、天に名が記されていますから感謝します。
あなたの万全の準備の中に安らぎをもって日々生活できますことを感謝し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年11月17日 (火)

2サムエル23:1-7 ダビデの最後の言葉/主は語ってくださる神

 1-7節には、ダビデの最後の言葉が次のように記されています。
“1 これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。いと高き方によって上げられた者、ヤコブの神に油注がれた者の告げたことば。イスラエルの歌の歌い手。
2 「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の霊は私を通して語り、そのことばは私の舌の上にある。
3 イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者。4 その者は、太陽が昇る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らす光のようだ。』5 まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。それは、すべてのことにおいて備えられ、また守られる。神は、私の救いと願いを、すべて育んでくださるではないか。6 よこしまな者たちはみな、根こそぎにされた茨のようだ。それらは手に取ることができない。7 彼らを打つ者はだれも、槍の刃や柄で武装する。彼らはその場で、火で焼き尽くされる。」”(2017)とあります。

 1節冒頭に、「これはダビデの最後のことばである。」とあります。
これは死に際の言葉なのでしょうか。
そうとは限りません。それは、続く「エッサイの子ダビデの告げたことば。」という句によって明らかです。
「告げる」と訳された語の原語は「オラクル」で、神託です。ですから、この1‐7節は、ダビデに最後に与えられた神託です。そのようなわけで、2-3節bには、「ヤハウェの霊は私を通して語り、そのことばは私の舌の上にある。イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。」と続くのです。

 ヤハウェ(主)はダビデに何を語られたのでしょうか。
3c-4節には、「義をもって人を治める者、神を恐れて治める者。4 その者は、太陽が昇る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らす光のようだ。」(2017)とあります。
2017が、「義をもって人を治める者、神を恐れて治める者。」と直訳している箇所を、
新共同訳は、義とは何かが分かるように、「神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は」と意訳しています。
義、正しい、ということは、神が正しいとすることですよ、教えてくれています。
主なる神様が主権をもって治める以外に、100%義なる統治をするということは無理なのです。近未来のキリストの千年王国では、キリストが統治します。
民主主義であるからと言って、その政治体制、法体制が決めた内容が正しいとは限らず、主のみ旨に叶わない内容は、やがて主から裁きを受けるということになるのです。
主が喜ばれるのは、主の教えに基づいた統治です。

 5節には、「まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。それは、すべてのことにおいて備えられ、また守られる。神は、私の救いと願いを、すべて育んでくださるではないか。」(2017)とあります。

 「まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。」という内容は、預言者ナタンが、ダビデに主の御言葉を語った内容に基づきます。
2サムエル7章に、
“8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。『万軍の主はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。11 ・・・主はあなたに告げる。主があなたのために一つの家を造る、と。12 あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。15 しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。16 あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。”(2017)と記されています。

 ナタンを通して主が語られた中に、「彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」という箇所があります。私たちキリスト者は、13節冒頭の「彼」とは、キリストであることを知っています。ローマ人への手紙1:3.4をリビングバイブルは、「3 神のひとり子、主イエス・キリストに関するものです。この方は、人の子として、ダビデ王の家系にお生まれになりました。 4 しかも、死んでのち復活することにより、神のきよい性質を備えた、力ある神のひとり子であることが証明されたのです。」と意訳しています。

 5節をリビングバイブルは、「まことに、神がわが家系をお選びくださった。神は永遠の契約を、私と結んでくださった。その約束はゆるがず、最後まで守られる。神は常に、私の安全と成功を心にかけてくださる。」と意訳しています。

 6.7節の、“6 よこしまな者たちはみな、根こそぎにされた茨のようだ。それらは手に取ることができない。7 彼らを打つ者はだれも、槍の刃や柄で武装する。彼らはその場で、火で焼き尽くされる。」”(2017)という箇所を、
リビングバイブルは、「6 しかし、神に背を向ける者は、いばらのように投げ捨てられる。7 彼らは武装したものに切り捨てられ、火で焼かれる。」と意訳しています。
この箇所を読むと、私は黙示録19章の後半部分を思い起こします。

 黙示録19章は、近未来に起こると私は考えていますが、その19章の後半部分には、
“11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方〔主キリスト・イエス(筆者挿入)〕は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。12 その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。13 その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」と呼ばれていた。
14 天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。
15 この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。また、全能者なる神の激しい憤りのぶどうの踏み場を踏まれるのは、この方である。16 その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。
17 また私は、一人の御使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛んでいるすべての鳥たちに言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。18 王たちの肉、千人隊長の肉、力ある者たちの肉、馬とそれに乗っている者たちの肉、すべての自由人と奴隷たち、また小さい者や大きい者たちの肉を食べよ。」
19 また私は、獣と地の王たちとその軍勢が集まって、馬に乗る方とその軍勢に戦いを挑むのを見た。
20 しかし、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた者たちと、獣の像を拝む者たちを惑わした偽預言者も、獣とともに捕らえられた。この両者は生きたまま、硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。21 残りの者たちは、馬に乗っている方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が彼らの肉を飽きるほど食べた。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ダビデは預言者でもありました。
それは詩篇を読めば分かります。
私たちキリスト者にも、主は、多くの場合、聖書の御言葉を通して語ってくださいましたし、これからも語ってくださいます。
主は語ってくださるまことの神です。
近未来には劇的なことが次々に起こります。
あなたの御言葉を通してあなたの霊が語り、確信を与えてくださらなければ、どうして肉体が一瞬にして霊の体に変えられるなどと信じることが出来るでしょうか。あなたがみことばを信じることが出来るようにして下さり、確信を下さらなければそれは不可能です。
同じようなことはいくつもあります。最初の救いも同じことです。
あなたが信じさせてくださるので、信じることが出来るのです。
信じることの出来ない人は、妄想として片づけるでしょう。
日々、御言葉を通して語ってくださる主に感謝し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年11月16日 (月)

2サムエル22章 ダビデの感謝の歌

 1節には、“主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に歌った。”(2017)とあります。

 詩篇18篇の冒頭には、“指揮者のために。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のしもべダビデによる。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に歌った。”(2017)と記されています。

 2ー4節には、
“2 彼は言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、わが巌、わが砦、わが救い主よ、3 身を避ける、わが岩なる神よ。わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主、あなたは私を暴虐から救われます。4 ほめたたえられる方、この主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を呼び求めると、私は敵から救われる。”(2017)とあります。

 詩篇18:1-3には、
“1 彼は言った。わが力なる主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。私はあなたを慕います。2 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はわが巌わが砦わが救い主身を避けるわが岩わが神。わが盾わが救いの角わがやぐら。3 ほめたたえられる方。この主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を呼び求めると私は敵から救われる。”(2017)と記されています。

 ダビデは幾たびもサウルから命をねらわれましたが、ヤハウェ(主)がダビデを救ってくださったことを、ダビデはヤハウェ(主)に感謝し賛美しています。

 5-7節には、
“5 死の波は私を取り巻き、滅びの激流は私をおびえさせた。6 よみの綱は私を取り囲み、死の罠は私に立ち向かった。7 私は苦しみの中で主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を呼び求め、わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、私の叫びは御耳に届いた。”(2017)とあります。

 詩篇18:4-6には、
“4 死の綱は私を取り巻き滅びの激流は私をおびえさせた。5 よみの綱は私を取り囲み死の罠は私に立ち向かった。6 私は苦しみの中で主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を呼び求めわが神に叫び求めた。主はその宮で私の声を聞かれ御前への叫びは御耳に届いた。”(2017)と記されています。

 もう駄目、万事休す、という時、ダビデの叫び、ダビデの祈りは主に聞かれたのです。

 ダビデの祈りを聞いてくださった主による救出が8-20節に次のように記されています。
“8 地は揺るぎ、動いた。天の基も震え、揺れた。主が怒られたからだ。9 煙は鼻から立ち上り、その口から出る火は貪り食い、炭火は主から燃え上がった。10 主は、天を押し曲げて降りて来られた。黒雲をその足の下にして。11 主は、ケルビムに乗って飛び、風の翼の上に自らを現された。12 主は、闇をご自分の周りで仮庵とされた。水の集まり、濃い雲を。13 御前の輝きから、炭火が燃え上がった。14 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は天から雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。15 主は矢を放って、彼らを散らし、稲妻を放って、かき乱された。16 こうして、海の底が現れ、地の基があらわにされた。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のとがめにより、その鼻の荒い息吹によって。17 主は、高い所から御手を伸ばして私を捕らえ、大水から、私を引き上げられました。18 主は、力ある敵から私を救い出されました。私を憎む者どもからも。彼らは私より強かったのです。19 私のわざわいの日に彼らは立ちはだかりました。けれども、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の支えとなられました。20 主は私を広いところに連れ出し、私を助け出されました。主が私を喜びとされたからです。”(2017)とあります。

 詩篇18:7-19には、
“7 地は揺るぎ動いた。山々の基も震え揺れた〔地震(筆者挿入)〕。主がお怒りになったからだ。8 煙は鼻から立ち上りその口から出る火は貪り食い炭火は主から燃え上がった〔火山の噴火(筆者挿入)〕。9 主は天を押し曲げて降りて来られた。黒雲をその足の下にして。10 主はケルビムに乗って飛び風の翼で天翔られた。11 主は闇を隠れ家とし水の暗闇濃い雲をご自分の周りで仮庵とされた。12 御前の輝きから密雲を突き抜けて来たもの。それは雹と燃える炭。13 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は天に雷鳴を響かせいと高き方は御声を発せられた。雹そして燃える炭。14 主はご自分の矢を放って彼らを散らしすさまじい稲妻を放ってかき乱された〔9-14節は、黒雲、雹、稲妻、暴風雨(筆者挿入)〕。15 こうして水の底が現れ地の基があらわにされた。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よあなたのとがめによりあなたの鼻の荒い息吹〔強風、暴風(筆者挿入)〕によって。16 主はいと高き所から御手を伸ばして私を捕らえ大水〔敵の大軍or大きな試練(筆者挿入)〕から私を引き上げられました。17 主は力ある敵から私を救い出されました。私を憎む者どもからも。彼らが私より強かったからです。18 私のわざわいの日に彼らは立ちはだかりました。けれども主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の支えとなられました。19 主は私を広いところに導き出し私を助け出してくださいました。主が私を喜びとされたからです。”(2017)と記されています。

 万事休す、という時に至るまでも、主に信頼する者は幸いです。そのような人を主は喜んでくださいます(詩篇18:19)。

 21-25節には、ヤハウェ(主)は、人の義に従ってかえりみてくださるお方であるということを次のように記しています。
“21 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、私の義にしたがって私に報い、手のきよさにしたがって顧みてくださいました。22 私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の道を守り、私の神に対して悪を行いませんでした。23 主のすべてのさばきは私の前にあり、主の掟から、私は遠ざかりませんでした。24 私は主に対して全き者。自分の咎から身を守ります。25 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の義にしたがって顧みてくださいました。御目の前の、私のきよさにしたがって。”(2017)とあります。

 詩篇18:20-24には、
“20 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の義にしたがって私に報い手のきよさにしたがって顧みてくださいました。21 私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の道を守り私の神に対して悪を行いませんでした。22 主のすべてのさばきは私の前にあり主のおきてを私は遠ざけませんでした。23 私は主の前に全き者。自分の咎から身を守ります。24 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の義にしたがって顧みてくださいました。御目の前のこの手のきよさにしたがって。”(2017)と記されています。

 ダビデが、ダビデの生涯のどの時期を指して言っているのか、定かではない内容です。バテ・シェバとの姦淫、バテ・シェバの夫ウリヤの殺人(教唆)等は、不義です。ですから全生涯を通してのことでないことは明らかです。ただし、ダビデのサウルに対するありようは素晴らしいものでした。

 少し脱線しますが、
キリスト者の場合を考えてみたいと思います。
キリスト者になった人は、誰でも皆、自分は罪の中を生きてきたし、主のみ救いにあずかった後にも罪を犯しては、それを告白し、主に赦されながら歩んでいる者です、と言うことが出来ると思います。
しかしキリスト者は、イエス・キリストを信じる信仰の故に義と認められ、またイエス・キリスト様にあって義なるものとされています。
1コリント1:30には、“あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。”(口語訳)と記されています。
御父が、私たちキリスト者をキリスト・イエスの内に(in)おいてくださったのです。
万物の根源である神、即ち御父は、私たちを見るときに、キリストの内に在る私たちをキリストを通して見てくださるのです。キリストは「義なるお方」です。それ故、御父は、私たちを義なる者と見てくださっておられます。
しかし、私たちの日常の言動や心の動きを振り返るとき、とても義ではありません。
人が心の中で、「あの人がいなければよいのに」と思ったとしたら、「それは殺人である」、と主イエス様は言われます。
キリストの内にいなければ、御父の前に立てません。
キリスト者は、無意識のうちに、義なる行いが出来る時が来ます。それは天に上げられた後のことです。
黙示録19:8には、「花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」(2017)と記されています。ハレルヤ!
繰り返しますが、「義人はいない。一人もいない。」(ローマ3:10・2017)しかし、キリストを信じる者は、キリストにあって(in)義なのです。それはキリストが義であるからです。
とはいえ、義なる行いの内を歩む者は幸いです。
マタイ5章には、「18 まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。19 ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。」というイエス様の御言葉が記されています。
律法によっては誰も救われません。イエス・キリストを信じることによって即ち心に受け入れることによって救われるのです。とはいえ、律法は大切なものです。律法の根底は、神を愛し、隣人を愛することです(マタイ22:37-40)。

 26-28節には、ヤハウェ(主)は、人のありようによってその人に対処されるお方であることが記されています。
“26 あなたは、恵み深い者には恵み深く、全き者には全き方。27 清い者には清く、曲がった者にはねじ曲げる方。28 苦しむ民を、あなたは救われますが、御目を高ぶる者に向け、これを低くされます。”(2017)とあります。

 詩篇18:25-27には、
“25 あなたは恵み深い者には恵み深く全き者には全き方。26 清い者には清く曲がった者にはねじ曲げる方。27 まことにあなたは苦しむ民を救い高ぶる目を低くされます。”(2017)と記されています。

 恵み深い歩みをする人は幸いです。主は恵み深く接してくださるからです。

 29節には、“主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、まことにあなたは私のともしび。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の闇を照らされます。”(2017)とあります。

 詩篇18:28には、“まことにあなたは私のともしびをともされます。私の神主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私の闇を照らされます。”(2017)と記されています。

 キリスト者に対して、この働きをしてくださっておられるお方は聖霊です。ルカ15章の4-6節の「迷子になった羊を見つけて肩に担いで運んでいる」のは御子の譬えであり、11節以降の父とは御父の譬えであり、8節の「あかり」は聖霊の譬えです。

 30節には、“あなたによって、私は防塞を突き破り、私の神によって、城壁を跳び越えます。”(2017)とあります。

 詩篇18:29にも、“あなたによって私は防塞を突き破り、私の神によって城壁を跳び越えます。”(2017)と記されています。

 ダビデは自身の戦いにおいてまさにこのような実感を味わっていたことと思います。
私たちは、武力闘争はしませんが、日常の歩みにおいて、主によって困難を乗り越える者、主が困難を突き破ってくださるお方であることを覚えます。

 31節には、“神、その道は完全。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。”(2017)とあります。

 詩篇18:30にも、“神、その道は完全。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。”(2017)と記されています。

 私たちは、この御言葉に立脚して歩む者です。

 ヤハウェ(主)こそまことの神、ヤハウェ(主)こそ私を守ってくださるお方、ヤハウェ(主)こそ私を強めてくださるお方、ヤハウェ(主)こそ勝利の源、ヤハウェ(主)は勝利を与えてくださるお方、ヤハウェ(主)はへりくだって私に接してくださるお方、等の意が32-43節に次のように記されています。
“32 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のほかに、だれが神でしょうか。私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。33 神は私の力強い砦。私の道を全きものとされます。34 主は、私の足を雌鹿のようにし、高い所に立たせてくださいます。35 戦いのために私の手を鍛え、腕が青銅の弓も引けるようにされます。36 あなたは御救いの盾を私に下さいます。あなたの謙遜は私を大きくします。37 あなたは私の歩みを広げられ、私のくるぶしはゆるみません。38 私は、敵を追ってこれを根絶やしにし、絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。39 私が彼らを絶ち滅ぼし、打ち砕いたので、彼らは立てず、私の足もとに倒れました。40 あなたは、戦いのために私に力を帯びさせ、向かい立つ者を、私のもとにひれ伏させました。41 あなたは、敵が、私を憎む者どもが私に背を見せるようにされました。私は彼らを滅ぼしました。42 彼らが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に目を留めても、救う者はなく、答えもありませんでした。43 地のちりのように、私は彼らを打ち砕き、道の泥のように、粉々に砕いて踏みつけました。”(2017)とあります。

 詩篇18:31-42には、
“31 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のほかにだれが神でしょうか。私たちの神を除いてだれが岩でしょうか。32 神は私に力を帯びさせ私の道を全きものとされます。33 主は私の足を雌鹿のようにし高い所に立たせてくださいます。34 戦いのために私の手を鍛え腕が青銅の弓も引けるようにしてくださいます。35 あなたは御救いの盾を私に下さいます。あなたの右の手は私を支えあなたの謙遜は私を大きくします。36 あなたは私の歩みを大きくし私のくるぶしはゆるみません。37 私は敵を追ってこれに追いつき絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。38 私が彼らを打ち砕いたので彼らは立てず私の足もとに倒れました。39 あなたは戦いのために私に力を帯びさせ向かい立つ者を私のもとにひれ伏させました。40 あなたは敵が私を憎む者どもが私に背を見せるようにされました。私は彼らを滅ぼしました。41 彼らが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に叫び求めても救う者はなく答えもありませんでした。42 風の前のちりのように私は彼らを粉々に砕き道の泥のように除き去りました。”(2017)と記されています。

 「あなたの謙遜は私を大きくします。」(詩篇18:35、2サムエル22:36)とあります。
私たちの主イエス・キリスト様は、すべてのものにまさって謙遜になってくださいました。それ故、私たちは救われ、神の子どもとされ、永遠に主と共に生きる者とされたのです。
 ローマ5:6-11には、
“6 実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。7 正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。9 ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。10 敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。11 それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。”(2017)と記され、
 ピリピ2:6-8には、
“6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。”(2017)と記されています。

 ヤハウェ(主)が救助者であられ、ヤハウェ(主)が頭に立たせてくださるお方であるということが44-46節に次のように記されています。
“44 あなたは、民の争いから私を助け出し、国々のかしらとして保たれました。私の知らなかった民が私に仕えます。45 異国の人々は私にへつらい、耳で聞くとすぐ、私に聞き従います。46 異国の人々は打ちしおれ、砦から震えて出て来ます。”(2017)とあります。

 詩篇18:43-45には、
“43 あなたは民の争いから私を助け出し国々のかしらに任じられました。私の知らなかった民が私に仕えます。44 彼らは耳で聞くとすぐ私に聞き従います。異国の人々は私にへつらいます。45 異国の人々は打ちしおれ砦から震えて出て来ます。”(2017)と記されています。

 ヤハウェ(主)は賛美されるお方、主は賛美されるべきお方、主は守ってくださるお方、主は勝利を与えてくださるお方、主は恵みを与え続けてくださるお方であるということが47-51節に次のように記されています。
“47 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな、わが救いの岩なる神。48 この神は私のために、復讐する方。諸国の民を私のもとに下らせる方。49 神は、敵から私を携え出される方。あなたは、向かい立つ者から私を引き上げ、不法を行う者から私を救い出してくださいます。50 それゆえ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。51 主は、ご自分の王に救いを増し加え、主に油注がれた者ダビデとその裔に、とこしえに恵みを施されます。」”(2017)とあります。

 詩篇18:46-50には、
“46 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられる。ほむべきかなわが岩。あがむべきかなわが救いの神。47 この神は私のために復讐する方。諸国の民を私のもとに従わせてくださる。48 神は敵から私を助け出される方。実にあなたは向かい立つ者から私を引き上げ不法を行う者から救い出してくださいます。49 それゆえ主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。50 主はご自分の王に救いを増し加え主に油注がれた者ダビデとその裔にとこしえに恵みを施されます。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたこそすべてのすべてであられ、賛美されるべきお方です。
ダビデは、「主こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの主の民その牧場の羊。」(2017)とも詩篇100:3に記していますが、私たちキリスト者は、イエス様の花嫁として御父がご計画されました者たちであることを感謝します。
携挙の後に、天において婚宴の儀がもたれますこと、その後はいつも主と共にあることを感謝します。
地上に置かれている間は肉の目でイエス様を見ることは出来ませんが、常にイエス様と共にあることを覚え感謝します。
日々主と共にあることを感謝し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年11月15日 (日)

2サムエル21章 三年の飢饉の顛末/ペリシテとの戦い

 新聖書注解は、“21‐24章は、本書の付録である。そのことは、前章までが大体時間順に書き続けられたのに、この部分では時間順が乱れることから知られる。”と述べています。

 ダビデの時代に飢饉が三年間続きました。ダビデがその原因を主に伺ったところ、主はその原因を教えてくださいました。それらのことが1.2節に次のように記されています。
“1 ダビデの時代に、三年間引き続いて飢饉が起こった。
それで、ダビデは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御顔を求めた。
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われた。「サウルとその一族に、血の責任がある。彼がギブオン人たちを殺戮したからだ。」
2 王はギブオン人たちを呼び出し、彼らに話した。このギブオンの人たちは、イスラエル人ではなくアモリ人の生き残りで、イスラエル人は彼らと盟約を結んでいた。だが、サウルはイスラエルとユダの人々への熱心のあまり、彼らを討とうとしたのである。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)は、モーセを通して、カナンの地に入ったならば、カナン人を聖絶せよ、と命じました。
しかし、モーセの後継者ヨシュアの時代、ギブオン人は偽装してイスラエルとの平和条約を結びました。
ヨシュア9:15には、“ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。会衆の上に立つ族長たちは彼らに誓った。 ”(2017)とあります。この誓いは主にかけて誓ったものでした。
ヤハウェ(主)は、契約を極めて重んじます。
ギブオン人は、イスラエルのしもべとなりました。主の名によって契約を結んだ以上、イスラエルはギブオン人を殺してはならなかったのです。
しかしサウルは、主の命令ではなくイスラエルとユダの人々への熱心のあまり、ギブオン人を殺戮したのです。サウルは人気取りのためにこのようなことをしたのでしょうか。私にはよく分かりませんが。
ヤハウェ(主)がヤハウェ(主)のさばきの一環として聖絶せよ、と命じた故にそれを実行するという場合以外のときの殺人は、十戒の中の第六戒「殺してはならない。」という律法を犯すことになります。

 3年間の飢饉の原因をヤハウェ(主)から教わったダビデは、ギブオン人たちにどうしたらよいかを質問し、ギブオン人たちは、それに対する答えを言いました。3-6節bに次のように記されています。
“3 ダビデはギブオン人たちに言った。「あなたがたのために、私は何をすべきであろうか。私が何をもって宥めを行ったら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のゆずりの地が祝福されるだろうか。」
4 ギブオン人たちは彼に言った。「私たちと、サウルおよびその一族との間の問題は、銀や金のことではありません。また、私たちがイスラエルのうちで人を殺すことでもありません。」
ダビデは言った。「私があなたがたに何をしたらよいと思うのか。」
5 彼らは王に言った。「私たちを絶ち滅ぼそうとした者、私たちを根絶やしにしてイスラエルの領土のどこにも、いさせないように企んだ者、6 その者の息子の七人を私たちに引き渡してください。私たちは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が選ばれたサウルのギブアで、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のために彼らをさらし者にします。」”(2017)とあります。

 ギブオン人たちの要求は、「サウルの息子の七人を私たちに引き渡してください。私たちはヤハウェ(主)が選ばれたサウルのギブアで、ヤハウェ(主)のために彼らをさらし者にします。」というものでした。

 ギブオン人たちの要求に対してダビデ“王は言った。「引き渡そう。」”(21:6c.d・2017)と約束しました。

 ダビデ王は、サウルの息子7人を選別してギブオン人の手に渡しました。ギブオン人たちは、ダビデに語った通りのことをしました。そのことが7-9節に次のように記されています。
“7 王は、サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテ〔サウルの孫(筆者挿入)〕を惜しんだ。それは、ダビデとサウルの子ヨナタンの間で主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に誓った誓いのためであった。8 王は、アヤの娘リツパがサウルに産んだ二人の息子アルモニとメフィボシェテ〔サウルの子(筆者挿入)〕、それに、サウルの娘メラブがメホラ人バルジライの息子アデリエルに産んだ五人の息子を取って、9 彼らをギブオン人の手に渡した。
彼らは、この者たちを山の上で主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に、さらし者にした。これら七人は一緒に倒れた。彼らは、刈り入れ時の初め、大麦の刈り入れの始まったころ殺された。”(2017)とあります。

 10節には、“アヤの娘リツパは、粗布を手に取って、それを岩の上に敷いて座り、刈り入れの始まりから雨が天から彼らの上に降るときまで、昼には空の鳥が、夜には野の獣が死体に近寄らないようにした。”(2017)とあります。

 イスラエルには肉食の大型鳥類かいました(レビ11:13.14)。
また四つ足の肉食の獣もいました。獅子、犬、キツネ、ジャッカルなどは聖書に登場する動物です。
イゼベルは犬に食べられてしまいました(2列王記9:10.33-37)。
母性愛に満ちたアヤの娘リツパは、上記の獣をも死体となった子どもたちに近づかせなかったのです。
 10節には、「雨が天から彼らの上に降るときまで」とありますから、このことによって主は雨を天から降らせ、それによって穀物が実りイスラエルの飢饉が終了することになったのであろうと思います。

 ダビデはサウルの側女アヤの娘リツパのしたことに触発され、ダビデ及び部下の者たちは、サウル、ヨナタン、さらし者にされたものたちの骨を集め、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬ったことが11-14節に次のように記されています。
“11 サウルの側女アヤの娘リツパのしたことはダビデに知らされた。
12 ダビデは行って、サウルの骨とその息子ヨナタンの骨を、ヤベシュ・ギルアデの者たちのところから持って来た。
これは、ペリシテ人がサウルをギルボアで討った日に、二人をさらし者にしたベテ・シャンの広場から、ヤベシュ・ギルアデの者たちが盗んで行ったものであった。
13 ダビデはサウルの骨とその息子ヨナタンの骨をそこから携えて上った。
人々は、さらし者にされた者たちの骨を集めた。
14 彼らはサウルとその息子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬り、すべて王が命じたとおりにした。
その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)が、この国の祈りを聞いてくださるようになったのは、12-14節aの行為をした後であったのです。

 15-22節には、ペリシテ人との戦いで危機に瀕したダビデ、そのダビデを助けたアビシャイ、また、ペリシテの勇士と戦って勝利したイスラエルの4人の勇士の名が次のように記されています。
“15 ペリシテ人が再びイスラエルに戦いを仕掛けたことがあった。ダビデは自分の家来たちを連れて下り、ペリシテ人と戦ったが、ダビデは疲れていた。
16 ラファ〔「ラファ」は巨人の意。「ラファ」の複数形は「レファイム」(筆者挿入)〕の子孫の一人であったイシュビ・ベノブは、「ダビデを討つ」と言った。彼の槍の重さは青銅で三百シェケル〔3420g(筆者挿入)〕。そして彼は新しい剣を帯びていた。
17 ツェルヤの子アビシャイはダビデを助け、このペリシテ人を打ち殺した。
そのとき、ダビデの部下たちは彼に誓って言った。「あなたは、もうこれから、われわれと一緒に戦いに出ないでください。あなたがイスラエルのともしびを消さないために。」
18 その後のこと、ゴブで再びペリシテ人との戦いがあった。そのとき、フシャ人シベカイは、ラファ〔巨人(筆者挿入)〕の子孫のサフを打ち殺した。
19 ゴブでペリシテ人との戦いが再びあったとき、ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンは、ガテ人ゴリヤテを打ち殺した。ゴリヤテの槍の柄は、機織りの巻き棒のようであった。
20 再びガテで戦いがあったとき、手の指、足の指が六本ずつで、合計二十四本指の闘士がいた。彼もラファ〔巨人(筆者挿入)〕の子孫であった。21 彼はイスラエルをそしったが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を打ち殺した。
22 これら四人はガテのラファ〔巨人(筆者挿入)〕の子孫で、ダビデとその家来たちの手にかかって倒れた。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
今日の箇所から、私は、あなたが契約を重要視するお方であるということを再度学ばせて頂きました。
私たちの救いも、イエス・キリスト様の十字架と復活を土台とし、キリストを信じる信仰によって救われるという新契約に基づいていることを覚えます。
あなたが、一方的に契約を破棄されたならば、私たちの救いはなくなります。
しかし、あなたは、契約を守られる義なるお方ですから、御名を崇めて賛美します。
私たちは、あなたが提示してくださった契約に基づき、イエス様を信じて(信じさせて頂いて)救われました。
あなたが憐れみの神であるだけではなく、約束を必ず守られる義の神であることを感謝します。
あなたの御名をほめたたえ、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年11月14日 (土)

2サムエル20章 シェバの反乱とシェバの死、アマサを暗殺したヨアブ、ダビデの重臣たち

ビクリの子シェバがダビデ王に対して反旗を翻した様子が1.2節に次のように記されています。
“1 たまたまそこに、よこしまな者で、名をシェバという者がいた。彼はベニヤミン人ビクリの息子であった。彼は角笛を吹き鳴らして言った。「ダビデのうちには、われわれのための割り当て地はない。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、それぞれ自分の天幕に帰れ。」2 すべてのイスラエルの人々は、ダビデから離れ、ビクリの子シェバに従って行った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王につき従って行った。”(2017)とあります。

 イスラエルの人々は、ダビデに従わないでベニヤミン人のシェバに従って行きました。イスラエルとユダが分かれた場所はギルガルorその周辺であったのだろうと思います(2サムエル19:40)。
一方、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王ダビデにつき従って行きました。

 3節には、
“ダビデはエルサレムの自分の王宮に入った。王は、王宮の留守番に残しておいた十人の側女をとり、監視つきの家を与えて養ったが、彼女たちのところには通わなかった。彼女たちは、一生、やもめとなって、死ぬ日まで閉じ込められていた。”(2017)とあり、可哀そうなことにダビデのそばめたちは、軟禁されてしまったのです。やもめたちが悪いわけではないのに。

 4.5節には、
“4 王はアマサに言った。「私のために、ユダの人々を三日のうちに召集し、あなたも、ここに帰って来なさい。」5 アマサは、ユダの人々を召集するために出て行ったが、指定された期限に間に合わなかった。”(2017)とあります。

 アマサはクーデターを起こしたアブサロム軍の軍団長でした。しかし、アブサロムの死後、ダビデはアマサをヨアブに変えてダビデ軍の軍団長にしたのです。
ダビデは人を介してアマサに、「あなたは私の骨肉ではないか。もしあなたが、ヨアブに代わってこれからいつまでも、私の軍の長にならないなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。」(2サムエル19:13・2017)と言っています。
ダビデは、軍団長となったアマサにユダの人々を招集させたのですが、アマサは、期限内にその仕事を果たすことが出来ませんでした。

 早い時期に謀反の芽を摘んでしまわなければ一大事になると考えたダビデは、ヨアブに替えて軍団長としたアマサを待っていることをしないで、アビシャイを隊長として立て、シェバの後を追わせたことが6.7節に次のように記されています。
“6 ダビデはアビシャイに言った。「今や、ビクリの子シェバは、アブサロムよりも、もっとひどいわざわいを、われわれに仕掛けるに違いない。あなたは、主君の家来を引き連れて彼を追いなさい。さもないと、彼は城壁のある町に入って、逃れてしまうだろう。」7 ヨアブの部下、クレタ人、ペレテ人、そしてすべての勇士たちは、アビシャイの後に続いて出て行った。彼らはエルサレムを出て、ビクリの子シェバの後を追った。”(2017)とあります。

 クレタ人、ペレテ人というのは、イスラエル人ではありませんが、ダビデの親衛隊です。

 8-10節dには、ヨアブがアマサを暗殺した次第が次のように記されています。
“8 彼らがギブオンにある大きな石のそばに来たとき、アマサが彼らの前にやって来た。
ヨアブは自分のよろいを身に着け、さやに収めた剣を腰の上に帯で結び付けていた。彼が進み出ると、剣が落ちた。9 ヨアブはアマサに「兄弟、おまえは無事か」と言って、アマサに口づけしようとして、右手でアマサのひげをつかんだ。
10 アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。
ヨアブは彼の下腹を突いた。それで、はらわたが地面に流れ出た。この一突きでアマサは死んだ。”(2017)とあります。

 アマサは、ヨアブのいとこでした。アブサロムとヨアブとアマサもいとこです。
ヨアブは、全イスラエルからユダを除くイスラエルの軍団長アブネルを暗殺し(2サムエル3:27)、ダビデ王の命令に背いてアブサロムを殺し(2サムエル18:5、14)、更にこの箇所に記されているようにアマサをも暗殺したのです。

 そして続く10節eには、“ヨアブとその兄弟アビシャイは、ビクリの子シェバの後を追った。”(2017)と記されています。

 11-14節には、
“11 ヨアブに仕える若者の一人がアマサのそばに立って言った。「ヨアブにつく者、ダビデに味方する者は、ヨアブに従え。」
12 アマサは大路の真ん中で、血まみれになって転がっていた。
この若者は、兵がみな立ち止まるのを見て、アマサを大路から野原に運んだ。そして、その傍らを通る者がみな立ち止まるのを見ると、彼の上に衣を掛けた。
13 アマサが大路から移されると、みなヨアブの後について進み、ビクリの子シェバを追った。
14 シェバはイスラエルの全部族のうちを通って、アベル・ベテ・マアカへ行った。すべてのベリ人が集まって来て、彼に従った。”(2017)と記されています。

 アベル・ベテ・マアカは、イスラエルの北方、ダンの西方7kmの所にある(注解付新改訳聖書の注)ので、“シェバはイスラエルの全部族のうちを通って”(14)とあるように、シェバはエルサレムからイスラエルの地を北へと縦断してアベル・ベテ・マアカに行ったのです。

 ビクリの子シェバの下に、“すべてのベリ人が集まって来て、彼に従った。”(14・2017)とあります。
この箇所を聖書協会共同訳は、“ビクリの一党も皆集まって来て、彼に従った。”と訳し、「ビクリ」について、欄外に、(ヘ)ベリ人、(ウルガタ訳)選ばれた者、と記しています。
ベリ人とは?については諸説あります。
新共同訳は、“選び抜かれた兵が寄り集まり彼に従った。”と訳し、
口語訳は、“ビクリびとは皆、集まってきて彼に従った。”と訳しています。

 ダビデ王に反旗を翻したシェバを打ち取ったのはヨアブではなく、知恵のある一人の女性でした。その経緯は15-22節に次のように記されています。
“15 人々〔ヨアブに従う兵士全員(新共同訳)〕はアベル・ベテ・マアカに来て、彼を包囲し、この町に向かって塁を築いた。それは外壁に向かって立てられた。ヨアブにつく兵はみな、城壁を破壊して倒そうとしていた。
16 この町から、一人の知恵のある女が叫んだ。「聞いてください。聞いてください。ヨアブにこう言ってください。『ここまで近づいてください。あなたにお話ししたいのです。』」
17 ヨアブが彼女の方に近づくと、この女は言った。「あなたがヨアブですか。」
彼は言った。「そうだ。」女は言った。
「このはしためのことばを聞いてください。」
彼は言った。「よし、聞こう。」
18 女は言った。「昔、人々は『アベルで尋ねよ』と言って、事を決めました。
19 私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者の一人です。あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。あなたはなぜ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のゆずりの地を、呑み尽くそうとされるのですか。」
20 ヨアブは答えて言った。「とんでもない。呑み尽くしたり滅ぼしたりするなど、とんでもないことだ。21 そうではない。実はビクリの息子で、その名をシェバというエフライムの山地の出である男が、ダビデ王に手向かったのだ。この男だけを引き渡してくれたら、私はこの町から引き揚げよう。」
女はヨアブに言った。「では、その男の首を城壁の上からあなたのところに投げ落としてごらんにいれます。」
22 この女は知恵を用いて、民全員のところに行った。それで彼らはビクリの子シェバの首をはね、それをヨアブのもとに投げた。
ヨアブは角笛を吹き鳴らし、人々は町から散って行き、それぞれ自分の天幕に帰った。ヨアブはエルサレムの王のところに戻った。”(2017)とあります。

 ビクリの子シェバは、知恵のある一人の女性の言葉に動かされたアベル・ベテ・マアカの民によって首をはねられて死にました。
知恵ある女性は、町の城壁を守ったのでした。町の城壁が壊されると、他民族から簡単に攻略or略奪されてしまします。
ヨアブは戦わずしてダビデに反逆したものの首を得、帰途についたのでした。

 23‐26節には、ダビデの重臣たちの一覧が次のように記されています。
“23 さて、ヨアブはイスラエルの全軍の長〔司令官(新共同訳)〕であった。エホヤダの子ベナヤはクレタ人とペレテ人の長〔ベナヤは王の護衛長(意訳・リビングバイブル)〕、24 アドラムは役務長官〔労役の監督官(新共同訳)〕、アヒルデの子ヨシャファテは史官、25 シェワは書記、ツァドクとエブヤタルは祭司、26 ヤイル人イラもダビデの祭司であった。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
今日は、一人の女性の知恵に心が留まりました。
あなたは、ヤコブ1:5に、あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」(2017)とヤコブに記させました。
知恵の必要な時には、必要な知恵を与えてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

2020年11月13日 (金)

2サムエル19:24-43 ダビデとメフィボシェテ、バルジライ、イスラエルとユダの言い争い/幸いなのは主を愛し隣人を愛する者

 24-30節には、足の萎えたヨナタンの子メフィボシェテがダビデを迎えに来た時のことが次のように記されています。
“24 サウルの孫メフィボシェテは、王を迎えに下って来た。彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、ひげも剃らず、衣服も洗っていなかった。25 彼が王を迎えにエルサレムから来たとき、
王は彼に言った。「メフィボシェテよ、あなたはなぜ、私とともに来なかったのか。」
26 彼は言った。「わが君、王様。家来〔ツィバ(筆者挿入)〕が私をたぶらかしたのです。このしもべ〔メフィボシェテ(筆者挿入)〕は『ろばに鞍を置き、それに乗って、王と一緒に行こう』と言ったのです。しもべは足の萎えた者ですから。27 彼〔ツィバ(筆者挿入)〕がこのしもべのことを王様に中傷したのです。しかし、王様は神の使いのような方ですから、お気に召すようにしてください。28 私の父の家の者はみな、王様から見れば、死刑に当たる者にすぎなかったのですが、あなたは、このしもべをあなたの食卓で食事をする者のうちに入れてくださいました。ですから、この私に、どうして重ねて王様に訴える権利があるでしょう。」
29 王は彼に言った。「あなたはなぜ、自分のことをまだ語るのか。私は決めている。あなたとツィバとで地所を分けるのだ。」
30 メフィボシェテは王に言った。「王様が無事に王宮に帰られた後なら、彼が全部取ってもかまいません。」”(2017)とあります。

 サムエル記の内容をあまり知らない人のために、メフィボシェテの弁解の理由を前出の聖書本文から下記しておきます。

 2サムエル16:1-4には、
“1 ダビデは山〔オリーブ山(筆者挿入)〕の頂から少し下った。見ると、メフィボシェテのしもべツィバが王を迎えに来ていた。彼は、鞍を置いた一くびきのろばに、パン二百個、干しぶどう百房、夏の果物百個、ぶどう酒一袋を載せていた。
2 王はツィバに言った。「これらは何のためか。」ツィバは言った。「二頭のろばは王の家族がお乗りになるため、パンと夏の果物は若者たちが食べるため、ぶどう酒は荒野で疲れた者が飲むためです。」
3 王は言った。「あなたの主人の息子〔メフィボシェテ(筆者挿入)〕はどこにいるのか。」
ツィバは王に言った。「今、エルサレムにとどまっております。あの方は、『今日、イスラエルの家は、父の王国を私に返してくれる』と言っておりました。」
4 王はツィバに言った。「見よ、メフィボシェテのものはみな、あなたのものだ。」
ツィバは言った。「王様。あなた様のご好意をいただくことができますように、伏してお願いいたします。」”(2017)と記されています。

 今日の箇所のメフィボシェテの証言で、ツィバが、「〔メフィボシェテが、(筆者挿入)〕『今日、イスラエルの家は、父の王国を私に返してくれる』と言っておりました。」(2サムエル16:3)とダビデに言ったのは嘘であることが明らかになったのです。
しかし、ツィバは、動機は何であれ、ダビデが困っている時に、鞍を置いた一くびきのろばに、パン二百個、干しぶどう百房、夏の果物百個、ぶどう酒一袋を載せてもって来てくれた人です。
ダビデは、ツィバに、「見よ、メフィボシェテのものはみな、あなたのものだ。」(2サムエル16:4)と言いましたが、メフィボシェテの証言を聞いた後、それを撤回し、「あなたとツィバとで地所を分けるのだ。」(2サムエル19:29)と変更しています。

 メフィボシェテについて、聖書辞典は、“メフィボシェテは,ダビデが帰ってきた時、自分の無実を釈明したので、ダビデはその財産をツィバと分けるようにと言った。しかしメフィボシェテは、ダビデが無事に王宮に帰ってきたのだから、それを全部ツィバにやってもよいと言った(2サムエル19:24‐30)。メフィボシェテは、父ヨナタンの性格を受け継いでおり、ヨナタンと同様、ダビデに対して愛と誠実をもって仕えていた。彼にはひとりの子ミカがあった(2サムエル9:12)。このミカによってヨナタンの一族は長く続いた。歴代誌では,メフィボシェテはメリブ・バアルと呼ばれている(1歴代誌8:34,9:40)。おそらくそれはもとの名前であったろうが、「バアルに愛される者」あるいは「バアルの勇士」という意味で、異教的な意味があったので、メフィボシェテに変えられたと思われる。”(抜粋)と述べています。
バアルの普通名詞としての意味は、「主人」です。

 ダビデの親友ヨナタンの系譜は、
“34 ヨナタンの子はメリブ・バアル〔メフィボシェテ(筆者挿入)〕。メリブ・バアル〔メフィボシェテ(筆者挿入)〕はミカを生んだ。35 ミカの子はピトン、メレク、タアレア、アハズ。36 アハズはエホアダを生み、エホアダは、アレメテ、アズマウェテ、ジムリを生み、ジムリはモツァを生んだ。37 モツァはビンアを生んだ。その子はラファ、その子はエルアサ、その子はアツェル。38 アツェルには六人の子がいた。その名は次のとおりである。アズリカム、ボクル、イシュマエル、シェアルヤ、オバデヤ、ハナン。これらはみな、アツェルの子であった。39 彼の兄弟エシェクの子は、長子ウラム、次男エウシュ、三男エリフェレテ。40 ウラムの子たちは勇士であり、弓を引く人々であった。子や孫が多く、百五十人いた。以上はみな、ベニヤミンの子孫であった。”(1歴代誌8:34-40・2017)と続いていったのです。

 31-40節には、80歳のバルジライとダビデの会話、ダビデがバルジライの恩に報いたこと及び自分の町に帰っていったバルジライについて次のように記されています。
“31 一方、ギルアデ人バルジライはロゲリムから下って来た。そして、ヨルダン川で王を見送るために、王とともにヨルダン川まで進んで来た。
32 このバルジライは、たいへん年をとっていて八十歳であった。彼は王がマハナイムにいる間、王を養っていた。非常に裕福な人だったからである。
33 王はバルジライに言った。「私と一緒に渡って行ってください。エルサレムの私のもとで、あなたを養います。」
34 バルジライは王に言った。「王様とともにエルサレムへ上って行っても、私はあと何年生きられるでしょう。35 私は今、八十歳です。私に善し悪しが分かる〔美味しいものと美味しくないものの弁別が出来る(筆者挿入)〕でしょうか。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声を聞くことさえできません。どうして、この上、しもべが王様の重荷になれるでしょう。36 このしもべは、王様とともにヨルダン川をほんの少しだけ進んで参りましょう。王様は、そのような報酬を、どうしてこの私に下さらなければならないのでしょう。37 このしもべを帰らせてください。私は自分の町で、父と母の墓の近くで死にたいのです。ご覧ください。ここに、あなたのしもべキムハムがおります。彼が、王様と一緒に渡って参ります。どうか彼に、あなたの良いと思われることをなさってください。」
38 王は言った。「キムハムは私と一緒に渡って行けばよい。私は、あなたが良いと思うことを彼にしよう。あなたが私にしてほしいことは何でも、あなたにしてあげよう。」
39 こうして、民はみなヨルダン川を渡り、王も渡った。
王はバルジライに別れの口づけをして、彼を祝福した。
それで、バルジライは自分の町へ帰って行った。”(2017)とあります。

 15、40-43節には、ダビデをめぐってのイスラエルとユダの言い合いが次のように記されています。
“15 王は帰途につき、ヨルダン川までやって来た。一方、ユダの人々は、王を迎えてヨルダン川を渡らせるためにギルガルに来た。/
40 それから、王はギルガルへ進み、キムハムも王とともに進んだ。ユダのすべての民とイスラエルの民の半分〔イスラエルの中のダビデ支持派のグループ(注解付新改訳聖書の注)、ここではごく一部の意(次節参照)(岩波訳注)〕が、王とともに進んだ。
41 するとそこに、イスラエルのすべての人が王のところにやって来て、王に言った。「われわれの同胞、ユダの人々は、なぜ、あなたを奪い去り、王とその家族に、また王とともにいるダビデの部下たちに、ヨルダン川を渡らせたのですか。」
42 ユダのすべての人々はイスラエルの人々に答えた。「王は、われわれの身内だからだ。なぜ、このことでそんなに怒るのか。いったい、われわれが王の食物を食べたとでもいうのか。王が何かわれわれに贈り物をしたとでもいうのか。」
43 イスラエルの人々はユダの人々に答えて言った。「われわれは、王のうちに十の分を持っている。だからダビデにも、あなたがたよりも多くを持っている。なぜ、われわれをないがしろにするのか。われわれの王を連れ戻そうと最初に言い出したのは、われわれではないか。」しかし、ユダの人々のことばは、イスラエルの人々のことばより激しかった。”(2017)とあります。

 バルジライとダビデのすてきな会話があり、バルジライが帰った後、イスラエルとユダの言い合いが始まったのです。仲良く王を迎えればよいのですがそうはいかなかったのです。
少し脱線しますが、やがて、ダビデの孫でソロモンの子レハブアムの時代に、イスラエル12部族からなるイスラエルは、ユダ王国(南イスラエル王国)とイスラエル王国(北イスラエル王国)に分裂するのです。

 再度脱線します。
イエス様は、「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34・2017)と言われました。
更にイエス様は、「15 もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。16 そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。17 この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。/21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。23 だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14章・2017)と語られました。

 主に在る兄姉を愛することの祝福はなんとすばらしいものなのでしょう。常に三一の主が共にいてくださることに勝るものはありません。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
いつも主を愛し、兄姉を愛して歩む者であらせてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年11月12日 (木)

2サムエル19:1-23 エルサレムへ向かうダビデ/誰からの忠告でも、それが正しいものであるなら受け入れよう

 アブサロムの死に対するダビデ王の態度と、それに伴う従軍した兵士たちの様子が、1‐4節に次のように記されています。 
“1 そのようなときに、ヨアブに、「今、王は泣いて、アブサロムのために喪に服しておられる」という知らせがあった。
2 その日の勝利は、すべての兵たちの嘆きとなった。その日兵たちは、王が息子のために悲しんでいるということを聞いたからである。3 兵たちはその日、まるで戦場から逃げて恥じている兵がこっそり帰るように、町〔マハナイムの町(筆者挿入)〕にこっそり帰って来た。
4 王は顔をおおい、大声で、「わが子アブサロム、アブサロムよ。わが子よ、わが子よ」と叫んでいた。”(2017)とあります。

 ダビデにとって、アブサロムは自分に反逆したとはいえ、自分の愛する息子ですから、“顔をおおい、大声で、「わが子アブサロム、アブサロムよ。わが子よ、わが子よ」と叫んでい”(4)ても不思議ではありませんが、しかしダビデは王という立場でありました。ダビデが、人目を忍んで悼み悲しんでいれば問題はなかったのですが、ダビデは人目をはばからずに、顔をおおい、大声で、「わが子アブサロム、アブサロムよ。わが子よ、わが子よ」と叫んでいたのです。

 アブサロムのクーデターに対抗し、王ダビデを守るために、命を懸けて戦った兵士たちにとっては、ダビデの嘆きの光景はどのように映ったことでしょうか。
「王は泣いて、アブサロムのために喪に服しておられる」という知らせを聞いたダビデ軍の兵士たちは、“まるで戦場から逃げて恥じている兵がこっそり帰るように、町にこっそり帰って来た”のです。
 兵士たちの心は複雑であったことでしょう。ダビデのために命を懸けた俺たちはどうでもいいのか、と心の中で思う者もいたことでしょう。

 5-7節には、ダビデを守った兵士たちの気持ちを考えずに、クーデターを起こした息子アブサロムの死を嘆き悲しんでいるダビデ王に、ヨアブが忠告した内容が次のように記されています。
“5 ヨアブは王の家に来て言った。「今日あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、そして妻や側女たちのいのちを救ってくれたあなたの家来たち全員に、あなたは今日、恥をかかせられました。6 あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは今日、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないものであることを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブサロムが生き、われわれがみな今日死んだなら、それはあなたの目にかなったのでしょう。7 さあ今、立って外に行き、あなたの家来たちの心に語ってください。私は主によって誓います。〔私は主によって誓って言うが、の意(筆者挿入)〕あなたが外においでにならなければ、今夜、だれ一人あなたのそばにとどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいものとなるでしょう。」”(2017)とあります。

 ヨアブは、自分の立場を守るためには殺人をもいとわない人でしたが、多くの場合、主を畏れ、主に信頼し、イスラエルのためを思って行動した人でした。

 ヨアブの忠告を聞き、我に返ったダビデ王は、兵士たちの労をねぎらったことと思います。8節のa-cの部分には、
“8 王は立って、門のところに座った。人々はすべての兵たちに「見なさい。王は門のところに座っておられる」と知らせた。兵たちはみな王の前にやって来た。”(2017)と記されています。

 8d-10節には、アブサロムについたイスラエルの民の言動が次のように記されています。
“8d 一方、イスラエルは、それぞれ自分たちの天幕に逃げ帰っていた。9 イスラエルの全部族の間で、民はみなこう言って争っていた。「王〔ダビデのこと(筆者挿入)〕が敵の手から、われわれを救い出してくださったのだ。われわれをペリシテ人の手から助け出してくださったのは王〔ダビデ(筆者挿入)〕だ。ところが今、王はアブサロムのいるところから国外に逃げておられる。10 われわれが油を注いで王とした〔主の命令で油を注いだとは書いてない(筆者挿入)〕アブサロムは、戦いで死んでしまった。あなたがたは今、王を連れ戻すために、なぜ何もしないでいるのか。」”(2017)とあります。

 アブサロムが死んだ今、アブサロムを王としてまつり上げたイスラエルの民は、ダビデを王として連れ戻そうという気持ちになっていました。
このイスラエルの人たちの声はダビデの耳にも達していました。
そこでダビデは、イスラエルの民がダビデ王をエルサレムに連れ戻すようにと画策しました。その経緯が11-15節に次のように記されています。
“11 ダビデ王は、祭司ツァドクとエブヤタルに人を遣わして言った。
「ユダの長老たちにこう告げなさい。
『全イスラエルの言っていることが、ここ〔マハナイム(筆者挿入)〕の家にいる王の耳に届いたのに、あなたがたは、なぜ王をその王宮に連れ戻すことをいつまでもためらっているのか。12 あなたがたは、私の兄弟、私の骨肉だ。なぜ王を連れ戻すのをいつまでもためらっているのか。』13 アマサ〔アブサロム軍の将軍となった。アマサはヨアブのいとこでありダビデの甥(筆者挿入)〕にも言わなければならない。『あなたは私の骨肉ではないか。もしあなたが、ヨアブに代わってこれからいつまでも、私の軍の長にならないなら、神がこの私〔ダビデ(筆者挿入)〕を幾重にも罰せられるように。』」
14 すべてのユダの人々は、あたかも一人の人のように心を動かされた。彼らは王のもとに人を遣わして、「あなたも家来たちもみな、お帰りください」と言った。
15 王は帰途につき、ヨルダン川までやって来た。
一方、ユダの人々は、王を迎えてヨルダン川を渡らせるためにギルガルに来た。”(2017)とあります。

 ダビデがエルサレムの王宮を目指して帰る途中での出来事として、①サウル家のしもべゲラの子シムイのお迎えと、②ユダの人々の御迎え、③さんざんダビデを呪ったシムイが、ヨルダン川の所でダビデを迎え、ダビデに詫びを入れ、赦免を懇願したこと、またダビデがシムイを殺さないと約束したという場面が16-23節に次のように記されています。
“16 バフリム出身のベニヤミン人、ゲラの子シムイは、ダビデ王を迎えようと、急いでユダの人々と一緒に下って来た。17 彼は千人のベニヤミン人を連れていた。
サウルの家のしもべツィバも、十五人の息子、二十人の召使いを連れて、王が見ている前でヨルダン川に駆けつけた。
18 そして、王の家族を渡らせるため、また王の目にかなうことをするために、渡しを整えた。
ゲラの子シムイはヨルダン川を渡って行き、王の前に倒れ伏して、19 王に言った。「わが君、どうか私の咎を罰しないでください。王様がエルサレムから出て行かれた日に、このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王様、心に留めないでください。20 このしもべは、自分が罪を犯したことを知っています。ご覧ください。今日、ヨセフのすべての家に先立って、わが君、王様を迎えに下って参りました。」
21 ツェルヤの子アビシャイは口をはさんで言った。「シムイは、主に油注がれた方を呪ったので、そのために死に値するのではありませんか。」
22 ダビデは言った。「ツェルヤの息子たちよ。あれは私のことで、あなたがたに何の関わりがあるのか。あなたがたが、今日、私に敵対する者になろうとするとは。今日、イスラエルのうちで人が殺されてよいだろうか。私が今日イスラエルの王であることを、私が知らないとでもいうのか。」23 王はシムイに言った。「あなたは死ぬことはない。」王は彼にそう誓った。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
ヨアブがアブサロムを殺したことは、恐らくダビデの耳に入っていたことと思いますが、ダビデは、ヨアブの忠告を受け入れました。
ダビデは快く思わない人物が正しい忠告をした時には、それを受け入れる心を持っていました。
私たちも誰かが忠告してくれたとき、或いは罪を指摘してくれたとき、それが正しいものであるならば、怒ったり、心を閉ざしたりしないで、素直にそれを聞き入れ、主に罪を告白し、いつも主のみ前を喜びをもって歩む者であらせてください。
日々あなたの恵みを体験しながら歩ませて頂けますことを感謝し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

2020年11月11日 (水)

2サムエル18章 アブサロムの死/主を愛する人の幸い

 ダビデは、アブサロム軍と戦う為の指揮系統を次のように定めました。1.2節には、
“1 ダビデは自分とともにいる兵を調べて、彼らの上に千人隊の長、百人隊の長を任命した。2 ダビデは兵の三分の一をヨアブの指揮のもとに、三分の一をヨアブの兄弟である、ツェルヤの子アビシャイの指揮のもとに、三分の一をガテ人イタイの指揮のもとに配置した。王は兵たちに言った。「私自身も、あなたがたと一緒に出陣する。」”(2017)と記されています。

 ダビデは、軍を三隊に分けました。各隊の隊長として、ヨアブ、アビシャイ、イタイが任命されたのです。
ヨアブとアビシャイは妥当であったでしょうが、ガテ人イタイは、アブサロムのクーデターが始まり、ダビデがエルサレムを出る一日前にイスラエルにガテから600人を引き連れて亡命してきた人です。ダビデは、このイタイを一つの隊の隊長としたのです。
ダビデは、イタイの何を観察してそのようにしたのか、聖書からは一か所しか分かりませんが、ここまでのイタイの言動を見聞していて一つの隊の隊長に任命したのだと思います。
 復習になりますが、2サムエル15:19-22には、
“19 王はガテ人イタイに言った。「どうして、あなたもわれわれと一緒に行くのか。戻って、あの王〔アブサロム(筆者挿入)〕のところにとどまりなさい。あなたは異国人で、自分の国からの亡命者なのだから。20 あなたは昨日来たばかりなのに、今日、あなたをわれわれと一緒にさまよわせるのは忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたの兄弟を連れて戻りなさい。恵みとまことがあなたとともにあるように。」
21 イタイは王に答えて言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられます。そして、王様も生きておられます。王様がおられるところに、生きるためでも死ぬためでも、このしもべも必ずそこにいます。
22 ダビデはイタイに言った。「では、進んで行きなさい。」ガテ人イタイは、彼の部下全員と、一緒にいた子どもたち全員を連れて、進んで行った。”(2017)と記されていました。

 21節の下線部分を、キリスト者用にあてはめると、「主にかけて誓いますが、主イエス様がおられるところに、生きるためでも死ぬためでも、このしもべも必ずそこにいます。」となります。

 ダビデも出陣すると言いましたが、それをとどめられたこと、それに続く出陣にあたってのダビデ王の言葉が、3-5節に次のように記されています。
“3 兵たちは言った。「王様が出陣してはいけません。私たちがどんなに逃げても、彼らは私たちのことは何とも思わないでしょう。私たちの半分が死んでも、彼らは私たちのことは心に留めないでしょう。しかし、今、あなたは私たちの一万人に当たります。今、あなたは町〔マハナイム(筆者挿入)〕にいて私たちを助けてくださるほうがよいのです。」
4 王は彼らに言った。「あなたがたが良いと思うことを、私はしよう。」王は門のそばに立ち、兵はみな、百人、千人ごとに出て行った。5 王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じて言った。「私に免じて、若者アブサロムをゆるやかに扱ってくれ。」兵はみな、王が隊長たち全員にアブサロムのことについて命じているのを聞いていた。”(2017)とあります。

 ダビデの子どもであるアブサロムは、ダビデを殺してイスラエルの王になろうとしてクーデターを起こしましたが、アブサロムの父であるダビデは、「私に免じて、若者アブサロムをゆるやかに扱ってくれ。」とヨアブ、アビシャイ、イタイに命じました。

 ダビデ軍とアブサロム軍の戦いがエフライムの森で行われ、ダビデ軍が優勢となったことが6-8節に次のように記されています。
“6 〔ダビデ軍の(筆者挿入)〕兵たちはイスラエル〔アブサロム軍(筆者挿入)〕に対抗するために戦場へ出て行った。
戦いはエフライムの森で行われた。
7 イスラエルの兵たちは、そこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日その場所で多くの者が倒れ、その数は二万人となった。8 戦いはこの地一帯に広がり、この日、剣よりも密林のほうが多くの者を食い尽くした。”(2017)とあります。

 戦場になったエフライムの森は、ヨルダン川の東側にあります。
8節には、“戦いはこの地一帯に広がり、この日、剣よりも密林のほうが多くの者を食い尽くした。”とあります。
密林と訳された語の原語は、「ヤアル」で、雑木林、森、蜂の巣等の意があります。「ヤアル」を密林と訳しているのは新改訳、新共同訳で、森と訳しているのは、口語訳、リビングバイブル、聖書協会共同訳です。8節の箇所を注解付新改訳聖書の注は、“密林の中には、穴、岩、沼等危険な所が多く(17)なれないアブシャロム軍にとっては非常に不利な戦いとなった。”と述べています。

 アブサロムが打ち取られ、戦いが終わったことが9-18節に次のように記されています。 
“9 アブサロムはダビデの家来たちに出会った。アブサロムはらばに乗っていたが、らばが大きな樫の木の、茂った枝の下を通った。すると、アブサロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていたらばはそのまま行ってしまった。
10 ある男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブサロムが樫の木に引っ掛かっているのを見ました。」
11 ヨアブは、これを告げた男に言った。「いったい、おまえはそれを見ていて、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。私はおまえに銀十枚と帯一本を与えたのに。」
12 その男はヨアブに言った。「たとえ、私の手に銀千枚をいただいても、王のご子息に手は下せません。王が私たちが聞いているところで、あなたとアビシャイとイタイに、『私のために若者アブサロムを守ってくれ』と言って、お命じになったからです。13 もし、私が偽って彼のいのちに対して事を起こしていたとしても、王には何も隠すことはできません。あなたは素知らぬ顔をなさるでしょうが。」
14 ヨアブは、「こうしておまえとぐずぐずしてはいられない」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブサロムの心臓を突き通した。15 ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブサロムを取り巻いて彼を打ち殺した。
16 ヨアブが角笛を吹き鳴らすと、兵たちはイスラエルを追うのをやめて帰って来た。ヨアブが兵たちを引き止めたからである。
17 彼らはアブサロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石塚を積み上げた。イスラエル〔アブサロム軍の兵(筆者挿入)〕はみな、それぞれ自分の天幕に逃げ帰っていた。
18 アブサロムは生きていた間、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから」と言っていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブサロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。”(2017)とあります。

 戦いの結果がダビデに知らされた経緯とアブサロムが死んだことを知ったダビデの反応が19-33節に次のように記されています。
“19 〔祭司(筆者挿入)〕ツァドクの子アヒマアツは言った。「私は王のところへ走って行って、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が敵の手から王を救って、王のために正しいさばきをされたことを伝えたいのですが。」
20 ヨアブは彼に言った。「今日、伝えるのではない。ほかの日に伝えよ。今日は伝えないのがよい。王子が死んだのだから。」21 ヨアブはクシュ人に言った。「行って、あなたの見たことを王に告げよ。」クシュ人はヨアブに礼をして、走り去った。
22 ツァドクの子アヒマアツは再びヨアブに言った。「どんなことがあっても、やはり私もクシュ人の後を追って走って行きたいのです。」
ヨアブは言った。「わが子よ、なぜ、あなたは走って行きたいのか。知らせに対して、何のほうびも得られないのに。」
23 「しかし、どんなことがあっても、走って行きたいのです。」
ヨアブは「走って行け」と言った。アヒマアツは低地への道を走って行き、クシュ人を追い越した。
24 ダビデは〔マハナイムの(筆者挿入)〕外門と内門の間に座っていた。
見張りが城壁の門の屋根に上り、目を上げて見ていると、見よ、ただ一人で走って来る男がいた。25 見張りが王に大声で告げると、
王は言った。「ただ一人なら、吉報だろう。」その者がしだいに近づいて来た。
26 見張りは、別の男が走って来るのを見た。見張りは門衛に叫んだ。「あそこにも、一人で走って来る男がいる。」
王は言った。「それも吉報を持って来ているのだろう。」
27 見張りは言った。「最初の者の走り方は、ツァドクの子アヒマアツのもののように見えます。」
王は言った。「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」
28 アヒマアツは王に「平安がありますように」と叫んで、地にひれ伏して、王に礼をした。彼は言った。「あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がほめたたえられますように。主は、王様に手向かった者どもを引き渡してくださいました。」
29 王は言った。「若者アブサロムは無事か。」
アヒマアツは言った。「ヨアブが王の家来であるこのしもべを遣わしたとき、何か大騒ぎが起こるのを見ましたが、私は何があったのか知りません。」
30 王は言った。「わきへ退いて、ここに立っていなさい。」彼はわきに退いて立っていた。
31 見ると、クシュ人がやって来て言った。「王様にお知らせいたします。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、今日、あなた様に立ち向かうすべての者の手から、あなた様を救って、あなた様のために正しいさばきをされました。」
32 王はクシュ人に言った。「若者アブサロムは無事か。」
クシュ人は言った。「王様の敵、あなた様に立ち向かって害を加えようとする者はみな、あの若者のようになりますように。」
33 王は身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」”(2017)とあります。

 ダビデの嘆きの中には、父が自分の子を思う気持ちと共に、自分が罪を犯した故にアブサロムが死ぬ羽目になったのだ、という気持ちもあったことと思います。ダビデが殺人と姦淫の罪を犯した後、ダビデはその罪を主に告白して死を免れましたが、その罪の刈り取りをすることになる、と次のように主はナタンを通してダビデに語られていたからです。
2サムエル12章に、
“7 ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われます。『わたしはあなたに油を注いで、イスラエルの王とした。また、わたしはサウルの手からあなたを救い出した。8 さらに、あなたの主君の家を与え、あなたの主君の妻たちをあなたの懐に渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、あなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。9 どうして、あなたは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばを蔑み、わたしの目に悪であることを行ったのか。あなたはヒッタイト人ウリヤを剣で殺し、彼の妻を奪って自分の妻にした。あなたが彼をアンモン人の剣で殺したのだ。10 今や剣は、とこしえまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしを蔑み、ヒッタイト人ウリヤの妻を奪い取り、自分の妻にしたからだ。』11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。『見よ、わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で奪い取り、あなたの隣人に与える。彼は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。12 あなたは隠れてそれをしたが、わたしはイスラエル全体の前で、白日のもとで、このことを行う。』」
13 ダビデはナタンに言った。「私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に罪ある者です。」
ナタンはダビデに言った。「主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。14 しかし、あなたはこのことによって、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる息子〔ダビデによってバテ・シェバが産んだ子(筆者挿入)〕は必ず死ぬ。」”(2017)と記されています。

 アブサロムは、ヤハウェ(主)によって油を注がれて王になったのではありませんでした。
アブサロムは、ヤハウェ(主)の教えを無視しました。それは、十戒の第一戒「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」という命令を無視したのです。アブサロムは自分の考えを神の命令の上に置き、父を敬わず(第5戒の違反)、王のそばめの所に入ったのです(第7戒と10戒の違反) 。
アブサロムは死ぬまでの間にこれらの罪を主に告白して赦してもらうことをしませんでした。
主はヨアブがアブサロムを討つことをただ見ておられたのです。主はアブサロムの死を許可したのだと思います。

 ダビデも罪を犯しましたが、ダビデは自分の罪を告白し、赦してもらいました。しかし、地上における罪の刈り取りを免れることはありませんでした。しかし、主との交わりは回復しました。
ダビデは32篇に、「幸いなことよ、その背きを赦され罪をおおわれた人は。」と記していますが、それは自分のことがもとになっていることが分かります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
いつもあなたを愛し、あなたに信頼し、あなたに従う者であらせてください。
もし罪を犯したときには、すぐに悔い改め、あなたとの交わりを失うことのありませんよう祝福してください。
あなたは、既に、私たちキリスト者に対して、天にあるすべての霊的祝福を与えてくださっておられますから感謝します。
信仰によって、その祝福を実体化して行くことが出来ますように。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・
私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」(エペソ1:3・2017)
「3 このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。10 あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。」(コロサイ2章・2017)
この奥義は、あなたがたのうちにいますキリスト・・・である。 」(コロサイ1:27・口語訳)

2020年11月10日 (火)

2サムエル17:24-29 日ごとの糧を与えてくださる主/神を愛し人を愛することの重要性

 ダビデとその一行がヨルダン川を渡り、マハナイム迄行ったこと、また多くの助けを頂いたことが24‐29節に次のように記されています。
“24 ダビデがマハナイムに着いたとき、アブサロムは、彼とともにいるイスラエルのすべての人々とヨルダン川を渡った。
25 アブサロムはアマサをヨアブの代わりに軍団長に任命していた。アマサは、アスリエル人イテラという人の息子で、イテラは、ヨアブの母ツェルヤの妹ナハシュの娘アビガルと結婚していた。
26 イスラエルとアブサロムはギルアデの地に陣を敷いた。
27 ダビデがマハナイムに来たとき、アンモン人でラバ出身のナハシュの息子ショビと、ロ・デバル出身のアンミエルの息子マキルと、ロゲリム出身のギルアデ人バルジライは、28 寝台、鉢、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒り麦、そら豆、レンズ豆、炒り豆、29 蜂蜜、凝乳、羊、チーズを、ダビデと彼とともにいた民の食糧として持って来た。彼らが「民は荒野で飢えて疲れ、渇いています」と言ったからである〔それは彼らが、「民は荒野で飢え疲れかわいている」と思ったからである(口語訳)〕。”(2017)とあります。

 24節には、“ダビデがマハナイムに着いたとき、アブサロムは、彼とともにいるイスラエルのすべての人々とヨルダン川を渡った。”(2017)の中の「ダビデがマハナイムに着いたとき、アブサロムは」という箇所を直訳すると、「そしてダビデはマハナイムに行った(来たor着いた)。そして(orまた)アブサロムは」となります。
口語訳は、「ダビデはマハナイムにきた。またアブサロムは自分と共にいるイスラエルのすべての人々と一緒にヨルダンを渡った。」と訳しています。

 ダビデがマハナイムに行った理由はなんであったのでしょうか。
マハナイムは、サウルの後のユダを除くイスラエルの首都となった町であり、城壁に囲まれていたのです(2サムエル2:8、18:24)。

 25節には、“アブサロムはアマサをヨアブの代わりに軍団長に任命していた。アマサは、アスリエル人〔原文は「イスラエル人(筆者挿入)〕イテラという人の息子で、イテラは、ヨアブの母ツェルヤの妹ナハシュの娘アビガルと結婚していた。”(2017)とあります。

 アブサロムはアブサロム軍の軍団長にアマサを起用しました。
後半部分を新共同訳は、“アマサはイトラというイスラエル人の子で、イトラの妻はナハシュの娘アビガル、ヨアブの母ツェルヤの姉妹だった。”と訳しています。
イトラは、アスリエル人(2017)なのか、イスラエル人(新共同訳)なのか、イシュマエル人(口語訳、新改訳第三版、リビングバイブル、岩波訳)なのか、どうなのでしょう?
1歴代誌2:17には、「アビガイル〔アビガルともいう(筆者挿入)〕はアマサを産んだが、アマサの父はイシュマエル人エテル〔イエテル(新共同訳)〕であった。」(2017)と記されています。
イトラもエテルも同一人物です。
ダビデ軍の軍団長ヨアブの母はツェルヤ、ツェルヤの父はエッサイです。
アブサロム軍の軍団長アマサの母はアビガル、アビガルの父はエッサイです。
ダビデの父はエッサイです。
アブサロムの父はダビデ、ダビデの父はエッサイです。
エッサイは、他界していますが、どんな気持ちで見ていたことでしょう。

 “アマサは、アスリエル人〔原文は「イスラエル人(筆者挿入)〕イテラという人の息子で”(2017)とありますが、新改訳2017のみが「アスリエル人」と訳しています。
アスリエル人は、マナセ族になります。1歴代誌7:14に、「マナセの子は、彼のアラム人の側女が産んだアスリエル。彼女はギルアデの父マキルを産んだ。」(2017)と記されています。

 25節の“イテラは、ヨアブの母ツェルヤの妹ナハシュの娘アビガルと結婚していた。”という箇所の「ナハシュ」について、
聖書辞典は、“〔ナハシュは(筆者挿入)〕ダビデの姉妹アビガルとツェルヤの父(2サムエル17:25)とされている。この記事の解釈を巡って、ナハシュをエッサイの別名とする説、ナハシュはエッサイの妻の名とする説、ナハシュはエッサイの妻の最初の夫で、死別後、ナハシュの妻は2人の娘を連れてエッサイの妻となったとする説、2サムエル17:27の
ナハシュという名が誤って25節に入ったので、ナハシュの代りに70人訳のように「エッサイ」と読むべきだとする説がある(参照1歴代誌2:16)。”と述べています。

 1歴代誌2:13-17には、“13 エッサイは、長子エリアブ、次男アビナダブ、三男シムア、14 四男ネタンエル、五男ラダイ、15 六男オツェム、七男ダビデを生んだ。16 彼らの姉妹はツェルヤとアビガイル〔アビガルともいう(筆者挿入)〕。ツェルヤの子は、アビシャイ、ヨアブ、アサエルの三人であった。17 アビガイルはアマサを産んだが、アマサの父はイシュマエル人エテルであった。”(2017)と記されています。

 26節には、“イスラエルとアブサロムはギルアデの地に陣を敷いた。”(2017)とあります。
ダビデが入城したマハナイムの地もギルアデの領域にあります。

 27.28節には、
“27 ダビデがマハナイムに来たとき、アンモン人でラバ出身のナハシュの息子ショビと、ロ・デバル出身のアンミエルの息子マキルと、ロゲリム出身のギルアデ人バルジライは、28 寝台、鉢、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒り麦、そら豆、レンズ豆、炒り豆、29 蜂蜜、凝乳、羊、チーズを、ダビデと彼とともにいた民の食糧として持って来た。彼らが「民は荒野で飢えて疲れ、渇いています」と言ったからである〔それは彼らが、「民は荒野で飢え疲れかわいている」と思ったからである(口語訳)〕。”(2017)

 ダビデがマハナイムに来た時に、ダビデとその一行を助けてくれた人たちの名が記されています。
「ナハシュの息子ショビ」について、新聖書注解は、“ハヌン(2サムエル10:1)の弟で、ダビデがアモン〔アンモン(筆者挿入)〕征服後ラバ代官に立てたのだろう。”と述べています。
「ロ・デバル出身のアンミエルの息子マキル」とありますが、「ロ・デバル」はマハナイムの近くです。
「ロゲリム出身のギルアデ人バルジライ」とある中の、ロゲリムの場所は明確には分からないようですが、ヨルダン川の東側であることは確かです(2サムエル19:39)。

 ダビデ一行がエルサレムを出た時には、全工程を賄(まかな)える食料を持って出ることなどは出来ない状態でしたが、主は、ツィバを用い(2サムエル16:1.2)、またショビ、マキル、バルジライを用いて、ダビデ一行の人たちの食料等を賄ってくださったのです。

 ダビデは、詩篇34:10に、「若い獅子も乏しくなり飢える。しかし主を求める者は良いものに何一つ欠けることがない。」(2017)と記しています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ダビデ一行は、日ごとの糧に困ることがありませんでした。
ダビデは、「若い獅子も乏しくなり飢える。しかし主を求める者は良いものに何一つ欠けることがない。」と詩篇に残しました。
あなたは、私たちの日ごとの糧をとこしえに備えてくださるお方ですから感謝します。
アブサロムの蜂起は、骨肉の争いをもたらしました。ダビデが、隣人に愛を持ち、正しいあり方でバテ・シェバを愛し、バテ・シェバの夫ウリヤを愛し、アムノンもタマルに正しい愛を表し、アブサロムも隣人を愛することが出来たなら、この様な悲惨な戦いは起こらなかったことと思います。
イエス様は、律法の根底は、神を愛し、隣人を愛することであると教えてくださいました。
イエス様が教えてくださったように、神を愛し、隣人を愛する生活を送る者であらせてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19・2017)
「4 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。5 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。6 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。7 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。8 愛はいつまでも絶えることがない。」(1コリント13章・口語訳)

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