エレミヤ書

2021年9月 1日 (水)

エレミヤ52章 エルサレムの陥落、捕囚の人数、及びエホヤキン王の名誉回復

 エレミヤ52章は、2列王記24:18-25:34の箇所とほぼ同じ内容ですが、2列王記25章の方に記されていない事柄がエレミヤ52章には記されています。それは、エルサレム陥落年とその後にあったバビロン捕囚人数です。エレミヤ52章と2列王記24:18-25:34の箇所と重なる箇所の説明は2列王記の当該箇所の方をご覧ください。

 1-27節は、2列王記24:18-25:21に記されている内容とほぼ同じで、次のように記されています。
“1 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナ出身のエレミヤの娘であった。
2 彼は、すべてエホヤキムがしたように、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の目に悪であることを行った。
3 実に、エルサレムとユダが主の前から投げ捨てられるに至ったのは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の怒りによるものであった。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。
4 ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。
5 こうして都はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていた。
6 第四の月の九日、都の中で食糧難がひどくなり、民衆に食物がなくなった。
7 そのとき、都は破られ、戦士たちはみな逃げて、夜のうちに、王の園に近い二重の城壁の間にある、門の道から都を出た。カルデア人が都を包囲していたので、彼らはアラバへの道を行った。
8 カルデアの軍勢は王の後を追い、エリコの草原でゼデキヤに追いついた。すると、王の軍隊はみな王から離れて散ってしまった。
9 カルデアの軍勢は王を捕らえ、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王のところへ彼を連れ上った。バビロンの王は彼に宣告を下した。
10 バビロンの王は、ゼデキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺し、ユダの首長たちもみなリブラで虐殺した。
11 さらに、ゼデキヤの目をつぶし、彼を青銅の足かせにつないだ。バビロンの王は、彼をバビロンへ連れて行き、彼を死ぬ日まで獄屋に入れておいた。
12 第五の月の十日、バビロンの王ネブカドネツァル王の第十九年のこと、バビロンの王の家来、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、
13 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
14 親衛隊の長と一緒にいたカルデアの全軍勢は、エルサレムを取り巻く城壁すべてを打ち壊した。
15 親衛隊の長ネブザルアダンは、民の貧しい者たちの一部と、都に残されていた残りの民、バビロンの王に降伏した投降者たち、そのほか技術に秀でた人たちを捕らえ移した。
16 しかし、親衛隊の長ネブザルアダンは、その地の貧しい民の一部を残し、ぶどうを作る者と農夫にした。
17 カルデア人は、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮の青銅の柱と、車輪付きの台と、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮にある青銅の「海」を砕いて、その青銅をみなバビロンへ運んだ。
18 また、灰壺、十能、芯取りばさみ、鉢、平皿、奉仕に用いるすべての青銅の器具を奪った。
19 また親衛隊の長は、小鉢、火皿、鉢、灰壺、燭台、平皿、水差しなど、純金や純銀のものを奪った。
20 ソロモン王が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮のために作った二本の柱、一つの「海」、車輪付きの台の下にある十二の青銅の牛、これらすべての物の青銅の重さは、量りきれなかった。
21 その柱は、一本の柱の高さが十八キュビト、その周囲は十二キュビト、その厚さは指四本分で、中は空洞になっていた。
22 その上の柱頭は青銅で、一つの柱頭の高さは五キュビトであった。柱頭の周りに格子細工とざくろがあって、すべて青銅であった。もう一本の柱も、そのざくろも、これと同様であった。
23 周りには九十六のざくろがあり、周りの格子細工の上には全部で百のざくろがあった。
24 親衛隊の長は、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入り口を守る者を捕らえ、
25 戦士たちの指揮官であった一人の宦官、都にいた王の七人の側近、民衆を徴兵する軍の長の書記、そして都の中にいた民衆六十人を、都から連れ去った。
26 親衛隊の長ネブザルアダンは彼らを捕らえ、リブラにいるバビロンの王のもとへ連れて行った。
27 バビロンの王はハマテの地のリブラで、彼らを打ち殺した。こうして、ユダはその国から捕らえ移された。”(2017)とあります。

 29.30節の内容は、2列王記25章には記されていません。28-30節には捕囚の人数が次のように記されています。
“28 ネブカドネツァルが捕らえ移した民の数は次のとおりである。第七年〔B.C.598年、エホヤキンの時代(筆者挿入)〕には、三千二十三人のユダヤ人〔2列王記24:10-16では、一万人以上とあります。(筆者挿入)〕。
29 ネブカドネツァルの第十八年〔B.C.586年、エルサレム陥落年(筆者挿入)〕には、エルサレムから八百三十二人。
30 ネブカドネツァルの第二十三年には、親衛隊の長ネブザルアダンが、七百四十五人のユダヤ人を捕らえ移し、その合計は四千六百人であった。”(2017)とあります。

 エホヤキン王の名誉回復記事が31-34節に次のように記されています。2列王記25:27-30とほぼ同じ内容です。
“31 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日〔二十七日(2列王記25:27)〕、バビロンの王エビル・メロダクは、即位した年のうちにユダの王エホヤキンを呼び戻して、獄屋から出し、
32 優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。
33 彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。
34 彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。”(2017)とあります。

 マタイの福音書の1:1に、“アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。”(2017)とありますが、イエス・キリストの系図には、上記エホヤキン(エコンヤ)が記され、その子のシェアルティエル、更にゼルバベル、と名が記されています。
ゼルバベルは、キュロス王の勅令によるバビロンからのエルサレム帰還民約4万2千余のリーダーとして登場します(エズ1‐3章)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
エレミヤ書をありがとうございました。
あなたは、あなたに信頼する人と信頼しない人に対する取り扱いが異なることを見させてくださりありがとうございます。
常にあなたに信頼して歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年8月31日 (火)

エレミヤ51:45-64 バビロンについての預言6

 バビロンの捕囚民にバビロンから出るようにという勧めの預言が45-48節に次のように記されています。
“45 わたしの民〔バビロンの地のユダの捕囚民(筆者挿入)〕よ、その〔バビロンの(筆者挿入)〕中から出よ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の燃える怒り〔バビロンへのヤハウェ(主)の裁き(筆者挿入)〕から逃れ、それぞれ自分自身を救え。
46 そうでないと、あなたがたの心は弱まり、この地に聞こえるうわさ〔バビロンへのペルシア侵攻のうわさ(筆者挿入)〕を恐れることになる。今年、うわさが立ち、その後、次の年にも、うわさは立つ。この地には暴虐があり、支配者はほかの支配者に立ち向かう。
47 それゆえ、見よ、その時代が来る〔その日が来る(第三版)/「時代」「日」と訳されている語の原語は「ヨーム」の複数形の「ヨミーム」で日々の意。年々とも訳せますし、時代とも訳せます。(筆者挿入)〕。そのとき、わたしはバビロンの彫像を罰する。この全土は恥を見、刺し殺された者はみなそのただ中に倒れる。
48 天と地とその中にあるすべてのものは、バビロンのことで喜び歌う。北からこれに向かって、荒らす者たち〔キュロス王率いるペルシア軍(筆者挿入)〕が来るからだ──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)は報復の神(56)であることが49-58節に次のように記されています。
“49 イスラエルの刺し殺された者たちよ、バビロンは必ず倒れる。バビロンによって全地の刺し殺された者たちが倒れたように。
50 剣を逃れた者よ、行け。立ち止まるな。遠くから主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。
51 〔51節はエルサレム捕囚民の言葉(筆者挿入)〕『私たちは、そしりを聞いて、恥を見た。恥辱が私たちの顔をおおった。他国人〔カルデア人(筆者挿入)〕が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮の聖所〔エルサレム神殿(筆者挿入)〕に入ったからだ。』
52 それゆえ、見よ、その時代が来る。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──そのとき、わたしはその彫像〔マルドゥク{=ベル}(筆者挿入)〕を罰する。刺された者がその全土でうめく。
53 たとえバビロンが天に上っても、たとえ、砦を高くして近寄りがたくしても〔高いやぐらの守りを固めても(新共同訳)〕、わたしのもとから荒らす者たち〔ペルシア軍(筆者挿入)〕がそこへ行く。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」
〔新共同訳スタディ版の注は、「高いやぐら」の箇所に、“古代都市バビロンには主神マルドゥクをまつるレンガ造りの神殿、ジグラットがそびえていた。”と述べています。(筆者挿入)〕
54 バビロンから、叫ぶ声がする。カルデア人の地から、大いなる破滅の音が。
55 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がバビロンを荒らして、そこから大いなる声を絶やされるからだ。その波は大水のように鳴りとどろき、その声は鳴りどよめく。
56 まことに、荒らす者がバビロンを攻めに来て、その勇士たちは捕らえられ、その弓も折られる。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は報復の神であり、必ず報復されるからだ。
57 「わたしは、その首長たちや知恵のある者、総督や長官、勇士たちを酔わせる。彼らは永遠の眠りについて、目覚めることはない──その名を万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕という王〔原語を英語にすると、the king (筆者挿入)〕のことば。」
58 万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「バビロンの厚い城壁は完全にくつがえされ、その高い門にも火が放たれる。国々の民は無駄に労し、諸国の民は、ただ火に焼かれて、力尽きる。」”(2017)とあります。

 56節に、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は報復の神であり、必ず報復されるからだ。」と記されています。
愛の神が報復だなんて、と思う方がいるかも知れませんが、次のような聖句もあります。
復讐と報復はわたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のもの。それは彼らの足がよろめくときのため。彼らのわざわいの日は近く、来たるべき時が速やかに来る。」(申命記32:35・2017)
国々よ、御民のために喜び歌え。主がご自分のしもべの血に報復し、ご自分の敵に復讐を遂げて、ご自分の民とその地のために宥めを行われる。」(申命記32:43・2017)
『わたしは、昨日、ナボテの血とその子たちの血を確かに見届けた──主のことば──。わたしは、この地所であなたに報復する──主のことば。』それで今、彼を運んで、主が語られたとおり、あの地所に彼を投げ捨てよ。」(2列王記9:26・2017)
主は義をよろいのように着て、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。 主は彼らの仕打ちに応じて報い、はむかう者に憤り、敵に報復し、島々にも報復をされる。」(イザヤ59・18・2017)
書かれていることがすべて成就する、報復の日々だからです。」{ルカ21:22(イエス様の御言葉)・2017}
“愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。”(ローマ12:19・2017)

 一方、キリスト者は敵に対して善を行なうように勧められています。
あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、」{ルカ6:35(イエス様の御言葉)・2017}
わたし〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕はあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44・2017)

 エレミヤは、バビロンの滅亡についての預言を一つの書物にし、それをセラヤに渡し、更にセラヤに、その書物を読み終えたら、それに石を結び付けて、ユーフラテス川の中に投げ入れ、「このように、バビロンは沈み、浮かび上がれない。わたしがもたらすわざわいを前にして。彼らは力尽きる。」と語れ、と命じたことが59-64節に次のように記されています。
“59 マフセヤの子ネリヤの子セラヤが、ユダの王ゼデキヤとともに、その治世の第四年にバビロンへ行ったとき、預言者エレミヤがセラヤに命じたことば。そのとき、セラヤは宿営の長であった。
60 エレミヤはバビロンに下るすべてのわざわい、すなわち、バビロンについて記された、これらすべてのことばを一つの書物に記した。
61 エレミヤはセラヤに言った。「あなたがバビロンに入ったときに、これらすべてのことばをよく注意して読み、
62 こう言いなさい。『主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ。あなたはこの場所について、これを滅ぼし、人から家畜に至るまで住むものがないようにし、永遠に荒れ果てた地とする、と語られました。』
63 そしてこの書物を読み終えたら、それに石を結び付けて、ユーフラテス川の中に投げ入れ、
64 こう言いなさい。『このように、バビロンは沈み、浮かび上がれない。わたしがもたらすわざわいを前にして。彼らは力尽きる。』」ここまでが、エレミヤのことばである。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは愛の神であられると共に、義の神であることを覚えます。
主イエス様は十字架上で贖いを成し遂げられ、愛を表され、それ以降恵みの時代が到来しました。
しかし、やがてイエス様も地上再臨によって義を執行される時が来ます。
私たちキリスト者は、敵に愛しても愛に生きることを命じられています。
御聖霊によってそのように歩み続けることができますよう助けてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年8月30日 (月)

エレミヤ51:25-44 バビロンについての預言5

 25.26節には次のように記されています。
“25 全地を破壊する、破壊の山よ。見よ、わたしはおまえ〔バビロン(筆者挿入)〕を敵とする。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──わたしはおまえに手を伸ばし、おまえを岩から突き落とし、おまえを焼けた山とする。
26 だれもおまえから石を取って、要の石とする者はなく、礎の石とする者もない。おまえは永遠に荒れ果てた地となる。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」”(2017)とあります。

 リビングバイブルは25.26節を次のように意訳しています。
“25 全世界を破壊する大きな山、バビロンよ。わたしはおまえを攻める。おまえにこぶしを振り上げ、高い所から突き落とし、おまえを焼けただれた山にする。26 おまえは永久に荒れ地となり、そこの石さえも、再び建築に使われることはない。おまえは地上から完全に一掃されるのだ。”とあります。

 ヤハウェ(主)がバビロンを攻める国々を聖別するように命じている事柄が27.28節には次のように記されています。
“27 この地に旗を掲げ、国々の中で角笛を鳴らせ〔戦闘開始の合図(注解付新改訳聖書の注)〕。バビロンに向けて国々を聖別せよ。バビロンに向けて王国を召集せよ。アララテ、ミンニ、アシュケナズを。バビロンに向けて司令官を立て、群がるバッタのように、馬を上らせよ。
28 バビロンを攻めるため国々を聖別せよ。メディアの王たち、その総督やすべての長官たち、その支配にある全土の民を。”(2017)とあります。

 アララテ、ミンニ、アシュケナズについて、岩波訳注は、“三つとも、バビロニアの北方、現在のアルメニア領の地名と思われる(創世記8:4、10:3、イザヤ37:38、1歴代誌1:5.6などを参照)。”と述べています。

 聖別されたバビロン攻撃軍に攻撃されたバビロンの様子が29-32節に次のように記されています。
“29 地は震え、もだえる。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はご計画をバビロンに成し遂げ、バビロンの地を住む者もいない荒れ果てた地とされる。
30 バビロンの勇士たちは戦いをやめ、砦の中に座り込む。彼らの力は干からびて、女たちのようになる。その住まいは焼かれ、かんぬきは砕かれる。
31 飛脚はほかの飛脚に走り次ぎ、使者もほかの使者に取り次いで、バビロンの王に告げて言う。「都は、くまなく攻め取られ、
32 渡し場も取られ、湿地も火で焼かれ、戦士たちはおじ惑っています」と。”(2017)とあります。

 33節には、“イスラエルの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、こう言われるからだ。「娘バビロンは、踏まれるときの打ち場のようだ。もうしばらくで、刈り入れの時〔裁きの時(筆者挿入)〕が来る。”(2017)とあります。

 「踏まれるときの打ち場」について、注解付新改訳聖書の注は、“打ち場は、脱穀が始まる前に、踏み固めて平らにしなければならなかった。この作業が始まると、刈り入れは間近であった。”と述べています。

 34.35節を2017は、“34 『バビロンの王ネブカドネツァルは、私〔エルサレム(新聖書注解)〕を食い尽くし、私をかき乱して、空の器にした。竜のように私を呑み込み、私という美味で腹を満たし、私を洗い流した。』
35 シオンに住む者は言え。『私と私の肉親になされた暴虐が、バビロンに降りかかれ』と。エルサレムは言え。『私の血がカルデアの住民に注がれよ』と。」”と訳し、
 リビングバイブルは、“34.35 バビロンのユダヤ人たちは訴えます。「バビロンの王ネブカデネザル王は、私たちを食い物にし、踏みつけ、骨ぬきにしました。怪物のように私たちをのみ込み、私たちの財宝で腹を満たし、私たちをイスラエルから追放しました。バビロンに、この悪事の報いを刈り取らせ、その手で流した私たちの血を完全に償わせてください。」”と意訳しています。

 34.35節の訴えに対するヤハウェ(主)の応答が36.37節に次のように記されています。
“36 それゆえ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「見よ。わたしはあなたの訴えを取り上げ、あなたのために報復する。バビロンの海〔ユーフラテス川(新共同訳スタディー版の注)〕を干上がらせ、その泉〔ユーフラテス川(新共同訳スタディー版の注)〕を涸らす。
37 バビロンは石くれの山、ジャッカルの住みかとなり、恐怖のもと、また嘲りの的となって、住む者はいなくなる。”(2017)とあります。

 イザヤ44:27-45:1には、
“44:27 深い水の底に向かって、乾け、と言い、お前の大河〔ユーフラテス川(筆者挿入)〕をわたしは干上がらせる、と言う。
28 キュロスについては『彼はわたしの牧者。わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。エルサレムについては『再建される。神殿はその基が据えられる』と言う。」
45:1 主が油を注がれた人キュロスについて主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない。”(新共同訳)と記されています。

 イザヤ44:27の、ユーフラテス川の水が干上がる、ということについて、
岩波訳の注は、「バビロン攻略に際して、クロス〔キュロス(2017)〕がユーフラテス河の水を干したという、ヘロドトス『歴史』Ⅰ191の叙述と対応した表現」と述べています。
ウエスレアン聖書注解は、「ヘロドトスとクセノフォンは、クロス〔キュロス(2017)〕がユーフラテス河の水路を変え、そのようにしてバビロンの城壁への突破口を作ったと語っている。」と述べています。

 ヤハウェ(主)がキュロスを用いて鼻息の荒いバビロン軍を滅亡させるという預言が38-44節に次のように記されています。
“38 彼ら〔バビロン軍(注解付新改訳聖書の注)〕はともに、若獅子のように吼え、獅子の子のようにうなる。
39 彼らが苛立っているとき、わたしは彼らに宴会を開き、彼らを酔わせる。彼らは陽気になり、永遠の眠りについて、目覚めることはない。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
40 わたしは彼らを、子羊のように、また雄羊か雄やぎのように、屠り場に下らせる。
41 ああ、バビロンは攻め取られ、全地の誉れであった者は捕らえられた。ああ、バビロンは国々の間で恐怖のもととなった。
42 海〔バビロンを襲う軍隊(筆者挿入)〕がバビロンの上にのしかかり、波のざわめきにおおわれた。
43 その〔バビロンの(筆者挿入)〕町々は荒れ果てた地となり、その地は砂漠と荒れ地となり、だれも住まず、人の子が通りもしないところとなる。
44 わたしはバビロンでベル〔バビロンの主神(筆者挿入)〕を罰し、これが呑み込んだ物を吐き出させる。国々はもう、そこに流れ込むことはない。バビロンの城壁さえも倒れてしまった。”(2017)とあります。

 44節には、“わたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はバビロンでベル〔バビロンの主神(筆者挿入)〕を罰し、これが呑み込んだ物を吐き出させる。”とあります。
 ヤハウェ(主)は、キュロスを用いて捕囚の民を開放し、エルサレム神殿のヤハウェ(主)の聖具をエルサレムに戻されました(エズラ1.2章)。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
バビロン帝国が滅ぼされたとき、人の目には、キュロス率いる軍隊が勝利したようにしか見えませんが、霊の目で見ると、ヤハウェ(主)が計画されていたことであることを覚えます。
万軍のヤハウェ(主)のご計画と働きを見ることが出来る恵みを与えられていることを感謝します。
その主に愛され、導かれ、永遠の祝福を与えられていることを感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年8月29日 (日)

エレミヤ51:1-24 バビロンについての預言4

 1.2節は、ヤハウェ(主)がバビロンを滅ぼすという御告げが次のように記されています。
“1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。
「見よ。わたしはバビロンに対し、レブ・カマイ〔アトバシュという暗号の読み方をすると「カルデア」となります(新共同訳スタディー版の注参照)〕の住民に対して、滅ぼす者の霊〔11節より「メディア人の王たちの霊」(筆者挿入)〕を奮い立たせ、2 他国人たちをバビロンに送る。彼らはこれを吹き散らし、その地を滅ぼす。彼らは、わざわいの日に、四方からこれを攻める。」”(2017)とあります。

 ヘブライ語のアトバシュという暗号の作り方は、ヘブライ語のアレフベート(アルファベット)の最初の字を最後の字に置き換え(アレフ→タヴ)、二番目の字を最後から二番目の字に置き換え(ベート→シン)、順次その様に字を置き換えて作っていく方法です。
「レブ カマイ」は「カスディーム」即ちカルデア人ということになります。

 3節には、バビロンを襲う敵軍への呼びかけが次のように記されています。
“射手には弓を引かせるな。よろいを着けて立ち上がらせるな。そこの若い男たちを惜しむな。その全軍を聖絶せよ。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)のカルデア人に対するありようと全イスラエル人に対するありのようの違いが4.5節に次のように記されています。
“4 刺し殺された者たちが、カルデア人の地に、突き刺された者たちが、その通りに倒れる。
5 しかし、イスラエルもユダも、その神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に見捨てられることはない。
彼ら〔イスラエルとユダ(筆者挿入)〕はイスラエルの聖なる方から離れ、彼らの地は罪過で満ちていたが。”(2017)とあります。

 6節には、バビロンに捕囚になっているユダ王国の民に対する語りかけが次のように記されています。
“バビロンの中から逃げ、それぞれ自分自身を救え。バビロンの咎のために絶ち滅ぼされるな。これは、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の復讐の時、主がこれに報いをなさるからだ。”(2017)とあります。

 7節には、“バビロンは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の手にある金の杯。すべての国々はこれに酔い、国々はそのぶどう酒を飲む。それゆえ、国々は正気を失う。”(2017)とあります。

 「バビロンはヤハウェ(主)の手にある金の杯」について、注解付新改訳聖書の注は次のように述べています。
“バビロンは、神の憤りのぶどう酒を諸国民に飲ませるための器であった。「金の」とは、ネブカデレザル〔ネブカドネツァル(2017)〕時代の繁栄した状態を表現している。”とあります。
上記の「金の」について、ダニエル2:31-45、特に38節には、「あなた〔ネブカドネツァル(筆者挿入)〕はあの金の頭です。」(2017)という記述があります。

 バビロンの滅亡と捕囚民との対比が8-10節に次のように記されています。
“8 バビロンは、たちまち倒れて砕かれる。バビロンのために泣き叫べ。その痛みのために乳香を取れ。もしかしたら、癒やされるかもしれない。
9 私たち〔バビロン在住の諸国民(注解付新改訳聖書の注)〕はバビロンを癒やそうとした。だが、それは癒やされなかった。私たちはこれを見捨てて、それぞれ自分の土地へ帰ろう。バビロンへのさばきが、天に達し、大空まで上ったからだ。
10 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は私たち〔捕囚のユダの民(注解付新改訳聖書の注)〕の義を明らかにされた。さあ、私たちはシオンで、私たちの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のみわざを語ろう。”(2017)とあります。

 バビロンに変わって中東の覇者となったキュロス王は、捕囚民を開放しました。
ユダについては、エズラ1章に次のように記されています。
“1 ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことばが成就するために、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。
2 「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。
3 あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。
4 あとに残る者たちはみな、その者を支援するようにせよ。その者がどこに寄留しているにしても、その場所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んで献げるものに加え、銀、金、財貨、家畜をもってその者を支援せよ。』」
5 そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)の神殿を破壊した者は、ヤハウェ(主)に報復されるということが11-14節に次のように記されています。
“11 矢を研ぎ、小盾を取れ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はメディア人の王たち〔キュロス王の支配下にあります(筆者挿入)〕の霊を奮い立たせられる。御思いは、バビロンを滅ぼすこと。それは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の復讐、ご自分の神殿の復讐だからである。
12 バビロンの城壁に向かって旗を掲げよ〔戦闘開始の合図(注解付新改訳聖書の注)〕。見張りを強くし、番兵を立て、伏兵を備えよ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は計画を練って、バビロンの住民について語ったことを実行されるからだ。
13 大水〔ティグリス・ユーフラテス川(筆者挿入)〕のほとりに住む、財宝に富む者〔バビロン(筆者挿入)〕よ。おまえの最期、おまえの寿命が尽きる時が来た。
14 万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はご自分にかけて誓われた。
「わたしは必ず、バッタの大群のような人々でおまえを満たす。彼らはおまえに対して叫び声をあげる。」”(2017)とあります。

 11節dに、“それは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の復讐、ご自分の神殿の復讐だからである。”と記されているように、ヤハウェ(主)の神殿を壊す者に対する主の報復が述べられています。
新約時代も同じことです。
1コリント3:16.17には、
「16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。17 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」(新共同訳)と記されています。

 万物の創造主であるヤハウェ(主)と人に造られた偶像との対比、偶像を造る者への裁き、及びヤハウェ(主)と全イスラエルの関係が15-19節に次のように記されています。
“15 主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く据え、英知をもって天を張られた。
16 主の御声に、天では水のざわめきが起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のために稲妻を造り、ご自分の倉から風を出される。
17 すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、 彫像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中には息がない。
18 それは空しいもの、物笑いの種だ。刑罰の時に、それらは滅びる。
19 ヤコブの受ける分は、このようなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主のゆずりの民。その御名は万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。”(2017)とあります。

 20-24節を、
 2017は、
“20 「あなたはわたしの鉄槌、戦いの道具だ。わたしはあなたによって国々を砕き、あなたによって諸王国を滅ぼす。
21 あなたによって馬も騎手も砕き、あなたによって戦車も御者も砕き、22 あなたによって男も女も砕き、あなたによって年寄りも幼い者も砕き、あなたによって若い男も若い女も砕き、23 あなたによって牧者も群れも砕き、あなたによって農夫もくびきを負う牛も砕き、あなたによって総督や長官たちも砕く。
24 わたしはバビロンとカルデアの全住民に対し、彼らがシオンで行ったすべての悪に、あなたがたの目の前で報復する。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──”(2017)と訳し、
 新共同訳は、
“20 お前はわたしの鎚、わたしの武器であった。お前によって、わたしは国々を砕き、お前によって、諸王国を滅ぼした。
21 お前によって、軍馬と騎兵を砕き、お前によって、戦車とその操縦者を砕いた。
22 お前によって、男も女も砕き、お前によって、老いも若きも砕き、お前によって、若者もおとめも砕いた。
23 お前によって、羊飼いと群れを砕き、お前によって、農夫と耕す牛を砕き、お前によって、総督と長官を砕いた。
24 しかし、わたしはバビロンとカルデアの全住民に対し、お前たちの目の前で報復する。彼らがシオンで行ったあらゆる悪に対してと、主は言われる。”(新共同訳)と訳しています。
 
 この段落の聖句により、ヤハウェ(主)は、地上のある軍隊をご自身の裁きの道具として用いていることが分かります。
それは今の時代でも同じことでしょう。

 20-23節の「あなた」(2017)、「お前」(新共同訳)について、
新共同訳のように訳すと「お前」は、バビロンを指していると思います。
一方、2017のように訳すと、「あなた」は、バビロンを指しているのか、ペルシアのキュロス王を指しているのか、どちらとも取れる可能性があります。
バビロンの王ネブカドネツァルにしてもペルシアの王キュロスにしてもどちらもヤハウェ(主)の戦いの道具として用いられたのでした。
その時代のヤハウェ(主)の裁きの道具として。
異なることは、バビロンはヤハウェ(主)の神殿を破壊し、ペルシアの王キュロスは神殿再建に助力しました。

 今日のまとめとして、私は、歴史のことは脇に置き、キリスト者がキリスト者を痛めつけることは重大問題であることを述べておきたいと思います。そのようなことをすると主から懲らしめが来ます。
パウロはそれを体験しました。1コリント3:16.17の記述はパウロの書いたものです。
パウロがテモテに送った手紙に、パウロは次のように書いています。
“13 私は以前には、神を冒瀆する者、迫害する者、暴力をふるう者でした。/15 ・・・私は罪人のかしらです。”(1テモテ1章・2017)とあります。
パウロが何をしたのか、使徒22:4には、「そしてこの道を迫害し、男でも女でも縛って牢に入れ、死にまでも至らせました。」(2017)とあります。パウロは、「キリスト者を迫害し、男でも女でも縛って牢に入れ、死にまでも至らせた」人であったのです。
キリスト者はキリストの体の一部です。
 またマタイ24章には、
「45 ですから、主人〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕によってその家のしもべたち〔キリスト者(筆者挿入)〕の上に任命され、食事時に彼らに食事を与える〔みことばの養いを与える(筆者挿入)〕、忠実で賢いしもべとはいったいだれでしょう。
46 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。
47 まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。
48 しかし彼が悪いしもべで、『主人の帰りは遅くなる』〔キリストの空中再臨はまだまだ来ない(筆者挿入)〕と心の中で思い、
49 仲間のしもべたち〔キリスト者たち(筆者挿入)〕をたたき始め、酒飲みたちと食べたり飲んだりしているなら、
50 そのしもべの主人〔キリスト・イエス(筆者挿入)〕は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て〔キリストの空中再臨は突然起こる(筆者挿入)〕、
51 彼〔悪いしもべ(筆者挿入)〕を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」(2017)というイエス様の御言葉が記されています。
 ガラテヤ6章には次のような聖句があります。
“7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
9 失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。
10 ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたを愛し、兄弟姉妹を愛し、あなたのみ旨に叶った歩みをし続けていく者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年8月28日 (土)

エレミヤ50:33-46 バビロンについての預言3

 ヤハウェ(主)がイスラエルの民とユダの民を贖うこと、及びバビロンの住民には殺戮が臨み、かつバビロンに日照りの裁きを送るというヤハウェ(主)の御告げが33-40節に次のように記されています。
“33 万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。
「イスラエルの子らとユダの子らは、ともに虐げられている。彼らを捕らえて行った者はみな、彼らを固くつかんで解放することを拒んでいる。」
34 彼らを贖う方は強い。その名は万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕。
主は、必ずや彼らの訴えを取り上げて、その地を憩わせるが、バビロンの住民は震え上がらせる。
35 「剣がカルデア人に下り、──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──バビロンの住民、その首長たち、知恵ある者たちに下る。
36 剣が易者たちにも下り、彼らは愚かになる。剣がその勇士たちにも下り、彼らは気をくじかれる。
37 剣が、その馬と車、そこに住む混血の傭兵にも下り、彼らは女たちのようになる。剣がその財宝にも下り、それらはかすめ取られる。
38 日照りがその水の上に下り、それは涸れる。そこは刻んだ像の地で、偶像に狂っているからだ。
39 それゆえ、荒野の獣が山犬とともに住み、だちょうがそこに住む。もはや永久に、人は住まず、代々にわたって、住む者はいない。
40 神が、ソドムとゴモラと、近隣の町々を滅ぼしたように、──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──そこには人が住まず、そこには人の子が宿らない。”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)は、アブラハムと契約を結び、更にイサク、ヤコブと契約を更新しました。そして、更にモーセの時代にはイスラエルと契約を結びました(出エジプト24:1-8)。
出エジプト20:2には、「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。」(2017)とあります。
ヤハウェ(主)は、全イスラエルに対して「あなたの神、主である。」と宣言したのです。
ヤハウェ(主)は、契約を守られるお方です。それは私たちキリスト者に対する約束でも同じことです。
北イスラエルと南イスラエル(ユダ王国)は、契約違反の故に、矯正の為の懲らしめを与えられましたが、捨てられてしまったのではありません。ヤハウェ(主)は、契約を破らないお方なのです。
それ故、34節に、「彼らを贖う方は強く、その名は万軍のヤハウェ。」(岩波訳)と記されています。
 34節をリビングバイブルは次のように意訳しています。
“しかし、彼らを救い出す者は強く、その名は全能の主だ。わたしは彼らの訴えを聞き、彼らが自由の身となり、再びイスラエルの地で平穏に暮らせるように取り計らう。だが、バビロンの住民に安息はない。”とあります。
 イザヤ43章には次のように預言されています。
“1 だが今、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。/3 わたしはあなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。/4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。/14 あなたがたを贖う、イスラエルの聖なる方、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「あなたがたのために、わたしはバビロンに使いを送り、彼らをことごとく逃亡者として下らせる。カルデア人を彼らの喜びの船で〔わたしは、あなたたちのためにバビロンに人を遣わして、かんぬきをすべて下ろしカルデア人を歓楽の船から引き下ろす(新共同訳)〕 。15 わたしは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕、あなたがたの聖なる者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である。」”(2017)とあります。

 ヤハウェ(主)の裁きには、殺戮もあれば(35-37)、異常気象もあります。バビロンの地へは日照りによる渇水とあります。

 バビロンに対してヤハウェ(主)が裁きの計画を立てたことがこの段落から分かります。41-46節には次のように記されています。
“41 見よ、一つの民〔ペルシア(筆者挿入)〕が北から来る。大きな国と多くの王〔ペルシアとペルシアの同盟国の王たち(筆者挿入)〕が、地の果てという果てから奮い立つ。
42 彼らは弓と投げ槍を固く握り、残忍で、あわれむことがない。その声は海のようにとどろく。娘バビロンよ〔バベルの娘よ(岩波訳)/バビロンの民よ、の意。バビロンはヘブライ語聖書では「バベル」(筆者挿入)〕。彼ら〔ペルシア軍(筆者挿入)〕は馬に乗り、一つとなって戦列を整え、おまえを攻める。
43 バビロンの王は、彼らのうわさを聞いて気力を失い、苦しみが彼をとらえる。産婦のような激痛が。
44 見よ。獅子がヨルダンの密林から常に潤う牧場に上って来るように、わたしは一瞬にして彼らをそこから追い出し、選ばれた人をそこに置く。だれがわたしのようであろうか。だれがわたしを呼びつけるだろうか。だれがわたしの前に立つことができる牧者であろうか。」
45 それゆえ、聞け。バビロンに対して立てられた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の計画を。カルデア人の国に対して練られた策を。必ず、彼らは、群れの中の小さいものまで引きずって行かれ、必ず、彼らの牧場は彼らのことで恐れ惑う。
46 バビロンが捕らえられる音で地は震え、その叫びは国々の間にも聞こえる。”(2017)とあります。

 バビロンの都は、B.C.539年10月にペルシアの王キュロスの手に落ちたのでした。
イザヤは、おそらく百数十年以上も前に次の預言を記しています。
“44:28 キュロスについては『彼はわたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の牧者。わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。エルサレムについては『再建される。神殿はその基が据えられる』と言う。」
45:1 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、油注がれた者キュロスについてこう言われる。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前に扉を開いて、その門を閉じさせないようにする。
2 わたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなた〔キュロス(筆者挿入)〕の前を進み、険しい地を平らにし、青銅の扉を打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。
3 わたしは秘められている財宝と、ひそかなところに隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。
4 わたしのしもべヤコブのため、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたを、あなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える。
5 わたしが主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。
”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたは全能であり、全知であるお方です。
あなたは契約を守るお方です。
あなたと御子イエス様とのご本質は一つです。
愛そのものであるあなたに守られて日々過ごさせて頂ける恵みと、私たちへのとこしへのご計画を感謝します。
常に真実であられる私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2テモテ2:13)
私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(2017)
「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。」(新共同訳)
「しかしたとえ、信仰をなくしたかと思えるほど、私たちが弱くなっても、キリスト様は真実を貫き、私たちを助けてくださいます。私たちは主の一部分になっているので、切り捨てられることはないのです。そして、主はいつも約束を果たしてくださいます。」(リビングバイブル)

2021年8月27日 (金)

エレミヤ50:21-32 バビロンについての預言2{ヤハウェ(主)に対して高慢な者は滅ぼされる}

 ヤハウェ(主)によるエレミヤのバビロン破滅の預言が21-32節に次のように記されています。
“21 「メラタイムの地、ペコデの住民のところに攻め上れ。彼らを追って、殺し、聖絶せよ。
〔「ペコデ」(新改訳)「ペコド」(新共同訳)は、バビロニアの南東部。ペコドはペクッダー(刑罰、報復)と関わる言葉。
「メラタイム」はバビロニア南部の地方。出エジプト15:23に、「マラ」(苦い)という語が出てくる有名な箇所があります。メラタイムはマラの双数系の語です。ヘブライ語の名詞には、単数、双数、三つ以上を表す複数形とあります。マラは、苦い、の他に、怒り、不満、不平、敵意、恨みなどの意もあります。メラタイムは双数系ですから「メラタイムの地」は、二重の敵意の地、二倍の反抗の地(新聖書注解)、二重の反逆(岩波訳)等の意を内包しています。
新共同訳スタディ版の注は、この箇所をまとめて、“「二重に反抗的な」者がその報いを受け、「罰」を受けるという言葉遊びが含まれる。”と述べています。(筆者挿入)〕
──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
すべて、わたしがあなたに命じたとおりに行え。
22 その地には戦いの声、大いなる破滅。
23 全地を打った鉄槌は、どうして折られ、砕かれたのか。バビロンよ、どうして国々の恐怖のもととなったのか。
24 バビロンよ。わたしがおまえに罠をかけ、おまえは捕らえられた。おまえはそれを知らなかった。おまえは見つけられて捕まえられた。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に争いを仕掛けたからだ。
25 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその倉を開き、その憤りの武器を持ち出した。それは、カルデア人の国での、万軍の神、主〔「神 主」の原語は「アドナイ ヤハウェ」(筆者挿入)〕の仕事だ。
26 四方からそこに攻め入れ。その穀物倉を開け。これを麦束のように積み上げ、これを聖絶して、何一つ残すな。
27 その雄牛をみな滅ぼせ。屠り場に下らせよ。わざわいだ、彼らは。彼らの日、その刑罰〔原語は「ペクッダー」(筆者挿入)〕の時が来たからだ。」
28 バビロンの地から逃れて来た者〔捕囚から解放された人々(筆者挿入)〕の声がする。シオンで、私たちの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の復讐のこと、その神殿の復讐のことを告げ知らせている。
29 バビロンに対して、射手を呼び集めよ。すべて弓を引く者を。これを囲んで陣を敷き、一人も逃すな。その行いに応じてこれに報い、これがしたとおりに、これにせよ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に向かい、イスラエルの聖なる方に向かって高ぶったからだ。
30 「それゆえ、その日、その若い男たちは町の広場に倒れ、その戦士たちもみな、黙らされる。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
31 高ぶる者よ。見よ、わたしはおまえを敵とする。──万軍の神、主〔「神 主」の原語は「アドナイ ヤハウェ」(筆者挿入)〕のことば──おまえの日、わたしがおまえを罰する時が来たからだ。
32 そこで、高ぶる者はつまずき倒れ、これを起こす者もいない。わたしは、その町々に火をつける。火はその周りのものすべてを焼き尽くす。」”(2017)とあります。

 23節は、バビロンの滅びの原因について問いかけがなされています。
その答えは、31.32節に、ヤハウェ(主)に対して高ぶった(高慢であった)からだ、と述べられています。

 バビロンの王ネブカドネツァルは、ヤハウェ(主)に用いられて大いなる王となったのでした。
ネブカドネツァルが大いなる者となった後、ネブカドネツァルはヤハウェ(主)に対して高ぶりました。それ故ネブカドネツァルは、ヤハウェ(主)によって野の獣のような生活を送らさせられました。ネブカドネツァルがへりくだったとき、ヤハウェ(主)はネブカドネツァルをもとの王の位に戻したのでした。
ネブカドネツァルが当時の大王になったのは、ヤハウェ(主)から出たことであったのです。
これらの事はダニエル書1‐4章に記されています。
最後にはネブカドネツァルがヤハウェ(主)の御前にへりくだり、次のように述べています。
ダニエル4:34-37(新共同訳は31-34節)には、
“34 その期間が終わったとき、私ネブカドネツァルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻ってきた。私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。
35 地に住むものはみな、無きものと見なされる。この方は、天の軍勢にも、地に住むものにも、みこころのままに報いる。御手を差し押さえて、「あなたは何をされるのか」と言う者もいない。
36 ちょうどそのとき私に理性が戻り、私の王国の栄光のために、私の威光と輝きが私に戻ってきた。私の顧問や貴族たちに求められて、私は王位に戻り、こうして絶大な権威が私に加えられた。
37 今、私ネブカドネツァルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である。”(2017)と記されています。

 バビロンの最後の時代は、王のナボニドゥスと皇太子ベルシャツァルとの共同統治でした。バビロンの地を実質的に統治していたのはベルシャツァルでした。ベルシャツァルはどのようなことをしたのでしょう。
ダニエル5:1-4には次のように記されています。
“1 ベルシャツァル王は、千人の貴族たちのために大宴会を催し、その千人の前でぶどう酒を飲んでいた。
2 ベルシャツァルは、酒の勢いに任せて、父ネブカドネツァルがエルサレムの宮から持ち出した金や銀の器を持って来るように命じた。王とその貴族たち、および王の側室たちや侍女たちがその器で飲むためであった。
3 そこで、エルサレムの神の宮の本殿から持ち出した金の器が運ばれて来たので、王とその貴族たち、および王の側室たちや侍女たちはその器で飲んだ。
4 彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。”(2017)とあります。

 このベルシャツァルに対してダニエルは次のように語りました。
“18 王よ。いと高き神は、まさしくあなたの父上〔ここでは「祖先」の意(筆者挿入)〕ネブカドネツァルに、国と偉大さと栄光と威光をお与えになりました。
19 神が父上〔祖先であるネブカドネツァル(筆者挿入)〕にお与えになった偉大さによって、諸民族、諸国民、諸言語の者たちはことごとく、父上〔祖先であるネブカドネツァル(筆者挿入)〕の前に震えおののきました。彼は思いのままに人を殺し、思いのままに人を生かし、思いのままに人を高め、思いのままに人を低くしました。
20 こうして彼〔ネブカドネツァル(筆者挿入)〕は、心が高ぶり、霊が頑なになり、高慢にふるまったので、その王座から引きずり降ろされ、栄光を取り上げられました。
21 そして、人の中から追い出され、心は獣と等しくなり、野ろばとともに住み、牛のように草を食べることになり、からだは天の露にぬれて、ついにこう知るようになりました。いと高き神が人間の国を支配し、みこころにかなう者をその上にお立てになるのだと。
22 その子〔ここでは「子孫」の意(筆者挿入)〕であるベルシャツァル王よ、あなたはこれらのことをすべて知っていながら、心を低くしませんでした。
23 それどころか、天の主に向かって高ぶり、その宮の器を自分の前に持って来させ、あなたと貴族たちとあなたの側室や侍女たちは、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しました。しかしあなたの息をその手に握り、あなたのすべての道をご自分のものとされる神を、あなたはほめたたえませんでした。
24 そのため、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。
25 その書かれた文字はこうです。『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。』
26 そのことばの意味はこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせたということです。
27 『テケル』とは、あなたが秤で量られて、目方の足りないことが分かったということです。
28 『パルシン』とは、あなたの国が分割され、メディアとペルシアに与えられるということです。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは万物の根源であられ、至高のお方です。
あなたは永遠に存在されているお方です。
私たちキリスト者はあなたをほめたたえるために存在しています。
いつもあなたに感謝し、あなたを賛美しながら歩む者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・
“6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。”(エペソ1章・2017)
主を賛美するために民は創造された。」(詩篇102:19・新共同訳)
「新たに〔訳者挿入(欄外注)〕創造される民は主を賛美するでしょう。」(詩篇102:19・聖書協会共同訳)
〔新改訳は18節になっています。〕

2021年8月26日 (木)

エレミヤ50:1-20 バビロンについての預言1(バビロンへの裁きと全イスラエルの残りの者の救い)

 1節には、“主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が預言者エレミヤを通して、バビロンについて、すなわちカルデア人の地について語られたことば。”(2017)とあります。

 エレミヤ50.51章はバビロンについての預言です。

 2.3節には、バビロンの破滅及びバビロンの偶像が打ちのめされる預言が次のように記されています。
“2 「国々の間に告げ、旗を掲げて知らせよ。隠さずに言え。『バビロンは攻め取られた。ベル〔バビロンの主神マルドゥクのヘブル名(聖書辞典)〕は辱められ、メロダク〔バビロンの主神マルドゥクのこと(聖書辞典)〕は打ちのめされた。その像は辱められ、その偶像は打ちのめされた。』3 まことに、北から一つの国〔ペルシア帝国(筆者挿入)〕がそこに攻め上り、その地を荒れ果てさせた。そこには住むものもない。人から家畜に至るまで逃げ去った。”(2017)とあります。

 B.C.539年に、バビロンはペルシアのキュロスによって滅ぼされました。この時のバビロン全体の王はナボニドゥスでした。バビロンのマルドゥクの祭司団は、ナボニドゥスに不満を持っていました。それは、ナボニドゥスが月の神シンを重んじたからです。マルドゥク祭司団はナボニドゥスに反旗を翻し、ペルシア軍が攻撃してきたとき、内側から城門を開けたのです。それ故、ペルシア軍は無血入場を果たし、バビロンの町はペルシアの王キュロスの手に落ちたのです。
王であるナボニドゥスの遠征は長期にわたり、その間、皇太子ベルシャツァルがバビロンの国を統治していたのです。
バビロンの宮殿で最期を迎えたベルシャツァルの話はダニエル5章に記されています。ベルシャツァルに対し、神の送った手の指が、「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。」と壁に書いた話は有名です。
ダニエル5章を読むと、ベルシャツァルに対するヤハウェ(主)の評価が分かります。

 4.5節にはイスラエルの民とユダの民がバビロン捕囚から解放されてシオンに戻っていくことが預言され、4-7節には次のように記されています。
“4 その日、その時──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──イスラエルの民もユダの民も、ともにやって来る。彼らは泣きながら〔泣いて悔い改めながら(筆者挿入)〕歩みつつ、その神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を尋ね求める。5 彼らはシオンを求め、その道に顔を向けて言う。『さあ、私たちは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に連なろう。忘れられることのない永遠の契約によって』と。
6 わたしの民は、迷った羊の群れであった。その羊飼いたち〔指導者たち(筆者挿入)〕が彼ら〔全イスラエルの民(筆者挿入)〕を迷わせ、山々〔偶像礼拝の場所(筆者挿入)〕へ連れ去った。彼らは山から丘へと行き巡り、休み場〔真実な休息は主にある(筆者挿入)〕も忘れた。
7 彼らを見つける者はみな彼らを食らい、彼ら〔ユダとイスラエルの民(筆者挿入)〕の敵は言った。『私たちには責めはない。彼らが、義の住まいである主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕、彼らの先祖の望みであった主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に対して罪を犯したためだ』と。”(2017)とあります。

 ユダの捕囚民の帰還はB.C.538年に始まりました(エズラ1章)。4.5節の中には、捕囚地バビロンからの帰還と終末時の悔い改めの預言の両方が一緒に記されている二重預言となっていると思います。
5節の“永遠の契約”は、エレミヤ32:40にも記され、またエレミヤ31:31には、表現を変えて“新しい契約”と記されています。このどちらも最終末の出来事です。キリスト者は、この契約を贖い主イエス・キリストにあって先取りしたのです。「後の者が先になり、先の者が後になります。」(マタイ20:16・2017)とイエス様が語られた御言葉のように。

 捕囚民への呼びかけの預言とバビロンがペルシアに滅ぼされるという預言が8-10節には次のように記されています。
“8 〔バビロンの捕囚民であった主の民よ、(筆者挿入)〕バビロンの中から逃げ、カルデア人の地から出て行け。群れの先頭に立つやぎのようになれ。
9 見よ。わたしは、大国の集団〔キュロス率いるペルシア軍(筆者挿入)〕を奮い立たせ、北の地からバビロンに攻め上らせる。彼らはこれに向かって陣備えをし、バビロンはそこから攻め取られる。彼らの矢は熟練した勇士の矢のようで、空しくは帰らない。
10 カルデア〔バビロンの人々(筆者挿入)〕は略奪され、これを略奪する者はみな、満ち足りる。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。”(2017)とあります。

 バビロン滅亡の預言が11-16節に次のように記されています。
“11 わたしのゆずりの地〔イスラエルの地(筆者挿入)〕を略奪する者たち〔カルデア人たち(筆者挿入)〕よ。おまえたちは楽しみ、喜び躍り、打穀する雌の子牛のようにはしゃぎ、荒馬のようにいななくが、12 おまえたちの母〔バビロン(筆者挿入)〕はひどく恥を見、おまえたちを産んだ者〔バビロン(筆者挿入)〕は屈辱を受ける。見よ。彼女〔バビロン(筆者挿入)〕は国々のうちの最後のものとなり、荒野となり、砂漠と荒れた地となる。
13 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御怒り〔ヤハウェ(主)の裁き(筆者挿入)〕によって、そこに住む者はなく、ことごとく廃墟と化す。バビロンの近くを通り過ぎる者はみな呆気にとられ、そのすべての打ち傷を見て嘲笑する。
14 すべて弓を引く者よ〔ペルシア軍よ(筆者挿入)〕。バビロンの周りに陣備えをし、これを射よ。矢を惜しむな。彼女〔バビロン(筆者挿入)〕が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に対して罪を犯したからだ。
15 その周りで、ときの声をあげよ。彼女〔バビロン(筆者挿入)〕は降伏する。その柱は倒れ、その城壁は壊れる。これこそ主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の復讐だ。彼女〔バビロン(筆者挿入)〕に復讐せよ。彼女がしたとおりに、これにせよ。
16 種を蒔く者や、刈り入れの時に鎌を取る者を、バビロンから断ち切れ。虐げる者の剣を避けて、人はそれぞれ自分の民のもとに帰り、自分の土地へ逃げて行く。」”(2017)とあります。

 イスラエルを滅ぼし、イスラエルの民を捕囚民としたアッシリアをヤハウェ(主)が裁いたように、ユダを滅ぼし、ユダの民を捕囚民としたバビロンをヤハウェ(主)が裁くという預言が17.18節に次のように記されています。
“17 イスラエルは雄獅子に散らされた羊。先にはアッシリアの王がこれを食らい、今度はついに、その骨をバビロンの王ネブカドネツァルが食らった。
18 それゆえ、イスラエルの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「見よ。わたしはアッシリアの王を罰したように、バビロンの王とその地を罰する。”(2017)とあります。

 イスラエルの故国帰還についての二重預言が19.20節に次のように記されています。
“19 わたしはイスラエルをその牧場に帰らせる。彼はカルメルとバシャンで草を食べ、エフライムの山とギルアデで満ち足りる。
20 その日、その時──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──イスラエルの咎を探しても、それはない。ユダの罪も見つからない。わたしが残す者を、わたしが赦すからだ。」”(2017)とあります。

 カルメル、バシャン、エフライムの山とギルアデは、かつての北イスラエル王国の領土です。
B.C.538年に捕囚民の解放が行われ、捕囚民の中の帰還したい者たちは帰還しました。
20節の“イスラエルの咎を探しても、それはない。ユダの罪も見つからない。わたしが残す者を、わたしが赦すからだ。”という預言が成就するのはキリストの贖いが成就した後のことであり、残りの民(主によって残された民)が悔い改めて、キリスト・イエス様が主であると信じ、告白して実現するのです。かつてのユダ王国の民や北イスラエル王国の民の末裔は、一部の人たちを除いて主イエス様が主であり、救い主であるとは信じていません。20節の“その日、その時”とはキリストの地上再臨に伴って、その時、ヤハウェ(主)が残してくださっておられるイスラエルの民が悔い改め、罪を赦され、エゼキエル47.48章に記されているイスラエルの領土に住むことになるのです。

 終わりの時代に、残りの民の一人一人が悔い改めることについて、ゼカリヤはゼカリヤ12章に次のように預言しています。
“10 わたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。
11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。
12 この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
14 残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。”(2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちをも、悔い改めさせてくださり、イエス・キリストは主であると告白して救いの恵みにあずからせて頂けましたことを感謝します。
御名を賛美し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
・・・・・・・・・・・・
神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」(使徒11:18抜粋・2017)
「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9抜粋・2017)

2021年8月25日 (水)

エレミヤ49章 アンモン、エドム、ダマスコ、ケダル、ハツォル、エラムに対するヤハウェ(主)からの裁きの預言

 アンモンに対するヤハウェ(主)の裁きの預言が1-6節に次のように記されています。
“1 アンモン人〔モアブの北方の地を支配していた民(注解付新改訳聖書の注)〕について。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。
「イスラエルには子がいないのか。世継ぎがいないのか。なぜ、ミルコムがガドを所有し、その民が町々に住んでいるのか。
〔イスラエルのガド族の領地は、ヨルダン川東方、死海北方にあった。しかし前734年にアッシリアがここに侵入し、住民を捕囚にしたため、アンモンがそれを利用してここに住み着いた。(岩波訳注)〕
2 それゆえ、見よ、その時代が来る。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──そのとき、わたしはアンモン人のラバ〔アンモンの首都(筆者挿入)〕に戦いの雄たけびを聞かせる。そこは荒れ果てた廃墟となり、その娘たち〔住民たちの意(筆者挿入)〕は火で焼かれる。イスラエルがその跡を継ぐ〔イスラエルは、自分を追い出した者たちを追い出す(新共同訳)〕。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──
3 ヘシュボン〔アルノン川の北約40kmの町(筆者挿入)〕よ、泣き叫べ。アイが荒らされたから。ラバの娘〔民の意(筆者挿入)〕たちよ、わめけ。粗布をまとえ。嘆いて囲い場の中を走り回れ。ミルコムが、その祭司や首長たちとともに、捕囚として連れて行かれるからだ。
4 背信の娘よ、おまえの谷には水が流れている。なぜ、その谷を誇るのか。おまえは自分の財宝に拠り頼んで言う。『だれが私のところに来るだろう』と。
5 見よ。わたしは四方からおまえに恐怖をもたらす。
──万軍の神、主〔「神 主」の原語は、「アドナイ・ヤハウェ」(筆者挿入)〕のことば──
おまえたちはみな散らされて、逃げる者を集める者もいない。
6 その後、わたしはアンモン人を回復させる。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」”(2017)とあります。

 ミルコムについて、聖書辞典は次のように述べています。
“1列王記11:7を2列王記23:13やゼパニヤ1:5と対比するとミルコムとモレクが同一であることが分る。モレクには幼児をいけにえにする祭儀があって,イスラエルに恐ろしい影響を及ぼした(レビ18:21,20:2‐5,2列王記23:10,エレミヤ32:35)。”(抜粋)とあります。

 アンモン、バビロン、ユダの関係について、新共同訳スタディ版の注は次のように述べています。
“バビロニアがアッシリアを滅ぼしたとき(B.C.612年)、アンモンはバビロニアの支配下に入った。〔アンモンは、(筆者挿入)〕ヨヤキム〔エホヤキム(2017)〕王時代にはバビロニアに協力してユダを攻撃したが(2列王記24:2)、後にバビロニアに背いた〔{エレミヤ27:3、エゼキエル21:23-28(新改訳は21:18-23)}〕。〔アンモンは、(筆者挿入)〕ユダ王国が滅びた後も反逆者イシュマエルを援助し、ユダを混乱させ続けた(エレミヤ40:7-16)。しかし〔アンモンは(筆者挿入)〕、バビロニアに反抗したためネブカドレツァル〔ネブカドネツァル(2017)〕によりB.C.582年に攻撃され、国としては滅亡したとされる。”とあります。

 エドムに対するヤハウェ(主)の裁きの預言が7-22節に次のように記されています。
“7 エドムについて。万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。
「テマンには、もう知恵がないのか。賢い者から分別が消え失せ、彼らの知恵は朽ちたのか。
8 デダンの住民よ、逃げよ。そこを離れよ。深く潜め。わたしが彼の上にエサウの災難を、彼を罰する時を、もたらすからだ。
9 ぶどうを収穫する者〔侵略者のこと(筆者挿入)〕がおまえ〔エドム(筆者挿入)〕のところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろう〔皆殺しにしていくだろう(筆者挿入)〕。盗人が夜中に来るなら、彼らの気がすむまで荒らすだろう。
10 しかし〔まことに(岩波訳)〕、わたしはエサウを裸にし、その隠れ場をあらわにし、身を隠すこともできないようにする。彼の子孫も兄弟も隣人も踏みにじられ、彼はいなくなる。
11 おまえのみなしごたちを見捨てよ。わたしが彼らを生かし続ける。おまえのやもめたちは、わたしに拠り頼まなければならない。」
〔リビングバイブルは次のように意訳しています。“だがわたしは、生き残ったみなしごたちを守り、未亡人たちがわたしを頼りとするようにする。”と。(筆者挿入)〕
12 まことに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。
「見よ。その杯を飲む〔裁きを受ける(筆者挿入)〕ように定められていない者でも、それを必ず飲まなければならないのなら、おまえだけが罰を免れられるだろうか。罰を受けずにはすまされない。おまえは必ず飲まなければならない。
13 まことに、わたしは自分にかけて誓う──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。
必ずボツラ〔エドムの首都(新共同訳スタディー版の注)〕は恐怖のもと、そしりの的、廃墟、そしてののしりの的となる。そのすべての町は、永遠の廃墟となる。」
14 私は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕から知らせを聞いた。「使者が国々に送られた。『集まって、エドムに攻め入れ。戦いに向けて立ち上がれ。』
15 見よ。わたしがおまえを国々の中の小さい者、人に蔑まれる者としたからだ。
16 岩の裂け目に住む者、丘の頂を占める者よ。おまえの脅かしと高慢は、おまえ自身を欺いている。鷲のように巣を高くしても、わたしは、おまえをそこから引きずり降ろす。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」
17 エドムは廃墟となり、そこを通り過ぎる者はみな呆気にとられ、そのすべての打ち傷を見て嘲笑する。
18 ソドムとゴモラとその近隣の町々が破滅したときのように──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる──そこに人は住まず、そこに人の子は宿らない。
19 「見よ。獅子がヨルダンの密林から常に潤う牧場に上って来るように、わたしは一瞬にして彼らをそこから追い出し、選ばれた人をそこに置く。だれがわたしのようであろうか。だれがわたしを呼びつけるだろうか。だれがわたしの前に立つことができる牧者であろうか。」
20 それゆえ、聞け。エドムに対して立てられた主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の計画を、テマンの住民に対して練られた策を。必ず、彼らは、群れの中の小さいものまで引きずって行かれ、必ず、彼らの牧場は彼らのことで恐れ惑う。
21 彼らの倒れる音で地は震え、その悲鳴は葦の海でも聞こえる。
22 見よ。彼〔ネブカデレザル(注解付新改訳聖書の注)〕は鷲のように舞い上がっては襲いかかり、ボツラに敵対して翼を広げる。その日、エドムの勇士の心も、産みの苦しみにある女の心のようになる。”(2017)とあります。

 ダマスコに対するヤハウェ(主)の裁きの預言が23-27節に次のように記されています。
“23 ダマスコ〔現シリアの首都ダマスカス(筆者挿入)〕について。「ハマテ〔ダマスコの北192kmにある、オロンテス川に臨んだ北アラムの代表的な都市(注解付新改訳聖書の注)〕とアルパデ〔アレッポの北約21kmに位置した、北アラムの主要都市(注解付新改訳聖書の注)〕は恥を見た。まことに、彼らは悪い知らせを聞き、海のようにかき乱され、静まることもできない。
24 ダマスコは弱り、恐怖にとらわれ、身を翻して逃げた。産婦の陣痛のような苦しみにとらえられて。
25 どうして、誉れの町、わたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の喜びの都が捨てられたのか。
〔「ヤハウェ(主)の喜びの都」:ダマスコはダビデ時代イスラエルの領土であり、神の祝福を受けていた。(注解付新改訳聖書の注)〕
26 それゆえ、その日、その若い男たち〔兵士に志願できる年齢の男子(注解付新改訳聖書の注)〕は町の広場に倒れ、その戦士たちもみな、黙らされる。
──万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
27 わたしは、ダマスコの城壁に火をつける。その火はベン・ハダドの宮殿を食い尽くす。」”(2017)とあります。

 ダマスコが裁かれた理由は何であったのでしょうか?
アモス1章には次のように記されています。
“3 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「ダマスコの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが鉄の打穀機でギルアデを踏みにじったからだ。
4 わたしはハザエルの家に火を送る。その火はベン・ハダドの宮殿を焼き尽くす。
5 わたしはダマスコのかんぬきを打ち壊す。王座に着いている者をアベンの谷から、王笏を持っている者をベテ・エデンから断つ。こうしてアラムの民はキルへ捕らえ移される。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は言われる。」”(2017)とあります。

 アモスの預言は、ヤハウェ(主)がアッシリアを用いて裁いたときの出来事であったので、この時のことがエレミヤの述べている預言なのかどうなのかは分かりません。
この時の出来事は、2列王記10:32.33に次のように記されています。
“32 そのころ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はイスラエルを少しずつ削り始めておられた。ハザエルがイスラエルの全領土で彼らを打ち破ったのである。33 すなわち、ヨルダン川の東側、ガド人、ルベン人、マナセ人のギルアデ全土、つまり、アルノン川のほとりにあるアロエルからギルアデ、バシャンの地方にまで及んだ。”(2017)とあります。

 注解付新改訳聖書の注は、ダマスコについてのエレミヤの預言の成就に関し、次のように推測し、述べています。
“前605年、ネブカデレザル〔ネブカドネツァル(2017)〕はエジプトのネコ王をカルケミシュ〔北シリアの古代都市(筆者挿入)〕で破った後、ダマスコを占領したのであろう。”とあります。

 ケダルとハツォルに対するヤハウェ(主)の裁きの預言が28-33節に次のように記されています。
“28 バビロンの王ネブカドネツァルが討ったケダル〔イシュマエル部族(創世記25:13)に属する。北アラビアの遊牧民。(岩波訳補注)〕とハツォルの王国〔アラビア砂漠に定住していた砂漠の民(新共同訳スタディー版の注参照)〕について。
主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。
「さあ、ケダルへ攻め上り、東の人々を荒らせ。
29 その天幕と羊の群れは奪われ、その幕屋も、すべての器も、らくだも、運び去られる。人々は彼らに向かって叫ぶ。『恐怖が取り囲んでいる』と。
30 ハツォルの住民よ、逃げよ。遠くへ逃れよ。深く潜め
──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。
バビロンの王ネブカドネツァルが、おまえたちに対してはかりごとをめぐらし、おまえたちに対して計略をめぐらしているからだ。
31 さあ、安んじて住む穏やかな国に攻め上れ。
──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
そこには扉もなく、かんぬきもなく、その民は孤立して住んでいる。
32 彼らのらくだは獲物になり、その家畜の群れは分捕り物になる。わたしは、もみ上げを刈り上げている者たちを四方に吹き散らし、あらゆる方向から彼らに災難をもたらす。
──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
33 ハツォルはとこしえまでも荒れ果てて、ジャッカルの住みかとなる。そこに人は住まず、そこに人の子は宿らない。」”(2017)とあります。

 エラムに対するヤハウェ(主)の裁きの預言が34-39節に次のように記されています。
“34 ユダの王ゼデキヤの治世の初めに、エラムについて預言者エレミヤにあった主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。
35 万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「見よ。わたしはエラムの力の源であるその弓を折る〔エラムの軍隊を敗北させる(筆者挿入)〕。
36 わたしは天の四隅から、四方の風をエラムに吹きつけさせ、彼らをこの四方の風で吹き散らす。エラムの散らされた者が入らない国はない〔エラムの民は諸国に離散する(筆者挿入)〕。
37 わたしは、エラムを敵の前に、そのいのちを狙う者たちの前にうろたえさせ、彼らの上にわざわいを、わたしの燃える怒りをその上に下す。
──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
わたしは、彼らのうしろに剣を送って、彼らを絶ち滅ぼす。
38 わたしはエラムにわたしの王座を置き、王や首長たちをそこから滅ぼす。
──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
39 しかし、終わりの日になると、わたしはエラムを回復させる。
──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」”(2017)とあります。”(2017)とあります。

 新共同訳スタディ版の注は、エラムについて次のように述べています。
“〔エラムは(筆者挿入)〕バビロニアの東方の国、現イラン南西部にあたる。B.C.596年ネブカドレツァル〔ネブカドネツァル(2017)〕によって攻撃された。その後、バビロニアを崩壊させる動きの一翼を担った(B.C.540年)。後にペルシアの首都となるスサ〔エステル1:2(筆者挿入)〕がある国。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
これらの裁きの預言を通してあなたは、あなたがさばき主であり、すべての国に対する主権者があなたであることが明らかにされています。
あなたは歴史を支配しているお方です。
私たち新生した者は、あなたの子どもであり、あなたのみ手に守られて歩ませて頂けております恵みを感謝します。
イエス様の贖いがなければ私たちも裁かれる運命にありましたが、イエス様の贖いによって罪赦をされ、永遠のいのちを与えられていることを感謝します。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年8月24日 (火)

エレミヤ48章 モアブについての裁きの預言

 エレミヤ48章はモアブについての裁きの預言です。1-47節には次のように記されています
“1 モアブ〔死海東岸の平野に住んでいたモアブ人の町(注解付新改訳聖書の注)〕について。イスラエルの神、万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「わざわいだ、ネボ〔ヘシュボンの南約10kmにあった町(注解付新改訳聖書の注)〕。これは荒らされた。キルヤタイム〔アタロテの南方4kmにあった町(注解付新改訳聖書の注)〕も辱められ、攻め取られた。その砦は辱められ、打ちのめされた。
2 もはやモアブの誉れはない〔外国に占領されるの意(注解付新改訳聖書の注)〕。ヘシュボン〔神殿があり、城壁に囲まれた、モアブ北部の重要な町(注解付新改訳聖書の注)〕は、これに悪事を企んでいる。『行って、あの国民を絶ち滅ぼし、無き者にしよう』と。マデメン〔モアブの首都ディボンかもしれない(注解付新改訳聖書の注)〕よ、おまえも黙らされる。剣がおまえの後を追っている。
〔2節を新共同訳は次のように訳しています。“モアブの栄誉は既にない。ヘシュボンにあって、敵〔ネブカドネツァル(筆者挿入)〕は災いを計る。「この国を滅ぼし尽くそう」{バビロン軍の言葉(筆者挿入)}と。マドメンよ、沈黙せよ。剣がお前の後ろに迫る。”とあります。(筆者挿入)/前582年,ネブカデネザル{ネブカドネツァル(2017)}はモアブを制圧した(『ユダヤ古代誌』10:9:7)
3 ホロナイム〔死海東岸にあった町(注解付新改訳聖書の注)〕から叫び声がする。『暴行だ。大いなる破滅だ』と。
4 モアブは打ち破られる。その幼き者たちは叫び声をあげる。
5 まことに、ルヒテ〔死海の南東にあった町であろう(注解付新改訳聖書の注)〕の坂は嘆きの中にあり、彼らは泣きながら上る。ホロナイムの下り坂では、痛々しい破滅の叫びが聞こえる。
6 逃げて、自分自身を救え。荒野の中の灌木のようになれ。
7 おまえは自分が作ったもの〔偶像(注解付新改訳聖書の注)〕と財宝に拠り頼んだので、おまえも捕らえられ、ケモシュ〔モアブの守護神(筆者挿入)〕はその祭司や首長たちとともに、捕囚となって出て行く。
8 荒らす者〔バビロン軍(筆者挿入)〕がすべての町に入って来る。町は一つも逃れられない。谷は滅び失せ、平地は根絶やしにされる。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がそう言われる──
9 モアブに翼を与えて、飛び去らせよ。その町々は住む者もなくて荒れ果てる。
〔リビングバイブルは次のように意訳しています。“モアブに羽が生えてどこかへ飛んで行けたら、どんなにいいだろうに。この国の町々には、いのちある者は一人もいなくなるからだ。”とあります。(筆者挿入)〕
10 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のみわざ〔モアブへの裁き(筆者挿入)〕をおろそかにする者は、のろわれよ。その剣をとどめて血を流さないようにする者は、のろわれよ。〔バビロン軍に対するヤハウェ(主)の言葉でしょう(筆者挿入)〕
11 モアブは若いときから安らかであった。彼はぶどう酒の澱(おり)の上によどみ、桶から桶へ空けられたこともなく、捕囚として連れて行かれたこともなかった。それゆえ、その味はそのまま残り、香りも変わらなかった。
12 それゆえ、見よ、その時代が来る〔モアブに審判の日が来る(筆者挿入)〕──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。そのとき、わたしは彼に酒蔵の番人たちを送る。彼らは彼を桶から移し、彼の桶を空にして、壺を砕く。〔それゆえ、見よ、と主は言われる。傾ける者をモアブに遣わす日が来る。彼らはモアブを傾け器から注ぎ出し、壷を砕く。(新共同訳)〕
〔11.12節について新共同訳スタディ版の注は、“モアブはユダとは違ってB.C.586年のバビロニア軍の侵攻によって被害を受けなかったが、ついにはネブカドレツァル{ネブカドネツァル(2017)}によって「注ぎ出」される。モアブはB.C.6世紀にアラブ人に侵略され、国家としては消滅した。”(抜粋)と述べています。(筆者挿入)〕
13 モアブは、ケモシュ〔モアブの守護神(筆者挿入)〕のゆえに恥を見る。イスラエルの家が、彼らが拠り頼むベテルのゆえに〔金の子牛礼拝のゆえに(筆者挿入)〕恥を見たように。〔13節よりモアブの裁きの理由の一つが偶像礼拝の罪であることが分かります(筆者挿入)〕
14 どうして、おまえたち〔モアブ(筆者挿入)〕は言えるだろうか。『われわれは勇士、戦いの豪の者だ』と。
15 モアブは荒らされ、その町々は襲われて、選り抜きの若者たちが屠り場に下って行く。──その名を万軍の主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕という王のことば──
16 モアブの滅びは近づいた。そのわざわいは速やかにやって来る。
17 周りの者、その名を知る者はみな、これのために嘆け。『どうして、力ある杖、輝かしい笏が砕かれたのか』と。
18 ディボンに住む娘よ〔民よ、の意(筆者挿入)〕。栄光の座から降りて、潤いのない地に座れ。モアブを荒らす者が、おまえのところに攻め上り、おまえの要塞を滅ぼしたからだ。
19 アロエルに住む女よ〔民よ、の意(筆者挿入)〕。道の傍らに立って見張れ。逃げる男、逃れる女に尋ねて、『何が起こったのか』と言え。
20 モアブは打ちのめされ、辱められた。泣き叫び、わめけ。アルノンで『モアブは荒らされた』と告げよ。
21 さばきは次の平地に臨んだ。ホロン、ヤハツ、メファアテ、22 ディボン、ネボ、ベテ・ディブラタイム、23 キルヤタイム、ベテ・ガムル、ベテ・メオン、24 ケリヨテ、ボツラ、モアブの地の遠くの町、近くの町すべてに。〔21節から24節に出てくる町は、アルノン川以北の平地に立てられた、モアブの代表的な都市であったと思われる(注解付新改訳聖書の注)〕
25 モアブの角は切り落とされ、その腕は砕かれた──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。〔「角」は力、権威のシンボル、「腕」は兵力の譬え(筆者挿入)〕
26 彼〔モアブ(筆者挿入)〕を酔わせよ。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に対して高ぶったからだ。モアブは、へどを吐き、彼も笑いものとなる。〔ヤハウェに対する高ぶりが裁きの原因であることがわかります(筆者挿入)〕
27 イスラエルは、おまえにとって笑いものではなかったのか。それとも、おまえが彼のことを語るたびに彼に向かって頭を振っていた〔嘲る動作(岩波訳注)〕のは、彼が盗人の間に見つけられたためか。
28 モアブの住民よ。町を見捨てて岩間に住め。穴の入り口のそばに巣を作る鳩のようになれ。
29 われわれはモアブの高ぶりを、──彼は実に高ぶる者──その傲慢、その高ぶりを、その誇り、その慢心を聞いた。
30 わたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は彼の不遜さを知っている。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──その自慢話は正しくない。その行いも正しくない。
31 それゆえ、わたしはモアブのために泣き叫び、モアブ全体のために叫ぶ。人々はキル・ヘレスの人々のために嘆く。
〔ヤハウェは、罪を罰するけれども罰せられる者に対する憐みの心の故に泣くお方であるということが分かります。注解書によってはこの節の「わたし」をエレミヤとしていますが、私はヤハウェ(主)であると捉えたいです。/イエス様は御自身を受け入れない者のために心では涙を流されたお方でした。それはさばきを下さなければならないからです。マタイ23:37参照。神様は愛と義が同居しているお方です。(筆者挿入)〕
32 シブマのぶどうの木よ。わたしはヤゼルの涙にまさり、おまえのために泣く。おまえのつるは伸びて海を越えた。ヤゼルの海に達した。そして、おまえの夏の果物とぶどうの収穫を、荒らす者が襲った。
〔リビングバイブルは次のように意訳しています。“ぶどうのお陰で富んでいるシブマ(良質のぶどうの産地)の人よ。私はヤゼルの人以上に、あなたがたのために泣きます。滅ぼす者が来て、よく伸びたあなたがたのつるを切り、ぶどうと夏のくだものを横取りしたからです。そのため、あなたがたは丸裸になりました。”と。(筆者挿入)〕
33 モアブの果樹園から、その地から、喜びと楽しみが取り去られる。わたしは石がめから酒を絶えさせた。喜びの声をあげてぶどうを踏む者もなく、ぶどう踏みの喜びの声は、もはや喜びの声ではない。
34 ヘシュボンが悲鳴をあげたので、その声はエルアレとヤハツまで、ツォアル〔死海南端近くの町(筆者挿入)〕からホロナイムやエグラテ・シェリシヤまで届く。ニムリムの水さえ荒廃するからだ。
35 わたしはモアブで──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──高き所でいけにえを献げる者を、その神々に犠牲を供える者を取り除く。
36 それゆえ、わたしの心は、モアブのために笛のように鳴る。わたしの心は、キル・ヘレスの人々のために笛のように鳴る。彼らの得た富も消え失せたからだ。
37 実に、彼らは頭の毛をみな剃り、ひげもみな切り取り、手もみな傷つけ、腰に粗布を着けている。
38 モアブのあらゆる屋根の上や広場には、嘆きしかない。わたしがモアブを、だれも欲しがらない器のように砕いたからだ──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──。
39 どんなにか打ちのめされて、泣き叫ぶことか。どんなにかモアブは恥を見て、背を見せることか。モアブは、その周りのすべての者の笑いものとなり、恐怖のもととなった。」
40 まことに、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。「見よ。敵が鷲のように襲いかかり、モアブに対して翼を広げる。
41 町々は攻め取られ、要害は取られる。その日、モアブの勇士の心は、産みの苦しみにある女の心のようになる。
42 モアブは滅ぼし尽くされて、民でなくなる〔指導者たちはバビロン軍によって処刑されるか捕虜とされるかし、国土は荒野から侵入するベドゥインに略奪され、国家としての存在を失ってしまった(注解付新改訳聖書の注)〕。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に対して高ぶったからだ。
43 モアブの住民よ、おまえを恐怖と落とし穴と罠が襲う。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
44 その恐怖から逃げる者は穴に落ち、穴から這い上る者は罠に捕らえられる。わたしがモアブに彼らの刑罰の年を来させるからだ。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば──
45 ヘシュボンの陰〔ヘシュボンは強固な城壁に囲まれていたので、周辺の侵略された人々はその陰に逃れる(注解付新改訳聖書の注)〕には、逃れる者たちが力尽きて立ち止まる。火〔戦火(筆者挿入)〕がヘシュボンから、炎がシホンのうちから出るからだ。それは、モアブのこめかみと、騒がしい子どもの頭の頂を焼く。
46 ああ、モアブ。ケモシュの民は滅びる。おまえの息子は捕らわれの身となり、娘は捕虜になって連れ去られるからだ。
47 しかし終わりの日に、わたしはモアブを回復させる。──主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。」ここまでがモアブへのさばきである。”(2017)とあります。

 46節に、“ああ、モアブ。ケモシュの民は滅びる。”とあります。
ケモシュについて聖書辞典は次のように述べています。
ケモシュ (〈ヘ〉kemos) モアブ人の神の名。戦いの神として礼拝された(士師記11:24,2列王記3:27)。聖書はモアブ人のことをケモシュの民と呼んでいるほど,この神がモアブ人の間で広く崇拝されていたことを示している(民数記21:29,エレミヤ48:46)。ケモシュの前で子供を全焼のいけにえとしてささげたことが碑文に記されており,2列王記3:27のモアブの王の長男を全焼のいけにえとしてささげた記事も同様の慣例を示すものである。ソロモン王はエルサレムにもこのケモシュ礼拝を導入し,ケモシュのために高き所を築いた(1列王記11:7)。この異教の神の礼拝はヨシヤ王の時まで続けられ(2列王記23:13),イスラエルの信仰の腐敗に大きな影響を与えた。士師記11:24ではアモン〔アンモン(2017)〕人の神がケモシュだと記されている。1列王記11:7ではアモン人〔アンモン人(2017)〕の神は「モレク」となっている。士師記11:24のケモシュは「モレク」の間違いであると主張する説もあるが,「モレク」はケモシュを表す別名ではないかとも考えられる。”とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
偶像礼拝はあなたに敵対する行為であることを覚えます。
あなたは必ず偶像を滅ぼされますし、偶像礼拝者を滅ぼすと教えてくれています。
黙示録21:8には、“・・魔術を行う者、偶像を拝む者・・が受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。”(2017)と記されていることを覚えます。
偶像大国の中にあって、三一の神だけを自分の神とし、その神を愛し、その神に信頼する者は少ないですが、「小さな群れよ、恐れることはありません。」(ルカ12:32・2017)とイエス様が語られているので安心です。
私たちキリスト者は増々主を愛し、主に信頼し、主に従う歩みをさせて頂けますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

2021年8月23日 (月)

エレミヤ47章 ペリシテへの裁きの預言

 ペリシテへの裁きの預言が1-7節に次のように記されています。
“1 ファラオがガザを討つ前に、ペリシテ人について預言者エレミヤにあった主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のことば。
〔この預言は、B.C.609年以前のものです(筆者挿入)/パロ〔ファラオ(2017)・ネコが前609年にメギドでヨシヤを殺した後、ペリシテの町ガザを攻撃したことが、前5世紀のギリシアの歴史家ヘロドトス(『歴史』Ⅱ.159)によって報告されている(岩波訳注)〕
2 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はこう言われる。
「見よ。北から水が上って来てあふれる流れとなり〔「バビロン軍の攻撃により」ということ(筆者挿入)〕、地とそこに満ちているもの、町とその住民を押し流す〔ガザが蹂躙されるということ(筆者挿入)〕。人々はわめき、地の住民〔ガザの住民(筆者挿入)〕はみな泣き叫ぶ。
3 荒馬のひづめの音のため、戦車の響き、車輪のとどろきに、父親たちは気力を失い、子どもたちを顧みない。
4 〔ガザのみならず(筆者挿入)〕すべてのペリシテ人を破滅させる日、ツロとシドンを助ける生き残りの者すべてを断ち切る日が来たからだ。まことに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、ペリシテ人を、カフトルの島〔クレタ島(筆者挿入)〕の残りの者を破滅させる。
〔ティルス〔ツロ(2017)〕、シドン、カフトルの島は共に地中海沿岸のフェニキアの町。B.C.594年にバビロニアに反旗を翻し、B.C.587年にはペリシテ諸都市と共に反バビロニア同盟を結んだ。(新共同訳スタディー版の注)〕
5 ガザは頭を剃られ、アシュケロン〔ペリシテ人の主要都市の一つ(筆者挿入)アシュケロンはB.C.604年にネブカドネツァルによって滅ぼされた(新共同訳スタディー版の注)〕は黙らされる。平地の残りの者よ、いつまで、おまえは身を傷つけるのか〔頭を剃ることや身を傷つけるのは哀悼の表現(筆者挿入)〕。」
6 「ああ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の剣よ。いつまで休まないのか。さやに収まり、静かに休め。」
〔6節はペリシテ人の叫び(筆者挿入)〕
7 どうして、休めるだろうか。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が剣〔「ヤハウェ(主)の剣」とはバビロン軍のこと(筆者挿入)〕に命じられたのだ。アシュケロンとその海岸、そこに剣を向けられたのだ。
〔7節はエレミヤの言葉(筆者挿入)〕”(2017)とあります。

 ペリシテ人の宗教について、聖書辞典には次のように記されています。
ペリシテ人は,ガザとアシュドデにダゴンの神を祭り(士師記16:23,1サムエル5:1‐7),アシュケロンではアシュタロテを祭り,エクロンではバアル・ゼブブの神を祭っていた(2列王記1:1‐6)。このようにペリシテ人の神々はセム族の神々であり,ウガリット王国の神々ともあまり変らない神々を拝していたことが分る。その他ペリシテ人には宮(士師記16:26),卜者(イザヤ2:6),祭司や占い師(1サムエル6:2 )もあり,セム人の特徴を持っている。”とあります。

 ペリシテへの裁きの理由を、新聖書注解は次のように述べています。
“ペリシテは、ユダとは地理的に接しており、その偶像礼拝による悪影響を与え続けたために、ヤハウェの裁きの剣は厳しく彼らの上に臨むのである。”とあります。

 キリストの地上再臨の日、ユダから偶像は一掃され、キリストの千年王国においては、地上に偶像はありません。
 ゼカリヤ13:1.2には、
“1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。2 その日──万軍の主のことば──わたしはもろもろの偶像の名を、この地から絶ち滅ぼす。それらの名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。”(2017)と記され、
 ゼカリヤ14:9には、“主〔原語は「ヤハウェ」、ここでは再臨のキリストのこと(筆者挿入)〕は地のすべてを治める王となられる。その日には、主〔原語は「ヤハウェ」、ここでは再臨のキリストのこと(筆者挿入)〕は唯一となられ、御名も唯一となる。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
早く世から偶像が取り去られますように。
御父と御子のみが礼拝されますように。
天においてなされている礼拝のように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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