エステル記9:1-10:3 ユダヤ人の復讐、プリムの祭、モルデカイの栄誉
アダルの月の13日に、ユダヤ人たちは自己防衛のために、クセルクセス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったこと、及び宰相モルデカイへの恐れの故に諸州の首長、太守、総督、王の役人もみなユダヤ人たちを支援したことが1-4節に次のように記されています。
“1 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令と法令が実施された。ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった。
2 ユダヤ人たちは、自分たちに害を加えようとする者たちを手にかけようと、クセルクセス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。彼らへの恐れが、すべての民族に下ったからである。
3 諸州の首長、太守、総督、王の役人もみなユダヤ人たちを支援した。モルデカイへの恐れが彼らに下ったからである。
4 実際、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっていた。実に、この人物モルデカイは、ますます勢力を伸ばしたのであった。”(2017)とあります。
ハマンが王の名で発布したアダルの月の13日に関する法令の内容は、「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え」(エステル3:13・2017)というものでした。
それに対して、エステルとモルデカイが王の名で発布したアダルの月の13日に関する法令の内容は、「どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって、自分たちを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、虐殺し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪うことを許す。このことは、クセルクセス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うように。」(エステル8:11.12・2017)というものでした。
エステルが王妃であり、モルデカイが宰相であるとはいえ、反ユダヤ、反モルデカイの人たちもいたのでしょう。ユダヤ人の敵を処分した様子が5-10節に次のように記されています。
“5 ユダヤ人たちは彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。
6 ユダヤ人はスサの城でも五百人を殺して滅ぼし、7 また、パルシャンダタ、ダルフォン、アスパタ、8 ポラタ、アダルヤ、アリダタ、9 パルマシュタ、アリサイ、アリダイ、ワイザタを、10 すなわち、ハメダタの子でユダヤ人を迫害する者ハマンの子、十人を虐殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。”(2017)とあります。
10節に、“略奪品には手を出さなかった”と記されていることがらに関する理由を注解付新改訳聖書の注は、“この戦いは正当防衛であり、略奪を目的としたものではないことを示している。”と述べています。
王妃エステルによる王への報告とエステルのさらなる願いが11-13節に次のように記されています。
“11 その日、スサの城で殺された者の数が王に報告されると、
12 王は王妃エステルに言った。
「ユダヤ人はスサの城で、五百人とハマンの息子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。ところで、あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたのさらなる望みは何か。それをかなえてやろう。」
13 エステルは答えた。
「もしも王様がよろしければ、明日も、スサにいるユダヤ人に、今日の法令どおりにすることをお許しください。そして、ハマンの息子十人を柱にかけてください。」”(2017)とあります。
クセルクセス王はエステルの願いを受け入れました。それ故すでに発布されていた法令を超えて、14日にも反ユダヤである敵を滅ぼしたことが14.15節に次のように記されています。
“14 そこで王は、そのように実施するように命じた。法令がスサで布告され、ハマンの息子十人は柱にかけられた。
15 スサ〔ペルシア帝国の首都(筆者挿入)〕にいるユダヤ人はアダルの月の十四日にも集まって、スサで三百人を殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。”(2017)とあります。
ペルシア帝国の諸州にいるユダヤ人たちは、13日のみ敵対者を殺し、14日には休んで祝宴と喜びの日としたことが16.17節に次のように記されています。
“16 王の諸州にいる残りのユダヤ人たちも団結して、自分たちのいのちを守り、敵からの安息を得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。
17 これはアダルの月の十三日のことであり、その十四日に彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。”(2017)とあります。
18.19節には、祝宴と喜びの日について次のように記されています。
“18 しかし、スサにいるユダヤ人たちは、その月の十三日にも十四日にも集まり、十五日には休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。
19 それで、城壁のない村に住む田舎のユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の祝日とし、互いにごちそうを贈り交わす日としている。”(2017)とあります。
新聖書注解は、“後にはシュシャン〔スサ(2017)〕以外でも、14日と15日の両日を祝うようになった。”と記しています。
プリムの祭の制定について20-32節には次のように記されています。
“20 モルデカイはこれらのことを書いて、クセルクセス王のすべての州の、近い所や遠い所にいる、すべてのユダヤ人に書簡を送った。
21 それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、22 自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。
23 ユダヤ人は、すでに守り始めていたことであるが、モルデカイが彼らに書き送ったことを受け入れた。
24 実に、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人すべてを迫害する者ハマンは、ユダヤ人を滅ぼそうと企んで、プル、すなわちくじによって決め、彼らをかき乱して滅ぼそうとしたが、
25 そのことが王の耳に入ったときに、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたのであった。
26 こういうわけで、ユダヤ人はプル〔「くじ」の意(筆者挿入)〕の名にちなんで、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、
27 ユダヤ人は、自分たちとその子孫、および自分たちにつく者たちが、その文書のとおりに毎年定まった時期にこの両日を守り行い、これを廃止してはならないと定めた。
28 また、この両日は代々にわたり、すべての家族、諸州、町々において記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日がユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記憶が自分たちの子孫の中で途絶えてしまわないようにした。
29 アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を全権をもって書き記し、確かなものとした。
30 この書簡は、平和と誠実のことばをもって、クセルクセスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、
31 ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために、断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。
32 エステルの命令はこのプリムに関する事柄を義務づけ、書物に記された。”(2017)とあります。
イスラエルでは現代でもプリムの祭が祝われています。
「シオンとの架け橋」というホームページの中に、現代のプリムの祭について、次のように記されています。
“旧約聖書エステル記に書かれた物語をもとにしており、ユダヤ人が奇跡的に救われたことを記念する祭です。
ペルシャ帝国の時代、悪大臣ハマンがユダヤ人の絶滅を計画しますが、王妃であったユダヤ人のエステルが、 王にその計画を取りやめるよう直訴し、悪大臣ハマンの謀略は失敗に終わり、ハマンは処刑されました。
祭では、このエステルの知恵と勇気の活躍を描くエステル記がシナゴグで子供たちと一緒に朗読され、 音の出るオモチャを持った子供たちは、悪大臣ハマンの名前が読まれるとハマンの名前が聞こえないように騒ぎたてます。
プリムの祭は、子どもたちが仮装をしたり、街ではパレードをしたりと、大変陽気に楽しみます。
この日には、商店や食堂、銀行など接客業の人々の中には、頭に飾りをつけたり、顔に何かを描いたりして、仮装をする人々もいます。
また「ハマンは呪われよ」と「モルデカイに祝福を」が聞き分けられなくなるまでお酒を飲まなければいけないと言われているため、 超正統派の人々は「律法の行い」として、完全に酔いつぶれています。
また、城壁に囲まれた町では1日遅れて祝う「シュシャン・プリム」という風習がありますが、現代ではこの規定はエルサレムだけに適用されます。”とあります。
歴史を眺めると、サタンは様々な人を使ってイスラエルの抹殺を試みましたが、常にヤハウェ(主)が介入され、絶滅されることを防ぎました。そして、キリストの千年王国では、世界の中心はイスラエルでありイザヤ2章には次のように記されています。
“2 終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。
5 ヤコブの家よ、さあ、私たちも主の光のうちを歩もう。”(2017)と預言されています。
またキリストの千年王国におけるイスラエル部族の相続地及び聖域については、エゼキエル47:13-48章に記されています。
ヤハウェ(主)は、アブラハムとの契約を履行されるのです。
同じように私たちキリスト者に対する契約も主イエス・キリストの故に履行されるのです。
パウロは、「私たちが真実〔誠実(新共同訳)〕でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(2017)とテモテに書き送りました。
旧約聖書のマラキ書3:6には、万軍の主の御言葉として、「主であるわたしは変わることがない。」(2017)と記されています。
1ペテロ1:24.25には、
“人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ”と記されています。
イエス様は、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ24:35・新共同訳)と語られました。
私たちキリスト者は、主の御言葉を信じて生きる者です。
エステル記10章2.3節にはモルデカイが実在したこととモルデカイの人柄について書かれています。エステル記10章1-3節には次のように記されています。
“1 クセルクセス王は本土と海の島々に苦役を課した。
2 彼の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細、それは『メディアとペルシアの王の歴代誌』に確かに記されている。
3 実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。”(2017)とあります。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは私たちに変わることのない約束の御言葉をたくさん与えてくださっておられますからありがとうございます。
あなたの御言葉を100%信じて歩み続ける者としてお整え下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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粗雑な文章の連続でしたが、一応、聖書66巻について、簡略ではありますが、書き終わりました。
翌日からは書きたいことを書いていきます。