祈りについて8/試み
マタイ6:13について日本語訳諸聖書は次のように訳しています。
元訳(明治14年版)は、“我儕(われら)を試探(こころみ)に遇せず惡より拯出(すくいいだ)し給へ國と權(ちから)と榮(さかえ)は窮(かぎ)りなく爾(なんじ)の有(もの)なればなりアメン”と訳し、
口語訳は、“わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。”と訳し、
塚本訳は、“わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。”と訳し、
新改訳(1970年版)は、“私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕”と訳し、
前田訳は、“われらを試みにあわせず、悪者からお守りください。”と訳し、
新共同訳は、“わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。”と訳し、
岩波訳は、“そして、私たちを試みに遭わせず、私たちを悪からお救い下さい”と訳し、
フランシスコ会訳は、“わたしたちを誘惑に陥らないよう導き、悪からお救いください”と訳し、
2017訳は、“私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。”と訳し、
聖書協会共同訳は、“私たちを試みに遭わせず、悪からお救いください。”と訳しています。
「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」の祈りの聖句は後代の写本からのもである、と記されています。
岩波訳は、冒頭に「そして」の語が入っていますが、TRギリシア語聖書には、「カイ」(そして、また、・・・等の接続詞)が入っています。
「試みにあわせないで」という訳の箇所を、フランシスコ会訳は、「誘惑に陥らないよう導き」と訳しています。原語の意味には、試みor誘惑の、内へと運び入れずor導き入れず、等の意があります。
後半部分の中には、「悪しき者からお救いください」、「悪からお救いください」、「悪者からお守りください」等の訳があります。
「悪しき者」、「悪」と訳されている語のギリシア語原語は「ポネーロス」で、有害な、悪、悪しき者、悪魔、悪霊、罪びとたち、・・・等の意があります。
「お救いください」と訳されている語のギリシア語原語は「アルラ ルーオーマイ」で、「アルラ」は、否定の意(no)やそして、しかし、・・等々の意があります。
「ルーオーマイ」は、突進する、引く、引き寄せる、引き付ける、配達する、引き渡す、救い出す、救う・・・等の意があります。
私たちはイエス様から、「私たちを試みor誘惑にあわせないで、悪{and悪魔、悪霊、悪しき人たち(含:不敬虔な者たち)}からお救いくださいorお守りください。」と祈るようにと教えられています。
話は変わりますが、イエス様は、40日間の断食を終えて空腹であった時、悪魔(サタン)の誘惑を受けられたのです。このときは、イエス様が誘惑に会うようにと御霊が導いたのです。マタイ4章には次のように記されています。
“1 さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。
悪魔に試みられるためである。
2 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。
3 すると試みる者がきて言った、
「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
4 イエスは答えて言われた、
「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
5 それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて6 言った、
「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。
7 イエスは彼に言われた、
「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
8 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて9 言った、
「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
10 するとイエスは彼に言われた、
「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
11 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。”(口語訳)とあります。
イエス様は、御霊の剣すなわち神のことば(エペソ6:17)でサタンを撃退しました。
「神のことば」の「ことば」は「レーマ」が使われていますから、その時に、御霊が与えてくださった「神のことば」です。
マタイ10:19.20には、「引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。」(新共同訳)というイエス様の御言葉があります。
主が、私たちに、試みを許された場合の対処方法も上記のように教えられています。
後代の写本には、「国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」というものもある、と言われている箇所の、「だから」というギリシア語原語の「ホティ」には、それは、というのは、何故なら、だから、・・等の意があります。この「ホティ」は、ギリシア語聖書では、この上記の文の最初に出て来ます。そこを強調して訳すと、「私たちを試みor誘惑にあわせないで、悪{and悪魔、悪霊、悪しき人たち(含:不敬虔な者たち)}からお救いくださいorお守りください。というのはor何故なら、国と力と栄は、とこしえにあなたのものなのですから。アーメン。」という感じになると思います。
「国」と訳されている語のギリシア語原語は「バシレイア」で、王国の領土、国王の支配、の意です。
主なる神様の領土は、見える世界、見えない世界のすべてです。
申命記10:14には、“見よ。天と、もろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。”(2017)と記されています。
「バシレイア」(国)には、支配、統治、の意もあります。
「力」と訳されている語のギリシア語原語は「ドゥナミス」で、力、能力、豊かさ、・・等の意があります。
「栄」と訳されている語のギリシア語原語は「ドクサ」で、重い、荘厳、栄光、威厳、光栄、等の意があります。
主キリスト・イエス様は、天地の主権者です(マタイ28:18)。
そして御父は、更に偉大なお方です(ヨハネ14:28)。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
私たちを誘惑や試みにあわせず、悪しき者からお守りください。
もし、そのように祈っていても、あなたが、悪しき者の誘惑や攻撃を許可される場合には、イエス様のように御霊の剣、すなわち、その時々に与えられる御言葉によって勝利させて頂けますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。