主に祝福を願うときのよりどころ/旧約と新約の違い
詩篇26:3-9には次のように記されています。
“3 あなたの恵みは、私の目の前にあり、あなたの真理のうちを私は歩み続けました。
4 私は不信実な人とともに座らず、偽善者とともに行きません。
5 悪を行う者の集まりを憎み、悪しき者とともに座りません。
6 手を洗い自らの潔白を示します。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、私はあなたの祭壇の周りを歩きます。
7 感謝の声を響き渡らせて語り告げます。あなたの奇しいみわざのすべてを。
8 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕よ、私は愛します。あなたの住まいのある所、あなたの栄光のとどまる所を。
9 どうか私のたましいを、罪人どもとともに、私のいのちを人の血を流す者どもとともに、取り去らないでください。”(2017)とあります。
旧約時代はどのようにしたら神様から祝福を受けることが出来たでしょうか?
申命記28:1-14には、祝福を受ける条件と祝福の内容が次のように記されています。
“1 もし、あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。
2 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。
3 あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
4 あなたの胎の実も大地の実りも、家畜が産むもの、群れの中の子牛も群れの中の子羊も祝福される。
5 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
6 あなたは入るときにも祝福され、出て行くときにも祝福される。
7 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は、あなたに向かい立つ敵どもをあなたの前で敗走させる。彼らは一つの道からあなたを攻めて来るが、あなたの前で七つの道に逃げ去る。
8 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざが祝福されるように命じられる。あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。
9 あなたが、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令を守り主の道を歩むなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたに誓われたとおり、あなたをご自分の聖なる民として立ててくださる。
10 地上のあらゆる民はあなたに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の名がつけられているのを見て、あなたを恐れるであろう。
11 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕があなたに与えるとあなたの父祖たちに誓われたその地で、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたの胎の実、家畜が産むもの、大地の実りを豊かに恵んでくださる。
12 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はその恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それで、あなたは多くの国々に貸すが、借りることはない。
13 私が今日あなたに命じる、あなたの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の命令に聞き従い、守り行うなら、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕はあなたをかしらとし、尾とはされない。あなたはただ上になり、下になることはない。
14 私が今日あなたがたに命じるこのすべてのことばから右や左に外れ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。”(2017)とあります。
祝福を受けるための法則は、上記1,2,13節の下線部分の文言に記されています。
新約時代の祝福はどのようなものでしょうか?
第一に、救いについては、主イエス・キリストを信じるだけで救われる、ということです。
行いによるのではありません。
逆に、行いによって救われようとしたら、生まれながらの罪人である人間はだれも救われないのです。
人は、生まれながらに罪人です。
ローマ5章には、“一人の人〔創世記3章参照(筆者挿入)〕によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった”(12節抜粋・2017)と記され、
ローマ7章には、“18 私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、実行できないからです。19 私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています。20 私が自分でしたくないことをしているなら、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住んでいる罪です。”(2017)と、肉のうちに住む罪について記されています。
エペソ2:1.2には、“・・、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者〔神に対して断絶していた者(筆者挿入)〕であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者〔悪魔{サタン}(筆者挿入)〕、すなわち、不従順の子ら〔神に従わない者たち(筆者挿入)〕の中に今も働いている霊〔悪しき霊(筆者挿入)〕に従って歩んでいました。”(2017)と記されています。
人は、キリストの贖いの故に、行いにはよらず、信仰によって救われるのです。
エペソ1章には、“キリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。”(7節抜粋・2017)と記され、
エペソ2章には、“恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。”(8.9節抜粋・2017)と記されています。
繰り返しますが、救いはイエス・キリストを信じる信仰によります。行いによるのではありません。
ここから話が変わります。
神様に祝福された歩みは、神の御旨に従った歩みと関係します。
祝福の大前提として、父なる神様は、キリスト者にすべての霊的な祝福を与えてくださいました。
エペソ1章には、“神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(3節抜粋・2017)と記され、
{「キリストにあって」と訳されている語の中の「あって(在って)」のギリシア語原語は「エン」で、英語の「in」です。}
“このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。”(コロサイ2:3・2017)と記されています。
主イエス様は、天の王国の民(天の御国の民)の地上における確かな歩みの法則を語ってくださいました。マタイは、それをいわゆる山上の垂訓(山上での教え)としてマタイ5-7章にまとめて記しました。
キリスト者に艱難(苦難)はつきものです(ヨハネ16:33参照)。
しかし、聖霊の助けを頂きつつ霊によって主の教えに従って歩むならば、勝利できると約束されています。
マタイ7章には、“わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。”(24.25節抜粋・2017)と記され、
ローマ8章には、“肉に従って歩まず、御霊〔ギリシア語原語は「プニューマ」で定冠詞なしの「霊」(筆者挿入)〕に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされる”(4節抜粋・2017)と記されています。
{「霊」と訳せば、主キリストの霊と一つにされた新生させていただいた人の霊でしょう。1コリント6:17参照。新改訳以外の日本語訳聖書で私が持っている聖書は全部「霊」と訳しています。但し、リビングバイブルは「聖霊」と訳していますが、「聖」という単語はギリシア語聖書にはありません。}
ヨハネ14章には、“わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。”(16.17節抜粋・2017)と記されています。
「助け主」と訳されている語のギリシア語原語は「パラクレイトス」で、とりなし手、慰め主、元気づけるお方、支えるお方、弁護者、擁護者等の意があるだろうと思います。そしてそのお方は、真理の御霊です(ギリシア語聖書では、この箇所の「霊」には定冠詞がついています)。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
私たちの心の王座におられる主イエス様に従い、御霊の助けを頂きつつ、あなたの御旨の内を歩み、あなたの御名と主イエス様の御名が崇められる歩みをすることができますよう、よろしくお願いします。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。