詩篇64篇 敵の攻撃を受けても主に信頼している人は主が勝利させてくださる/聖なる歩み
詩篇64篇には次のように記されています。
“1 指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
2 神よ、嘆きの中にある私の声を聞いてください。敵の脅威から私の命を守ってください。
3 悪をなす者の群れから、悪事を働く者の騒ぎから私を隠してください。
4 彼らは舌を剣のように鋭くし、苦い言葉の矢をつがえています。
5 物陰から罪もない人に射かけようと構え、不意に射かけることに後ろめたさも感じていません。
6 彼らは悪の言葉に身を固め、それを数え上げては罠を仕掛け、「誰が見破ることができよう」と言います。
7 巧妙に不正を謀り、「我らの謀(はかりごと)は完全だ。人には裏側、心には秘めたものがある」と。
8 だが神は彼らに矢を射かけ、不意に彼らは傷を負う。
9 彼らは自分の舌のゆえにつまずき、見る人は皆、頭を振るでしょう。
10 人は皆、恐れて神の働きを告げ知らせ、神の業により悟りを得る。
11 正しき人は主によって喜び、また主のもとに逃れます。心のまっすぐな人は皆、誇ることができます。〔主に従う人は主を避けどころとし、喜び祝い、心のまっすぐな人は皆、主によって誇ります。(新共同訳)〕”(聖書協会共同訳)とあります。
(口語訳、新改訳は1-10節です。)
ダビデがこの詩において、悪しき「敵」として見ている人たちの特徴を箇条書きにすると次のようになります。
悪をなす者たち(3)
心を打ちのめすような言葉を吐いてくる人たち(4)
自分たちに害を為そうとしていない人たちに対して、突然背後から攻撃を仕掛けてくる人たち(5)
権謀術策にたけた人たち(6.7)
この世にこのような人たちがいることはある意味仕方のないことです。
人は、「罪」(単数形。罪の性質)をもって生まれてくるのですし(ローマ5:12、詩篇51:5・新改訳)、この世を支配しているのはサタン(悪魔)だからです(ルカ4:6、エペソ2:2、1ヨハネ5:19)。
攻撃は人からだけではありません。特にキリスト者の場合は、サタンの標的にされています。サタンは、直接主なる神様に戦いを挑んでも勝てないので、主なる神様の子どもたちを攻撃するのです。
キリスト者の戦いの相手は、人ではなく、好むと好まざるとにかかわらず、悪魔悪霊が相手です(エペソ6:11-13)。
人に対しては、罪は憎んでも、人は愛するのです。
主イエス様は、全ての人のために十字架にかかられたのですから(1ヨハネ2:2)。
サタンは、攻撃方法を色々と持っています。
悪魔悪霊からの攻撃を減らすには、罪の内を歩まないようにすることです。罪を犯していると、悪魔悪霊は、それを足場にして攻撃を仕掛けてきます。
また、サタンは、罪がなくても罪を犯させようと企(たくら)み実行する者です。
罪のなかったエバとアダムは、敗北し、人としてのイエス様は勝利したのです(創世記3章、マタイ4:3-10、ルカ4:3-13)。
主を信じている者たちに対する悪の攻撃に対して、主なる神様は介入されてきます(8)。
悪しき者たちは、自分の悪のゆえに墓穴を掘る場合もあります(9)。
しかしその前に、すなわち神様の御介入の前に、主に信頼し、主に従う者たちの祈りが先行しているのです(2.3)。
戦いの結末は、11節に記されているように、“主に従う人は主を避けどころとし、喜び祝い、心のまっすぐな人は皆、主によって誇ります。” (新共同訳)というところに落ち着くのです。
ここまで読んでこられると、異を唱える人もいるでしょう。
多くの殉教者たちがいるではないかと。
主イエス様は、「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。」(マタイ10:28・2017)と語られ、また、
「義のために迫害された人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。私のために、人々があなたがたを罵り、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5:10-12・聖書協会共同訳)と語られました。
新生したキリスト者は、永遠の命を持っています。
主イエス様は次のように語られました。
「生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11:26・2017)と。
それは、神から霊の誕生をしているからです(ヨハネ3:3.6、1ペテロ1:3)。
霊だけの話ではありません。霊のからだもキリストの現われの時に頂けるのです(コロサイ3:4、1コリント15:52、1テサロニケ4:16.17)。
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
この世にあっては、肉の目において、見えるところでも見えないところでも、悪がはびこっていることを覚えますが、ひとたびあなたに目を向ければ、全てが解消していきますから感謝します。
黙示録22:11aの聖句のごとく、この世はますます暗さを増しています。
黙示録22:11bに、“正しい者はさらに正しいことを行い、聖なる者はさらに聖なる者となれ。”(聖書協会共同訳)とあるように、主に信頼し、さらには、いつも主の内に在って歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。
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「キリスト・イェスをもといとして」(聖歌201番、聖歌総合版160番)
“1.キリスト・イェスをもといとして うちたてられし御教会は 君が血をもて買いたまいし 花嫁たちの集まりなり
3.主の教会は 試み受け 争いに遭い 涙すとも その幻を 主はよみして ついに勝利を与えたまわん”