詩篇73:1-12 まことの神を信じていない者でもこの世で成功し、主を信じる者たちを見下している者は大勢いる/キリスト者は霊的祝福に目を向ける
詩篇73:1-3には次のように記されています。
“1 賛歌。アサフの詩。
神はなんと恵み深いことか、イスラエルに、心の清い者たちに。
2 それなのに私は、危うく足を滑らせ、今にも歩みを踏み誤るところだった。
3 悪しき者の安泰を見て、驕り高ぶる者を妬んだ。”(聖書協会共同訳)とあります。
3節を新共同訳は、“神に逆らう者の安泰〔原語は「シャローム」(筆者挿入)〕を見て、わたしは驕る者をうらやんだ。”と訳しています。
アサフ及びアサフ族について、聖書辞典から抜粋すると次のように記されています。
“〔アサフは(筆者挿入)〕レビ人ゲルショム族でベレクヤの子(Ⅰ歴6:39)。ダビデ時代、神の箱がオベデ・エドムの家からダビデの町に運び込まれた時、歌うたいとして抜擢された(Ⅰ歴15:19)。先見者とも呼ばれている(Ⅱ歴29:30)。
彼の子孫はアサフ族と呼ばれ、神殿礼拝における賛美の職務を継承した(Ⅱ歴35:15,ネヘ11:22)。
バビロン捕囚からの帰還者リストにはアサフ族の歌うたいとして128人が登録されている(エズ2:41)。事実、神殿再建の際には、民の先頭に立って賛美の務めを果した(エズ3:10‐11)。
詩50,78‐83篇題目に「アサフの賛歌」とつけられているのは、彼らに起源があるものと思われる。これらの詩篇ではヤハウェではなく、エローヒームが神名として使われているのが特徴的である。”と述べています。
1節に、“神はなんと恵み深いことか、イスラエルに、心の清い者たちに。”とあります。
人はどのような事柄を体験して、「神は恵み深い」と思うのでしょうか。
ある人は、財産に恵まれ、健康に恵まれ、自分の望むことを達成し、社会的に高い地位を得、この世で成功者となったことを体験して、神は恵み深い、と考えるかもしれません。
しかし、主は、主を信じない人に対して、「たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、またみずから幸な時に、人々から称賛されても、彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。」(詩編49:18-20・新共同訳)と語られることでしょう。
また主イエス様は、聖書に記されている主の御言葉を信じることが出来ずに死んだ裕福な人の例を語られました。それはルカ16:19-31に記されています。よみの苦しみの場所に行った金持ちは律法に記されていることを心に留めることの出来ない人でした(ルカ16:27-31)。
まことの神を信じないで成功した悪しき者についての記述が、詩篇73:4-12に次のように記されています。
“4 彼〔「悪しき者」(聖書協会共同訳)、「神に逆らう者」(新共同訳)〕らには苦しみがなく〔別訳「死ぬまで苦しみがなく」(欄外注)〕、体も肥えて健やかである。
5 人間の負うべき労苦もなく、人々のように打たれることもない。
6 それゆえ、高慢が首を飾り、暴虐の衣が彼らを包む。
7 過ちは脂肪の中からにじみ出て、悪だくみは心に溢れている。
8 彼らは嘲り、悪意をもって語り、高飛車に暴言を吐く。
9 彼らは口を天に置き、舌は地を這(は)う。
10 それゆえ、民はここに帰り、彼らの言葉を水のように貪る。
11 彼らは言う。「神がどうして知っていようか。いと高き方に何の知識があろうか。」
12 見よ、これが悪しき者。とこしえに安穏に財をなしてゆく。”(聖書協会共同訳)とあります。
「悪しき者」と訳されている語のヘブライ語原語は「ラーシャー」で「悪しき者」ですが、神ヤハウェ(主)に対する悪しき者の基本は、神ヤハウェ(主)を、まことの神と認めず、信じない者のことですから、「神に逆らう者」と新共同訳のように訳すのもありだと思います。
この世の支配権は悪魔(サタン)が持っています。
おそらく、それは、堕罪した人たちが、まことの神である主を信ぜず、すなわち主の御言葉を信ぜず、サタンの言うことを信じるからでしょう。
1ヨハネ5:19には、「私たちは〔キリスト者は(筆者挿入)〕神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にある・・。」(2017)と記されていることに合致します。
サタンについて、主イエス様は、「この世を支配する者」(ヨハネ12:31)と語っておられます。サタンが逮捕されてサタンの牢に入れられるのは黙示録20:2.3の個所ですからキリストの地上再臨後になります。
サタン(悪魔)は人を豊かにすることが出来ます。
サタンは、イエス様に、“・・・、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。”(マタイ4:8.9・新共同訳)のです。
4-12節には、神ヤハウェ(主)を信ぜずとも、この世で財を成し、健康にも恵まれ、権力をほしいままにしているような人が描写されています。
今まで幾度となく述べてきましたが、キリスト者に与えられた祝福は霊的なものです。
エペソ1:3には、“神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。”(新改訳第二版)と記されています。
キリスト者は、神の御性質に〔神の本性(新共同訳)〕あずかる者とされ(2ペテロ1:4・2017)、永遠の命を与えられ(ヨハネ3:36)、神の子どもとされているのです(1ヨハネ3:2)。神の子どもですから、神様は地上の必要も満たしてくださるのです(ピリピ4:19)。
そしてやがては、天においてキリストとの結婚式を迎えるのです。ハレルヤ!
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
常にあなたを畏れ敬い、あなたを愛し、あなたがキリスト者に対して与えて下さった約束を信じて歩み続ける者であらせてください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。