フィリピ4:14-18 主に委ねられたものの用い方
フィリピ4:14-18には次のように記されています。
“14 それにしても、あなたがたは、よく私と苦しみを共にしてくれました。
15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、私が福音の宣教の初めにマケドニアから出かけて行ったとき、会計を共にしてくれた教会は、あなたがたのほかに一つもありませんでした。
16 テサロニケにいたときにも、あなたがたは私の窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。
17 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの帳簿を黒字にする実りを求めているのです。
18 私はあらゆるものを受けており、有り余るほどです。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って、満ち足りています。それはかぐわしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。”(聖書協会共同訳)とあります。
14節には“それにしても、あなたがたは、よく私と苦しみを共にしてくれました。”とあります。
「苦しみを共にする」と訳されている語のギリシア語原語は「苦しみをシェアする」とも訳せます。
パウロの思い出の中にあったのは、フィリピ教会の人たちが、パウロの福音宣教のために、おもに宣教献金をしてきた、ということを述べているのでしょう。宣教献金するときには祈りが添えられています。
フィリピ1:5には“・・、あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっている・・。”(聖書協会共同訳)と記されています。
宣教献金をすることは、福音宣教にあずからせていただくことです。
また、使徒16章には次のような記述があります。
“38 警吏たちは、・・・39 出向いて来て、わびを言い、二人〔パウロとシラス(筆者挿入)〕を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。
40 牢を出た二人は、リディアの家に行ってきょうだいたちに会い、彼らを励ましてから出発した。〔パウロとシラス及びリディアやフィリピの兄姉たちは、共に主に在って喜び、主に感謝し、主を賛美したことであろうと思います。(筆者挿入)〕/
〔この少し前の出来事が次のように記されています(筆者挿入)〕
11 私たちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスに着き、12 そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。
13 安息日に、私たちは町の門を出て、祈りの場があると思われる川岸に行った。そして、そこに座って、集まっていた女たちに話をした。
14 ティアティラ市出身の紫布を扱う商人で、神を崇めるリディアと言う女も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。
15 そして、彼女も家族の者も洗礼(バプテスマ)を受けたが、その時、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言って、無理やり招き入れた。”(聖書協会共同訳)と記されています。
また使徒20章には次のように記されています。
“1 この〔エフェソ(エペソ)での{筆者挿入}〕騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。
2 そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ました後、ギリシアに来て、3 そこで三か月間過ごした。パウロは、シリア州へと船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀が起こったので、マケドニア州を通って帰ることにした。
4 同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコ とトロフィモであった。
5 この人たちは、先に出発してトロアスで私たちを待っていたが、6 私たちは、除酵祭〔種なしパンの祭り(2017)〕の期間が明けた後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。”(聖書協会共同訳)とあります。
私の想像ですが、フィリピの信徒たちは、この時にも宣教献金を渡したかもしれないと思います。
15節に“フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、私が福音の宣教の初めにマケドニアから出かけて行ったとき、会計を共にしてくれた教会は、あなたがたのほかに一つもありませんでした。”と記されていますから。
パウロはフィリピの後テサロニケで宣教しました(使徒16:40-17:1)。
16節には“テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。”(2017)と記されています。
パウロは、フィリピの信徒たちに対して、「私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。私はすべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロディトからあなたがたの贈り物を受け取って、満ち足りています。それは芳ばしい香りであって、神が喜んで受けてくださるささげ物です。」{ピリピ(フィリピ)4:17.18・2017}と述べています。
エパフロディトは、獄中にいたパウロにフィリピ信徒たちからの献げ物を届けたのです。エパフロディトはフィリピの教会員でした。
フィリピ2章には次のように記されています。
“25 ところで私は、エパフロディトをそちらに送り返さねばならないと考えています。彼は私の兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、私の窮乏のときに奉仕してくれましたが、26 あなたがた一同を慕っており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。
27 実際、彼は瀕死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけではなく、私をも憐れんで、苦痛を重ねずに済むようにしてくださったのです。
28 そういうわけで、大急ぎで彼を送り返します。そうすれば、あなたがたは彼と再会して喜ぶでしょうし、私の苦痛も和らぐでしょう。”(聖書協会共同訳)とあります。
ガラテヤ6章には次のような文が記されています。
“6 御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と良いものをすべて分かち合いなさい。
7 思い違いをしてはなりません。神は侮られるような方ではありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。
8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
9 たゆまず善を行いましょう。倦むことなく励んでいれば、時が来て、刈り取ることになります。〔2コリント5:10参照(筆者挿入)〕
10 それゆえ、機会のある度に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。”(聖書協会共同訳)とあります。
<お祈り>
天のお父様。
あなたをほめたたえます。
主から与えられたすべてを主の喜ばれるように主のみ旨に従って用いさせていただけますようお導き下さい。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。